さじかげんだと思うわけッ!

日々思うことあれこれ。
風のようにそよそよと。
雲のようにのんびりと。

ゆるむ涙腺

2008-08-31 20:42:26 | 

今年も、24時間テレビの季節がやってきました。
まぁ本当に24時間見ていたわけではないんですけどね。
昨晩は、熱湯コマーシャルが終わったら寝ました。昼間、用事でちょろっとでかけてきました。
その件は、また後日書ければよいなと思います。

さて、この歳になって、最近思うことがあるんですよ。
涙腺が、まったく緩くなってしまいました。だから、ちょっと泣けるようなエピソードが出てくると、わたしなどはおとととと…と涙を流しそうになってしまいます。
この間の、北京オリンピックのソフトボール決勝などは危うく…。
24時間テレビなんか、感動の宝庫ですからね。油断すると大変危ない。
しかし、わたしは頭の古い男ですから、泣きません。涙をこぼすなんてのは、恥ずかしいことなのです。
だから、うるっとはきても、涙を流すなんてことはあり得ません。
しかし、その強がりもいつまで続くか。
400mリレーとかもやばかったですからね、あと五年もすればほろりと涙をこぼしてしまいそうですね。

さて、今年のエド・はるみさんも無事に到着。
大変お疲れ様でした。
また来年が楽しみですねー。


アンパンマンの"正義"

2008-08-30 21:25:59 | 

先日、毎度のことながら山梨県立美術館にいってきたので、その話をしましょう。
夏期企画展であった『やなせたかしの世界』展を見に行ってきたんですよ。

やなせたかし(1919~)さんといえば、御歳90歳の芸術界の超絶大御所ですね。代表作は、おそらく世界で一番不格好なヒーロー・アンパンマン。
それから、30年にわたり編集長を務めた雑誌『詩とメルヘン』が有名なところですね。

わたし、アンパンマンが好きなんですよ。
何が好きかっていえば、まぁあの造形のシンプルさもそうですし、何というかあの世界で明らかに浮いた存在に感じませんか。
いえ、住民みんなに愛されおり、一見和気藹々しているようですが、しかしどうもその存在自体に影を感じるんですよね。
主題歌の「愛と勇気だけが友達」というのも、その一因かも知れません。
この展覧会にいってわかったのは、やなせさんが正義という思想について、わたしたちが思う以上に厳密な思いがあるということです。
つまり、悪さをするバイキンマンを懲らしめることが正義なのではないのです。
やなせさんの生誕年を見てもらってわかるように、やなせさんは戦地に赴き、中国で敗戦を迎えます。
後年、やなせさんは自伝の中で「正義のための戦いなどどこにもない」と、世のあらゆる戦いについて拒絶しています。「正義は信じがたい」と、その存在自体を疑問視しているのです。
見るものの立場によって移り変わり、片方が正当でも、片方はそうとは思わない。争いの建前となる正義というのは、これほど不安定なものはないということなのです。
同時に、「逆転しない正義とは献身と愛だ」ともいい、それを体現したのがアンパンマンであるといいます。
おそらく、多くの人はなっとくしないことでしょう。
なぜなら、これは理想論だからです。
実際、アンパンマンもバイキンマンが悪さをするために、アンパンチという"正義"の鉄槌を下すわけで、その点では矛盾しているのかもしれません。
勧善懲悪が大衆に受け入れられやすいというマーケティング的要素もあるのだろうと思います。
だけど、思うんですよ。
アンパンマンはバイキンマンを懲らしめることに、きっと"正義"は感じていないじゃないかと。
彼が唯一思うのは、おれなんかいない世界…つまり、この世から飢えや不安がなくなった平和な世界になればいい、と。

アンパンマンは、やなせさんの作品ですから、いくら理想を叫んだっていいと思うんです。この歳になってわたしがアンパンマンが好きなのは、きっとやなせさんの理想が好きなんだからだと思います。
それから、恥ずかしながら、『アンパンマン大図鑑 公式キャラクター2000』という本を買ってしまいました。
もう、もんのすごい面白いですよ。
世の中のたいていの食べ物はキャラクターになってます。
見ていて、まったく飽きない。
ぜひ、アンパンマン好きの人は買って損はありません。子どもだろうが、大人だろうが、関係ないぐらいです。


美濃探訪記(番外編)

2008-08-29 23:36:37 | 旅行記

さて、みなさんはトイレで窮地に陥ったことはありますか?
例えば、Bigをするとき、戸の鍵をするのを忘れて、見ず知らずの人に決定的瞬間を見られてしまった、とか。
トイレ内は自分一人だと思って、豪快な音とともにぶっ放したら、隣の個室に人がいたとか。しかも、それが一緒に来ていた友達だとか。
まぁあるいは、その逆のパターンもあるわけですが。
わたしはまぁトイレにまつわる赤っ恥体験は一通り体験してきたつもりですが、まさか旅行先まで来てあんな体験をするとは。

