ちかさんの元気日記

辛いことを乗り越えて元気に生きている私“ちかさん”の
涙と怒りと笑いの介護記録。

いちいち子どもを頼る老婆にはならんぞ!

2014-04-30 23:34:19 | 日記
家電が鳴る。
ヤな予感。
家電にかけてくるのは何かの営業か、実家の母だ。

受話器をとると、案の定、母だった。
「大変なの。すぐに来てもらえる?」

聞けば、年金の受給手続きに不備があったらしく
5月中に証書と戸籍謄本を送らなければ
年金がもらえなくなる!という。

まさか。遺族年金の手続きは私が出向いて2月に済ませた。
受理されたのだから、何の不備もないはず。
だいたいにして2週間前にも
母の介護サービスの件で実家に帰ったばかりだ。
片道約2時間。そうそう帰れるか!!

しかし予定を調整すると言って電話を切り
翌日のきのう、送られてきた文書を改めて確認しようと、母に電話。
話を聞いて合点がいった。
年金といっても遺族年金ではなく、企業年金だったのだ。
ああ、それならまだ手続きはしていなかったかもしれない。

電話であれこれ説明しつつ、その証書を探させると
私が実家に戻った際に整理した書類関係の中から
それは見つかった。

やれやれ。これで実家に飛んで帰らなくてもよくなったというわけである。

しかし
一度も社会に出たことがなく、父の再婚相手として嫁いできた
79歳の母。
彼女の世間知らずと頼りなさにはほとほと呆れてしまう。
主婦としては優等生だったが
年金の種類も知らず、ATMの使い方もわからず
100円ライターがコンビニやスーパーで売っていることも
教えたら目を丸くして「便利な世の中ねえ」と驚いていたほどだ。

亡き父のことをさんざん馬鹿にしてきたアナタだけれど
今までず~っと、何をやるにも夫任せだったのねえ。

生みの母にしても、この育ての母にしても
夫なくては生きられない、頼りなくて、かわいい女子である。
呆れながらも、放っておけなくてついつい手を差し伸べる。

しか~っし、私はそんな老婆にゃならんぞ!
かわいくなくても
自分の人生は自分で生き抜いてやるわ!!!

2014-04-29 01:02:17 | 日記
「お天気いいから、どこかに出かけたいですねえ」
そう言ったら
大好きな利用者K子さん(90歳)が仰った。

「一緒に出かけるボーイフレンドでもいたらええんやけどね」

―あ~ら素敵! じゃあ、K子さんにお似合いのボーイフレンド
 探しておきますわ。

すると彼女は
「“杖みたいな男の人、おったらええなあ”」と独り言のように。

杖みたいな男の人。
どうやらそれは、散歩するときに横にいてくれて
家では片隅で静かにしてくれている男
ということらしい。

深いなあ。

このK子さん、先月ご主人を亡くしたばかり。
いっときは寂しそうにしていらしたが
元気を取り戻した最近は
大正生まれで厳格だった夫との結婚を振り返り
「あんな結婚だったら、もうしとうない」と
耐え忍んできた妻の苦渋を漏らすようになった。

そして今求めるのが“杖のような男”。
言いたいことも言わずにひたすら夫を支えてきた大正女だからこその
名台詞だ。

たいした我慢もしていないくせに
夫をウザイ!なんて言ってる私とは
性根が違うわねえ。

杖のような男、か。
そう言われてみればウチのおっさん
なんか“杖”みたいな存在になってるかもしれない。

久方ぶりの、乙女

2014-04-26 01:22:57 | 日記
久しぶりに、息子にメールを送る。

「5月11日、休みを取りました」

5月11日は母の日。
そして私の誕生日に一番近い日曜日である。
去年のその日にご馳走してもらったとき
「これから毎年、母の日と誕生日はこんなカタチでいい?」
そう、息子は言った。
仔犬のように、私はシッポを振った。

