ちかさんの元気日記

辛いことを乗り越えて元気に生きている私“ちかさん”の
涙と怒りと笑いの介護記録。

痛みが笑いになる日。

2014-11-27 23:34:59 | 日記
きのう、インフルエンザの予防接種を受けた。
今朝起きてみたら、その痕が腫れて痛い。

その痛みに呼び覚まされた、6年前の記憶。

倒産して破産して逃げるように引っ越した私たちであったが
ちょうどそれから2ヶ月経った寒い12月の終わり
仕事と就活と引越しの整理と病んだおっさんの世話で
疲れを感じる間もないほど走っていた私は
ふと、考えた。

今は何より身体が大事だ。
風邪を引いてる場合じゃない。
寝込んだらおしまいだ。

そうだ、インフルエンザの予防接種を受けよう!

医療機関に問い合わせると、一人7000円もするという。
破産した落ち武者に払える額ではない。
しかしインフルエンザにかかったら
パートを休まなければならない。
就活もできない。
そして何より、保険証がないから医療費が大変なことになる。

(おっさん+私)×7000円=14000円
これで未来へと続く階段を踏み外さずに済むのなら
安いもんだ、安いもんだ、安いもんだ…
そう自分に言い聞かせ、私は清水の舞台から飛び降りたのだった。

さっそく近くのクリニックに、予約を入れる。
その際、「保険証は持っていかなくてもいいんですよね?」と
大切な確認をとることを忘れずに。

果たしてそのクリニックに行くと、受付で尋ねられた。
「保険証はお持ちですか?」
は~? 保険証は持ってこなくてもいいっておっしゃってませんでしたっけ!?
「あ、保険証がなくても予防接種は受けられますけど
当院に登録をさせていただこうと思いまして…」
は~? 別に登録していただかなくてもケッコーです。
通院するわけではありませんから!!!

今にして思えば、保険証がなくても医療は受けられる。
しかし落ち武者だったあの時は
健康保険証を持っていないというだけで
惨めなほどビクついていたのだ。
だからなおさらに、強い口調で言ってしまったのだと思う。

生き抜くために、必死だったのだろう。
思い返すと恥ずかしく、そしておかしい。

どん底生活の中にあって
何も無理してインフルエンザの予防接種を受けることもなかっただろうに。
一時的に保険証がないことを
そこまで卑屈に思うこともなかっただろうに。

おっさんが社長だったころ
世の中に生活保護者や保険証を持っていない人がたくさんいることを
私は知らなかった。
就活の末に勤め始めた薬局で
そういう人たちが実はたくさんいるという現実を
目の当たりにしたのだが…。

インフルエンザの予防接種を受けた翌日の朝
その痛みに呼び覚まされたあの頃の記憶。
プクッと腫れた腕をさすりながら
ふふふ、と笑いがこみ上げる。

必死だったんだね、私。

先に起きていたおっさんにそんな思いを話しながら
二人で笑った。

生きていれば
そう、生きていれば、悲惨な思い出が笑い話になる日が
必ずくる。




健さん、あなたが好きでした。

2014-11-23 01:32:00 | 日記
私はあの日、健さんに恋をした。

(以前も書いたかもしれないが)
それは私が20歳のころのこと。
家庭教師のバイトで東京・目黒の自由通りを歩いていたら
車のショールームの前に一台の車が停まっていた。

何気なくその脇を通り過ぎようとしたとき
助手席の窓から肘と顔を出し
いかにもショールームにいる誰かを待っているらしい男が
おもむろに首を回し、こっちを見た。
目が合った。

それは健さん。高倉健さんだった。

今から36年前の話。
健さんの主演映画「幸せの黄色いハンカチ」が世に出てから一年後のことである。

それ以前からなぜか任侠物が好きで
高倉健といったらまさにおとぎの国の王子様であった。
それが映画館で「幸せの黄色いハンカチ」を見たばかりのころに
ホンモノに出くわしたのだから
失神してもおかしくない。

まるで金縛りにあったかのように、私は固まった。
数秒間、目を合わせたまま・・・
これを一目惚れと言わずに何と言おう。

なぜ握手をしてもらわなかったのだろうと
歩き出してすぐに後悔したし
今もなお、後悔している。
きっと、きさくに応じてくれただろうと思うのだが。

あの日から、私の恋ははじまった。

デートを重ねても、結婚をしても
健さんは常に、私の中の“男”だった。
永遠に触れることのできない“想い人”だった。

俳優・黒沢年男がバラエティ番組に出てきたころ
当時高校生だった息子に言った。
「この人、昔はかっこよかったのよ」。
女優・松坂慶子が肉付きのいいボディをさらし
コマーシャルで愛嬌を振りまくようになったころ
やはり息子に言った。
「この人、昔はすっごいセクシーな美人女優だったのよ」。

しかし健さんは、「昔は…」という表現をしなくてもいい
稀有な俳優だった。
20代のころから83歳にいたるまで
ずっとずっとかっこいい男優であり続けた。

健さん、ありがとう。
あなたへの恋心を、私は墓場まで持って行きます。


五感に感謝。

2014-11-18 00:10:52 | 日記
大好きな叔父から電話が来た。

「加齢黄斑変性になってしまって、目が見えづらい。
欠かしたことがなかった年賀状も
今年は書けそうにないから…」と言う。

加齢黄斑変性という目の病気に関しては
説明は省く。
とにかく叔父の今の症状は
人の顔もおぼろげ、標識もはっきりしない
テレビを見ていてもよくわからない
…とのこと。