※以下、施設名は伏せさせていただきます。また、大変下劣な表現がありますので、食事中の方・そのような話題を不快と感ずる方はお気をつけください。

以前、わたしの胃腸はデリケートで、旅に出ると便秘になってしまうという話をしました。
それが毎回毎回起こるので、これはたまらんと、今回は整腸剤を持参してきたんです。すると、これがたいそう効果覿面で、便秘→普通→下痢という逆流状態となってしまいました。
それが二日目、郡上八幡観光の日でした。
まぁ昼間ぐらいまではよかったんですけど、どうも帰るぐらいになったら、腹の具合が思わしくない。
そのとき、折良く美濃~郡上八幡間の某公営施設に立ち寄ってみるかという話になりました。
その施設は、まぁその、よく税金の無駄遣い的な番組に出てくる施設で、桃鉄風に名をつけるとすれば「日本の中心記念館」ですかね。
限界を迎えつつあったわたしの天下の副将軍さまは、決壊寸前。すぐさまトイレに駆け込みます。
そのときはあまりの危機的状況に、わたしは普段心がけているある行為を、すっかり忘れていたのです。
トイレ自体は運良く洋式。
これで解放されると思いきや、そこに誰かが入ってきました。
やばい。このけつの感触から、どえらい勢いで音と物質が飛び出ることは間違いない。
これは誰か仲間に聞かれたら恥ずかしいし、見ず知らずの他人でも恥ずかしい。
ぐっとこらえて、その人が出て行くのを待ちます。
出たのを見計らって、出します。もちろん、音を軽減しようと、水をじゃーっと流します。
ときどき、ぎゃーと叫びたくなるようなBigがありますが、まさしくその状態です。第一波が終わっても、まだ第二波がきそうな予感。しばらく、待機します。
と、どうにか発作も治まったようです。じゃあすっきりけつでも拭いて、野球して遊ぶかと思って、ペーパーホルダーを見たそのとき…!

ない。
紙がない。いや、厳密に言うと、紙はある。
茶色くて、ごりっとしたボール紙なら、ある。
しかし、柔らかくて白い紙は、ない。
端的に言えば、トイレットペーパーが、ない。

ギョエー! ま、まさか。よりによって岐阜でこんな目に遭うとはーッ!
ちゃんと外でBigをするときは、する前に紙の有無をチェックしていたのにーッ!!

これで幾度かは危機を未然に回避することができていました。
呆然としながらも、上下左右高低を探し回りますが、予備らしきものはありません。
こ、これは危機。もしくは窮地。わかりやすく言えば、ピンチ。
あ、そういえば、鞄の中に洗顔タオルがあったはず。と思ったら、鞄は車の中に置きっぱなし!
なぜか、デジカメだけを持って外に出てきたんだったー。
もはや、このBig個室内には紙らしい紙は、頭髪とトイレットペーパーの芯ぐらいのもの。
よくこの手の話だと、芯があるだけまだマシだよとか聞きますが、しかし、それでけつを拭くのもかなりの勇気がいるのです。
しかし、背に腹は変えられない。ただ一度、軽く拭くだけでも、不快さは軽減され、そそくさと隣の個室に移動さえできさえすれば、すっきり終わることができる。
芯を適当なところで破り、それをクシャクシャにする。
そして、指につかぬように慎重に拭きます。
それから、外に誰もいないことを確かめ、隣の個室にそそくさと移動。完全にパンツをあげることは成りませんので、腿の半ばぐらいで実に間抜けな格好。
幸い、隣の和式個室にはトイレットペーパーがあり、無事に窮地を切り抜けることができました。

いくら開店休業状態の施設とはいえ、公営なのだから、トイレの清掃ぐらいはしっかりとしてもらいとと思います。
係の人、いたんですけどねぇ…。

というわけで、きっちり下品な話で美濃旅行記は締めくくりです。
また次回からは再び通常営業です。旅行記は、また少ししたらですかねー。


今更ながら、北京五輪閉幕!