あれから1年。
彼からはまだ何も言ってこない。
しかし
仕事場の希望休申請は前月の20日まで。
とにかく休みを取っておかねばと
私は先走りして11日に休みを取った。

そしてあのメール。

すぐさま息子から返信が。
「しっかりしてるねえ。でもまあ、いいですよ」

やった~!
そのあとにかかってきた電話で
当日はまずは息子が今住んでいる街をぶらつき
そのあとで食事、息子が気に入っているバーへ・・・
という母接待のコースが決定した。

わくわく、わくわく。
近頃男といえば萎びたオジイチャマばかり相手にしている私だ。
久しぶりに新鮮な男子と遊んでくるぞ~!!!

遅咲き

2014-04-21 01:19:32 | 日記
なんだかどうも、仕事中毒である。

寝酒を楽しんでいるときも
バスに乗って本を広げているときも
気づけば
Wさんの尿失禁を減らすにはどうしたらいいだろう、とか
入浴を嫌がるIさんにたまにはお風呂に入っていただくには
どうしたらいいだろう、とか
認知症のすすんだNさんの不安を解消するには
どうしたらいいだろう、とか
そんなことばかり考えている。

新米のくせにおこがましいが
それでもこうして考えたことが受け入れられて
ケアプランや介護計画に組み込まれたりするものだから
楽しくてならないのだ。

これまでの職業で
中毒になったことは一度もない。
25年間やってきたライターや編集の仕事でさえ
振り返るとここまで燃えなかった。
ここまで向上心を抱かなかった。

もしあのころ今と同じだけの意欲や向上心があったら
私はライターとして今も稼いでいただろう。
そういえばよく言われたものだっけ。
「書けるのに、欲がない」と。
そう、私には仕事に対する欲がなかったのだ。

ところが来月で56歳になろうという今になって
私の中に欲が湧いてきた。
もっといい介護をしてさしあげたい。
もっといい介護ができる自分でありたい。

ああ、遅咲きの桜。
でも、咲こうとする意欲が、嬉しい。

衰えの中に咲くヒーロー

2014-04-20 00:25:06 | 日記
悪くなる一方の人、ばかりだ。

12月に入居されたKさんはウチのシステムについて
毎日ガミガミと文句を言うウルサ方だったのに
近頃すっかり子ども返りしてしまい
「おかあちゃん」と「おしっこ~」しか言わない。

食堂でお友だちと食事をするのが楽しみだったMさん(女性)は
先月から引きこもり状態が続き
食事は居室配膳、背中はどんどんま~るくなって
一日のほとんどをベッドで天井を眺めて過ごしている。

慣れない環境が認知症を進ませる要因の一つと学んだが
本当にその通りだ。

しかしそんな中に燦然と輝くヒーローが。
90歳のOさん(男性)は今年に入ってからのご入居。
一人娘さんを亡くされたショックで
脳と身体に障害が生まれ
ウチに転居される前の病院ではトイレでの排泄も
職員が二人がかりで行っていた。
奥様は言う。
「先生から、そろそろお別れの覚悟をなさっていたほうがいいでしょうって
言われていたんですよ」
ところが、ウチにいらしてからというものの
俄然、生きる意欲を持ち始めたらしく
車椅子から歩行器に、歩行器から杖にと3ヶ月で移動手段を変え
今では何と、杖さえも持たずに一人で食堂までの廊下を歩いている。

「どうしても歩けるようになりたかったから」と、Oさん。
その一念から
ベッド上でも自主的にリハビリを続け
奥様が買ってくる脳トレの本をめくり
ついに自主歩行にまで至ったのである。

Oさんと長い廊下をゆっくり歩きながら
「すごいですね。人間、諦めちゃいけませんね」
そうお声を掛けたら
悠然と胸を張りお答えになった。
「そうです。人間、諦めちゃいけない」。

彼の歩く姿を羨望の目で見つめながら
「自分の足で歩けるようになりたい」と訴えてくる車椅子の方が
少しずつ増えている。