84歳になっても
パソコンでゲームをしたり年賀状を作るのが楽しみだった。
自転車で遠出するのが好きだった。
大学時代に独学で学んだアコーディオン演奏が一番の趣味だった。

そのどれも、楽しむことができなくなってしまったのだ。
診断を下されてから半年経って
「前向きに生きることにしました」と明るく電話をくれた叔父だが
一時は死んでしまいたいと思うほど絶望しましたけどね
と、静かに心中を漏らす。
どんなにか辛いに違いない。

勤務先の介護現場でも
私の姿を見かけると遠くからでも大きく手を振ってくれる優しいK江さんが
3ヶ月ほど前から聴覚障害に陥ってしまった。

いつも笑顔を絶やさないK江さんだが
先日私の手を握って目を潤ませた。

「私、聴こえないの。聴こえなくなっちゃったの。
人は目が見えるからいいじゃないのって励ましてくれるけど
聴こえないってことがこんなに辛いとは思わなかった」

障害によって、味がわからない人もいる。
水の冷たさに触れられない人もいる。
見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる
そうした五感のありがたさを、つくづく思う。

高齢になると
“普通の生活”がどれほど得がたくなるか
学校ではずいぶん学んできた。
卒業から1年経ち、その現実が目の前にある。

見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる
それができることを
この歳になって、介護職になって
改めてありがたく、本当に本当に、ありがたく思う。





市川隼人だらけ?

2014-11-16 01:09:51 | 日記
かわいがっている姪が、来年結婚する。
4年間交際してきたその相手は、一応、プロボクサーだ。

今日は彼の試合を観に行ってきた。
会場は新宿・歌舞伎町のビルの7階。
ボクシング観戦が初めての私にとって
そこは完璧にアウェイだった。
相撲、サッカー、そして自分自身がやっていたバスケット
そういったスポーツ観戦なら経験があるけれど
ボクシングの試合会場はそれらとはまるで違う。
スポーツには違いないのだが
ロビーはなんというか…ライブハウス?

入場時にワンドリンク制と言われ
ビールを買ってとりあえず喫煙所に向かう。
スモーカーの私ですら遠慮したくなるほどもうもうと白く煙ったそこで
すまし顔で、実は内心オドオドしながら一服していると
「ちーっす!」と挨拶しながら次から次へと若者たちが入ってくる。

オバサンの目には
どの男子もみんな、市川隼人に見える。
たっぷりサイズのトレーナーを着てキャップを斜めにかぶった
市川隼人に見える。

男といえば
最近はウチのおっさんか介護現場のおじいちゃんしか見ていないので
相当に視覚が鈍っているらしい。

久方ぶりに訪れても相変わらず怪しい歌舞伎町。
そして市川隼人だらけのボクシング会場。
(言っておくが、市川隼人は好きなほうである)

居心地がいいとは言えないが
たまにはこういう異文化の風にあおられて
私を取り巻く老人臭を払拭したほうがいいんだろう。

ちなみに
カレは負けた。残念!

介護麻雀

2014-11-13 01:07:25 | 日記
麻雀サロンが盛況だ。
2卓の周りにギャラリーがあふれるほど、盛況だ。

今日、そんな中にオトボケM三郎さんがいた。
午後3時。トイレの時間だ。
しかし声をかけると「まだ途中だからヤダよ」と言う。

そうかい、そうかい。
「じゃ、私が応援するからパパッと勝っちゃいましょう」
麻雀好きな私は彼をトイレに行かせるために
自ら傍らに座って雀卓を囲む。

見れば、実にいい手だ。
これならパパッと勝ち逃げ、いや勝ちトイレに行けそうだ。
よし、本気で麻雀援助するぞ。

ラッキーなことに、M三郎さんは次から次へと
いい牌を引いてくる。
しかし悲しいかな、彼はそれに気づかない。

M三郎さん、それは捨てて!
あ、それは捨てちゃダメ!

そうこうしているうちに、リーチである。
それでもなお捨て牌に迷っているM三郎さんの体をつんつんと小突き
無理やり「リーチ!」と言わせる。

そしてそしてすごいことに
一発ツモ!!!
タンヤオリーピンイッパツツモドラ!
はね満~~~!


麻雀を知らない方には申し訳ないが
これ、実にキレイで大きな上がり方なのである。

M三郎さん、やったね!
といっても、彼は何がなんだかわからず
ただ、ニコニコしているばかり。
周りの要支援の方々が「すごい、すごい!」と囃し立てても
事態が飲み込めずにいる様子であった。

いや~、こんな介護もあったのね。
M三郎さんが楽しかったかどうかはよくわからないけれど
私はヒジョーに楽しめました。

「M三郎さん、大勝ちしちゃったわよ、私たち。
やったね~~。
じゃ、トイレに行きましょうか」


麻雀で大勝し、M三郎さんをトイレに行かせることにも成功し
晴れ晴れと彼の車椅子を押す私であった。