2008-08-28 20:56:38 | 

北京五輪が24日夜閉幕 日本、目標メダル数に届かず(共同通信) - goo ニュース

【北京24日共同】中国がアジアの大国としての威信を懸けて開催した第29回夏季オリンピック北京大会は24日、「鳥の巣」の愛称を持つ北京市北部の国家体育場で閉会式を行い、幕を閉じた。

あんまり間を置きすぎると書く気がなくなってしまうので、とんと滞っていたオリンピックの話題をしましょう。
まぁLIVEではなかったんですけど、わたしが見たいと言っておりました競技は一通り見ることができました。

アーチェリー・射撃・自転車・テコンドー。
自転車で日本人がメダルを獲得できたのは、トラック「ケイリン」の永井清志(1983~)選手だけでしたが、マウンテンバイクとBMXはやはり面白かったですね。
特に、BMXはトリノ五輪で採用された

スノーボードクロス
Women\'s Snowboard Cross Turin Olympics Finals


とほぼ同じ。急なカーブがあり、段差があり、ゆえに大量転倒の大番狂わせがある。
実力も大事ですが、それだけでもない。運という要素も大事になってきます。
運に巻き込まれない実力の方が、もちろん大事なのですよねー。

野球が好きなので、ソフトボールは超絶興奮しましたしけど、肝心要の野球の方で残念な結果になったのは、少々悲しいですね。
終わった直後は、K相手に愚痴愚痴いってしまいましたが、今となってはしょうがないと思うようにしました。
半年後には、第二回ワールドベースボールクラシックがありますので、そちらをがんばっていただきたいと思います。
ところで、あまり意見を聞かないんですけどね、シーズン中だったっていうハンデは関係ないんでしょうか。
WBCの時は、休養十分。連携を図る準備もあったわけで。
…まぁ…、誰も騒がないってことは、あまり関係ないってことなんでしょうねぇ。

まぁ個人的には、時差も少ないことがあって、とても楽しめたオリンピックでしたね。
開会式などに多少の脚色…といってよいものかどうか、は分かれるところでしょうが。そこら辺りも加味しての感想です。
いや、わたし思ったんですよね。なんだかんだ言っても、わたしは中国が好きなんですよ。
中国で生まれたものが好きなんですよ。
西遊記・三國志・水滸伝なんかの文学作品から、威勢よく華麗な音色の音楽・舞踊、どんな料理もごはんに合う中華料理も。
それから、チャイナドレスも好きですねー。これは、外せません。
だから、北京オリンピックが成功して、喜んでおります。
政治的諸問題はあまりにも難しすぎて、わたしにはとんとわからぬことばかりですが、北京オリンピック。イベントとしては成功だったのではないかと。

そのうらには、まじめに働くIOC職員の方々や地域住民の方の協力があり、選手の皆さんのがんばりもあったわけですね。
政治や経済もいいですけど、まずは人をねぎらうことが大切だと、わたしは思うんですけどねー。


アクセス急増中。

2008-08-27 21:54:38 | 

あんまりアクセス数とかは気にしません。
第一、アクセスのうち、「view」とか「IP」の区別もよくわかりません。当然、IPがわからないのですから、インターネットとは何たるかというのもわかってないということになります。
まぁいいんですよ、そんなことは。ところがですね、最近わたしの駄文ブログのアクセス数が増えておりまして。
昨日の閲覧数が、実に1105に登っておると。
しかも、今までアクセスランキングなどにインしたこともなかったのですが、なんと207位にランクインしております。

いえ、ありがたい話なのですが、わたしのような小心なヘタレ者はびびってしまいますねぇ。郡上八幡とか美濃地方の話題で増えてるんですかね?
それとも、オリンピックですか?
社会的に不適切な何かが書いてあったりとかしたら、大変ではないですか。
もし、何か不快な表記がありましたら、すいません。もう先に謝っておきます。ごめんなさい。
びくびくしてしまいます。

まぁ長続きはしないと思うのですが、もしご縁が深くなりましたら、ぜひよろしくお願いします。


美濃探訪記(7)

2008-08-26 21:58:37 | 旅行記

今回行う食品サンプル体験は、蝋による天ぷらの衣付けです。
今現在、食品サンプルの主な材料はプラスチックですが、昔は加工が容易な蝋が主だったようです。しかし、蝋はもろく、また熱に弱いなどの弱点もあり、今では使われていないそうです。
蝋ということで、なるべく汚れないようにエプロンを着けます。
次に、天ぷらにしたいタネを三つ選びます。わたしは先述の通り、海老・ピーマン・穴子にします。
そして、溶かした蝋が入った紙コップをくれます。
これを人肌程度に温めたお湯の中に流し入れます。
流し入れるんですけど、入れる高さが微妙で、天ぷらの衣のような肉厚な衣を再現するのには50cmほど上から落とす必要があるようです。
その変わり、野菜などの色合いを大事にしたいときは30cmほどから入れれば、薄い衣ができるようです。
そして、先ほど選んだ天タネをうつぶせ(天ダネには裏表がちゃんとあります)にして、蝋の上から沈み込ませ、あまりの部分の形を整えます。
野菜などは無理やりまとめますが、海老は先っぽの余計な部分を爪で挟むように切り取ります。
こうしてできあがったのが、こちら。



お、おいしくなさそう…。
Oの大葉はうまそうでしたね。色がうすく透けてるんですよ。やっぱ、食に色合いは大事ですね。
そんなこんなで、郡上八幡でやるべきことをやり終えてさんぷる工房を出ると、浴衣姿の人が増えております。
本格的に、郡上おどり目当ての人が増えてくる前に郡上を抜け出そうと、急いで脱出します。
さようなら郡上、さようなら八幡。

ぶらぶらと寄り道をしながら、宿に戻ります。今日は、宿に着く前に買い出しをしてしまいました。
今日のディナーは、何と言っても飛騨牛
昨日のような、腹一杯でどうしようもないなんて状態にはしません。しっかり、おなかもよい減り具合です。
荷物をざっと部屋に置いて、今日の隠れたメインである飛騨牛を頂きます。
今年、神戸にいったときには、おしくも神戸牛を食べ逃しましたから、今回は旅館で食べるという確実な方法です。
今回はいうなれば焼き肉です。美濃らしく陶器を熱してその上で焼くのです。
わたしなんかは、好きなものを最後までとっておく方なので、ご飯とおかずのバランスを考えて、もそもそと女々しく食べます。
とにかく、飛騨牛を焼いて食らいます。
うまい! うまいの一言に尽きます。いや、ブランドの先入観があったというのも否めません。しかし、確かにうまい。普段食べている牛もまたうまいのですが、飛騨牛のうまさは格別です。
うまさの元は、やはりその柔らかさですかね。なんか、スポンジケーキを食べているような、ふんわりした歯切れの良さです。
神戸牛も、これぐらいうまかったのだろうかと、そんなことを考えていました。
わたしとしてはもうこの飛騨牛で満足です。もちろん、そのほかのおかずもおいしくいただきましたよ。

そのあとは、お風呂に入りまして酒盛りとなります。
そこで、はたと気がつきました。そういえば、昨日Sからもらった水まんじゅうが残っていると気がつきました。
そこで、今日合流したMくんに
「そういえば、Sが水まんじゅうをくれてね。食べてないから、一緒に食べよう」
という話をして、かじりつきました。
食べてみると、「ん? まぁまずくはないけど、おいしくもない…」と思いつつ、まぁ昨日のものだし、こんなものなのかも知れないと思ってもりもり食べました。
すっかり白く濁った水まんじゅうに興味をそそられたKが、どれどれと食べてみると、
「ぐえーっ! まずい! こんなの、昨日食べたもんと全然ちがう! ぐえーっ」
とげろげろ言います。
確かに、昨日は澄んで透明で、ぷるぷるして見るからにおいしそうだったんですけどねー。
Mとともに、そうか…とがっかりしてしまいました。
水まんじゅうの悲しい話。水まんじゅうは、買ったその日に食うのがいいようです。
その日は、北京オリンピックの野球競技の予選リーグ・日本×韓国をやっており、また陸上もはじまっておりましたので、あちこちを見ながら、話をして夜は更けていったのでした。

次の日も、いろいろ見て回るつもりだったのですが、Uターンラッシュを懸念して、移動日と相成りました。
磐田駅近くの回転寿司のスシローで昼飯を食い、Mとわかれます。実に短い時間でしたが、楽しんでくれたならいいと思います。
いやぁ磐田駅前のジュビロ通りってのは、これは立派な観光地ですね。やはり、優勝経験もある強豪チームともなると、大いに地域活性に貢献してくれます。
ヴァンフォーレ甲府からも、日本代表選手が出てくれると違うと思うんですけどね。
まぁその、難しいんでしょうねぇ。
それから、半分記憶を失いながらも高速を走り、わたしは富士駅で降ります。
このあと、OとKはそれぞれの家へと帰っていったのでした。
それにしても、飯にサイゼリアとスシローって…。どんだけ自由な旅なんでしょうかねぇ。まぁその、うまかったからいいんですけどねー。

というわけで、相変わらずケツがボロボロですが、これで美濃探訪記は終わりです。
しかし、いつも通り、番外編を書く予定ですので、しばしお付き合い下さい。

今日の一枚は、『清流・吉田川』。
水の町にふさわしい、すばらしい流れでした。


美濃探訪記(6)

2008-08-25 21:19:08 | 旅行記

Kが見つけたという奥美濃カレーが食べられるというところが、「郡上八幡旧庁舎記念館」です。
昭和11年に建てられたという洋風でハイカラな建物です。その名の通り、1994(平成6)年まで八幡町役場として使われていたそうです。平成10年には登録文化財に指定され、現在この内部は郡上全域の特産を扱う売店、観光案内所としてまだまだ活用されています。
その中に、「こびり処」という食堂があるのですが、どうやらそこで食べることが出来るようです。
見れば、記念館周辺には「奥美濃カレー認定」の黄色地に赤で書かれた目立つのぼりが立っています。
実は、奥美濃カレーは体験済だったりします。
去年の6月、富士宮で開催された「B-1グランプリ」で食しました。もうそれで一目惚れです。ほのかな味噌味が、あんなにカレーと合うとは、思いもよりませんでしたね。
そういう背景もあって、ぜひ本場で食べてみたかったわけです。
郡上八幡旧庁舎記念館の奥美濃カレーは、その名も「甘味噌いのちゃんカレー」。
最大の特徴は、猪肉を使ったコロッケが入っているところ。減農薬米、サラダ・漬け物付きで750円ですから、まぁ値段はこんなものですかね。
味はおいしかったですよ。カレーは普通においしかったんですが、やはり猪肉コロッケと味噌が加わると、何倍もおいしくなります。
奥美濃カレーのおいしさを、再確認できました。
郡上といえば、盆おどりや食品サンプルも有名ですが、古くから知られた郡上味噌もまた有名なんですねぇ。清流どころは、いろいろ名物があって、実にうらやましい。

その後は記念館内の売店で買い物をしたり、また橋の上から飛び込む人を見たりしました。
そうこうしているうちに、時間も三時近くなり、大垣のSとの別れの時間となりました。
一度、荷物を置きに行くついでもあって、駐車場へと引き返します。
また来るべき再開を願い、Sとはここでお別れです。Sは華麗に走り去っていったのでした。

さて、Sと別れたとはいえ、まだ3時を回ったばかりです。
まだサンプル体験までは時間があります。気ままに土産物を探すため、「流郷の里」にて買い物に興じます。
また別の食品サンプルの店で物色します。名前は失念してしまいました。さんぷる工房とはまた違ったものが並びます。やはり、いいなぁと思うものは高いですね。
これからさんぷる作りを体験するというのに、買うこともないかなぁと…。
そんなふうにしていると、あっという間に約束の時間近くになりました。
まだ少し早かったのですが、前の組の人の手つきを見ることも勉強になるだろうと、少々早めに店に入ります。

普段は、天ぷらかレタスか、どちらかを作れるそうですが、時節はお盆。大量に客が押し寄せさばくのがやっとのようですので、天ぷらのみの挑戦となります。
見れば、ショーケースの中には俗に天ぷらのタネと言われるような食材のサンプルが並んでいます。
海老・カボチャ・さつまいも・なすなどのほかにも、椎茸や大葉なんていうものまであります。
どうやら、この中からいくつか選んで、衣の部分を作るようです。
今からどれを選ぶか考えます。
天ぷらっておいしいですよね。嫌いなものなんてありませんよ。
うちは結構なんでも天ぷらにするので、パプリカやちくわ、なるとなんかも食べますね。そういった点でも、何を選ぶか決めかねたんですけど、やはり海老は外せません。
普通、天ぷらといえばエビ天を指すのは暗黙の了解…ではないですか? それから、変人として名を馳せるわたしですから、誰も選ばぬようなものをチョイスします。
好き嫌い激しいピーマン、それから一見すると何だかわからない穴子。
この三つを選ぶことを決めました。
そして、とうとうその時が来ました。係の人が
「Kさま、四名様」
と呼ぶので、いざ柵で仕切られた体験場へと入っていきます。

今日の一枚は、昼ご飯で食べた『甘味噌いのちゃんカレー』です。
ぜひ一度、ご賞味あれ。


美濃探訪記(5)

2008-08-24 22:31:28 | 旅行記
郡上八幡が発祥といわれており、また全国シェア50%を誇るものといえば、何だかわかりますか?
最近は頭脳系クイズ番組なんかで有名になりましたけど、食品サンプルです。
郡上市に入ってまず目に入ったのが、「いわさき」という大きな看板でした。「いわさき」というのは、世界で初めて食品サンプルを商売にした「株式会社いわさき」のことで、郡上はその創設者である岩崎龍三氏の出身地なのです。
というわけで、その体験ができる施設が、郡上市にはいくつかあります。
もう最初に郡上八幡に行くというときから、Kと食品サンプル工作体験をしてみたいなぁと話をしておりました。
そして、その食品サンプル体験をこの旅行のメインにしようと。
そう勝手に考えていたのです。
郡上八幡城の駐車場わきの、売店のおばさんに教えてもらった「突き当たりを左・右・左」という言葉を頼りにいくと、そこにあるのが「食品サンプル創作館・さんぷる工房」。
もう、すんごい人だかりです。
立地もいいし、建物自体も周囲よりも一つ抜け出しています。とても目立つところにあって、人通りも文句なしです。
とにかく、さんぷる工房に入り、サンプル作成体験の予約をします。聞けば、体験は16時半からになるといいます。しかし、Sは3時ぐらいに帰らねばならないので、これを受けることはできません。仕方なく、K・O・Mとわたしの四人分を予約します。
その後、サンプル工房でしばし買い物。食品サンプルを用いたキーホルダー・ストラップ・マグネットなどが主です。
飲食店のショーケースに入っている本物の食品サンプルも販売されていましたが、値段は張りますよ。5,000~10,000円ぐらいします。
もちろん、わたしは断念しました。みんな、散財して店を出ます。

時間は、13時ぐらいだったでしょうか。そろそろ飯時、ごはんを食べようじゃないかということになりました。
さて、わたしはぜひ、郡上にきたらぜひ食したいものがあります。
それが、郡上周辺のご当地グルメ、「奥美濃カレー」です。
奥美濃カレーの定義は、まず郡上味噌を用い、周辺土地で採れた食材をふんだんに使うことです。
この二つを伴えば、牛だろうが鳥だろうが豚だろうが、ニンジンを使おうがじゃがいもを使わなかろうがいいそうです。詳しくは、リンク先をご覧ください。
で、せっかく岐阜にきたのだから、この奥美濃カレーを食わずにおられようかということで、奥美濃カレーを食せるところを探します。

そんな途中の出来事です。
橋の両側の手すりに多くの人が群がっています。そして、様々な歓声とともに、何かが水に飛び込む音がします。
そう、ここ郡上町を貫く吉田川は、飛び込みのメッカです。多くの観客につられててすりに寄りかかると、意外なほど多くの人たちが川遊びに興じています。
さすが、清流をもって知られる郡上八幡です。
その様子を眺めていると、Kが「奥美濃カレーが食べられるところを見つけた」というので、そちらの方に向かいます。

というわけで、やや短いですが、勘弁していただいて。
今日の一枚は、「おもしろき食品サンプルの世界」。
最近のサンプルの世界は、食品のみならず、昆虫なんかも精巧に作るようです。
いやぁ、生で見ると本当にわからないものです。

美濃探訪記(4)

2008-08-22 21:30:08 | 旅行記

電話の主は、誰あろう我がゼミのエース…大垣のSでした。
K曰く、「お前ら、どこおるん?」
「え、美濃市の○○(コンビニ)だけど」
「じゃあ行くから、ちょっとまっとれ」
というようなやりとりだったようです。やってきたSの言うことには、Sの母方の実家が美濃市で盆の送り日だったこともあって、こちらにやってきていたそうです。
夕方には精霊流しをやったなんて話をしつつ、宿に戻ります。当然ながら、Sは車ですのでお酒は飲めません。
Sから衝撃的な告白を受けたり、つもる話をしながら、また布団の上でプロレスをするなど子どももびっくりの悪ふざけを散々して、Sは帰って行きました。
そういえば、美濃名物の巨峰を供え物からくすねて、また大垣名物・水まんじゅうを買ってきてくれました。
すでに満腹状態で、しかも双方ともに保存が利かない生ものですから、すっかり困窮してしまったのですが、Kはぶどうが嫌いだというし、じゃあとわたしは巨峰をモリモリと食べました。KとOは水まんじゅうをつるりと食べ、残りは明日にしようと冷蔵庫にしまっておくことにしました。
しかし、この水まんじゅうがまたしても悲劇を招くことになろうとは、知るよしはありませんでした。

翌日。
これまたすばらしくおいしい朝ご飯を頂き、まずは長良川鉄道梅山駅に向かいます。
本日から合流する磐田のMを迎えに行くのです。
運転は、日頃はばりばりのライダーで、車に関しては実に二年ぶりに運転をするという、平塚のOが担当します。
二年ぶりとはいえ、危なげない運転で、無事に梅山駅に到着。遠路遙々、磐田から美濃梅山までやってきたMを迎えることができました。
それから、昨晩、Sと合流したコンビニに行き、一晩ぶりにSと合流。
これで、この旅の仲間が勢揃いしました。
まったく予定通りに、メインの郡上八幡に向かいます。
本当は郡上八幡に宿が取れればよかったんですが、何せこの時期は広く知られた郡上踊りのまっただ中。しかも、13日から続く徹夜踊りの最中ですから、言うなれば一番混雑する時期なわけです。

美濃市から郡上市まではおよそ30㎞。近い距離ではありませんし、峠道ですから、決して近いとはいえません。
釣り人が無数に散らばる川沿いを北上し、一路、郡上市へと向かいます。
本日最初の目的地は郡上八幡城です。
え? 意外と地味? そんなことはありませんよ。岐阜城ほどではありませんが、今日の郡上八幡の基礎となった立派な城です。近年でいえば、功名が辻で著名となった山内一豊夫人(千代、と言われていますが、実はわからぬそうです) の生家とも言われています。
築城は、1559年。奥美濃の国人領主であった遠藤氏が築きました。と、同時に、この遠藤氏が千代の生家でもあります。
しかし、まもなく城を追われ、同じ国人領主であった不破氏へと身を寄せます。この時期に空気を敏感に感じ取る力を養ったようですね。

さて、先述の通り、おそらく今が一番混雑する時期です。
郡上といえば、郡上踊り。しかも、盆の時期に行われる徹夜踊りは、毎晩場所を変えながら、踊り明かすそうですから、大変です。立て看板によれば、夜の8時から朝5時までかかるそうですから、そのエネルギーたるやかなりのものですね。
裏を返せば、午前中は充電の時間なのでしょうか。町は意外にも静かな印象を受けました。
Sの車のカーナビを頼りに、郡上八幡城に向かいます。
郡上八幡城も、立派な山城です。金華山のように険しい山ではありませんが、それはしっかりと天守への道が舗装されているからかも知れません。
本当は頂上まで車で行けるのですが、止められる台数も少なく、止められなかったら難儀だというので、山の中腹にある駐車場に車を止め、城までは徒歩で向かいます。
車道もあるのですが、うねうねと連続するカーブで遠回りになってしまう。そこで、歩行者用にショートカットコースがあり、そこをふざけながら歩いていきます。
10分も歩けばもう城です。

城門の前には売店などもあり、けっこうな賑わいです。
早速、入場料を払って、入城します。
実はこの郡上八幡城、再建した木造模擬天守としては日本最古のもので、市の有形文化財に登録されているそうです。
中はやはりちょっとした資料館です。展示の中心は、歴代城主である遠藤氏・金森氏・青山氏などのゆかりのあるもの。また、山内千代の内助の功ですね。
それから、この城のある郡上八幡は、美濃の山奥にある狭い土地ですが、それゆえに歴史的事件がありました。歴史の教科書にも載っていましたし、映画化もされた、郡上一揆の舞台でもあります。
ここでも書きますが、お城のメインは天守からのその大絶景なのです。
岐阜城からの眺めは濃尾平野を広々と見渡せる、まれに見る大パノラマ風景でしたが、郡上八幡城は川の流れを見つめる風景です。
郡上は古くから名水の郷。町の中央を流れる川は豊かな水をたたえ、浅瀬には釣り人が見えます。山間を縫うように流れ、やがて長良川に合流するわけですね。
岐阜城のような平野の風景は天下人の気分を味わえますが、このような田舎の風景はその土地の殿様気分になります。
そんな殿様気分を満喫して、下界に下ります。
そして、車はそのままにして今度は町中散策です。本日のメインイベント会場へと向かいます。

今日は「郡上八幡眺望」。
なんかほっとすると思ったら、まるで都留市みたいです。


美濃探訪記(3)

2008-08-21 21:08:47 | 旅行記

金華山ロープウェーは、岐阜公園にある岐阜公園駅と金華山頂駅を約三分で結ぶ、便利なものです。
ロープウェー上から眺める三重塔の美しさは格別です。新緑一色の山中に、朱がまぶしい三重塔は、それだけで絵になります。
金華山頂にあるのは城だけではありません。リス村もあります。
考えてみれば、小田原城内には動物園があり、犬山城にはサル山があります。なぜ、城に動物園があるのか不思議なのですが、まぁ土地が余っているとか深い理由ではないようです。例えば、防犯に役立つとか。サルじゃぁわかりませんけど、リスでは…ちょっとねぇ。
とにかく、脇目もふらずに岐阜城へ向かいます。整備された道を行くだけでも、その大変さを身につまされます。これが合戦時、未舗装の道を頭上からの矢や岩石、たぎった油などの恐怖におびえながらひた走っていくものと思うと、ぞっとしますね。
ロープウェーの駅から歩いて十分ほどで岐阜城に着きます。
入場料を払って、入城。
金華山に城が建ったのは、1201年のことですから、鎌倉時代のことです。
昨日も書きましたが、岐阜は東海道・中山道・北陸街道などの諸街道が交差する交通の要衝です。一時的にせよ、政治の中心が東国に移ったこの時代、鎌倉と京阪を結ぶ街道が交わる岐阜の地は戦略上重要なものとなったのでしょう。
この地に守護として配されたのが、斎藤氏でした。特に、室町時代に斎藤妙椿(1411~1480)が現れるとその権力は増大し、数代を経て斎藤道三(1494?~1556)に受け継がれます。
道三の孫である龍興が、信長によって国を追われると、支配権は織田家に移ります。名高い楽市・楽座を布いたのもこの土地だったと思います。1582年に信長の野望は潰えますが、岐阜の重要さは変わらず、遺志を継いだ羽柴秀吉は岐阜の地は信長の孫・秀信(1580~1605)に預け、自分は大坂に大坂城、京には聚楽第という巨城を築いて移り住みます。
秀吉の死後、関ヶ原の戦いで最初に東西軍の激戦が繰り広げられたのも、ここ岐阜城です。
ほかの城と同じく、城内は博物館となっており、甲冑刀剣・書画・茶道具などが展示されております。
そして、またほかの城々と同様に、一番の売りは展示でも何でもなく、天守からの眺めなのです。
北には飛騨にまで連なる山地を望み、その裾からはたなびく布のように長良川が流れます。その流れはSがいるであろう大垣の方へと流れていきます。実際には名古屋湾に向かいますが。長良川の脇には意外なほど多くの学校・グラウンドが見え、岐阜城天守の高さを思い知らされます。今期から参入したJ2・FC岐阜のホームグラウンドである長良川陸上競技場も見えます。
そんなおとなしい町並みを眺めているのもいいんですけど、圧巻なのは南東の眺めです。
何と、はるか名古屋駅まで見えるんですよ。思いっきり見えるときは、海までも見渡せそうなほど遠くまで眺めることが出来ます。名古屋駅がでかいのか、それとも岐阜城が高所にあるのが理由なのか、とにかく岐阜城は天下一品の眺めでしたね。
岐阜城もでかいですが、安土城も同じような眺めだったんでしょうかね。安土城の再現は、このご時世では難しい話ですが、ぜひ、眺めてみたいものですね。

岐阜城からの絶景を堪能したところで、今度は金華山を下ります。
途中、まだ当時稲葉山城と呼ばれていた岐阜城が陥落した際、その突入部隊の隊長をしていた木下秀吉が裾野の味方に城を落としたと合図をしたという高台を見たり、岩山のため水が貴重であった岐阜城の人口ため池を見たりしながら、下って行きます。
今、はたと気づいたのですが、秀吉が名を挙げたのは稲葉山城攻めのときだったんですよね。
墨俣一夜城もそうですし、金華山の断崖絶壁を蜂須賀小六正勝(1526~1586)や堀尾茂助吉晴(1544~1611)らとよじ登り、奇襲を仕掛けたのもそう。この後、木下から羽柴へと姓を変え、秀吉の太閤立志伝は始まったわけです。

ああ、いけない。先に進めないと。
何はともあれ、岐阜城を下り、宿へと向かいます。車の運転は、Kからわたしへとバトンタッチ。
岐阜から同じような道を辿って、美濃市へ。酒盛りの買い出しもしなければならなかったのですが、チェックインの時間も迫っているので、買い出しはすっとばして、宿へと向かいます。途中、鬼のように眠くなりながらも、卑猥な言葉を連呼しながら何とか到着します。
五時を回ったぐらいだと思います。
二泊三日の宿は、料理旅館「いずみ荘」です。料理自慢の宿です。露天風呂がいいとか、部屋が自慢でもなく、料理が売りの旅館です。
しばらく部屋でごろごろして、飯前にひとっ風呂浴びようということになりました。
出てくると、さぁじゃあ自慢の料理を頂こうかと食事部屋の部屋へと向かいます。
二泊するということで、Kが気を利かせて一泊ごとにプランを変えたそうです。一泊目は鮎料理プラン。二泊目が飛騨牛プラン。
今日は鮎料理プランです。
ところが、ここで衝撃的な事実が判明したのです。
なんと…! おなかが減っていない。
原因は明白。イタリアンワイン&カフェレストラン・サイゼリアで食べ過ぎたのです。昼間に登山したり、なんやかやと過ごしてきましたが、それでもおなかが減らなかったのです!
しかし、さすがは料理自慢の宿。一口食べると、すばらしいおいしさ。多少苦しくても食べたいという感じです。
何と鮎料理だけでも、甘露煮・塩焼き・刺身・あらの天ぷらとすばらしいラインナップ。
特に、鮎の刺身など食べたことはなく、特にさばいたりしているわけではなく、皮をはいでぶつ切りにしているだけなのですが、身はぷりぷりして、骨はこりこり。このままで食べてもおいしく、付属の酢味噌をつけるとうまさ倍増。文字には表せないですね。
さらに、前菜や天ぷらの盛り合わせ、蕗ご飯や汁物も出てくるのですから、「料理旅館」の名は伊達ではありません。
すっかり食べ過ぎて、部屋に戻ります。
酒盛りもどうするかという話になったのですが、せっかくなのでしようと。
KとOは食前酒を飲んでいましたので、運転は必然的にわたしになります。
近くのコンビニに向かいます。
コンビニで酒や肴などを見繕っていたその時、アノ男からKの携帯に電話がかかってきたのです…。

今日の一枚は、「岐阜眺望」です。
本当は名古屋方面を写したものをのせたかったんですけどね。
やはり、岐阜といえば長良川でしょう!