さじかげんだと思うわけッ!

日々思うことあれこれ。
風のようにそよそよと。
雲のようにのんびりと。

さようなら、2006年

2006-12-31 23:57:19 | 
2006年が終わろうとしています。
社会的には、何かと不安で不幸な事件が続きましたが、わたしの生活としましては、去年からの屁タレ人生を引きずった年でした。
もともと、ガッツがある人間ではないですから、一度凹みますと立ち直るまで引きずりやすい質なのですが、どうにもこうにもなっていない2006年でした。
まぁブログもプリプリとはじめて、やりたいようにやっていますので、それだけでも大した進歩ではないかなと思っています。
来年は、更なる進歩を目指して、歩いていきたいと思います。
そして、自分の進みたい道を見極めていきたいですね。

では、この場を借りまして。
本年中には実に多くの人に、こんなしょうもないブログを見ていただきまして、ありがとうございました。
多くの話題を提供してくれた友人・知人たちにも、この場を借りて御礼申し上げます。
それでは、また来年お目にかかりましょう。

シリーズ・桃太郎電鉄⑦ 次へ飛ばんと欲す

2006-12-30 22:49:43 | 
見切りで始めた桃鉄風山梨マップが、きっと予想外に広まりそうなので、ここで一丁、新しいカテゴリーを作ってしまおうかと思います。
2006年ももう終わりですし、来年頭からがつんと新シリーズを始めちまおうということでもあります。
その名も『桃鉄風山梨マップ』。
こいつでいこうかと思います。
まぁ、見切りで始めたものですから、みなさまの腑に落ちない点もあるかとは思いますが、広い目で見てやってください。

というわけで、「シリーズ・桃太郎電鉄」はひとまず完です。

20.Belize

2006-12-29 22:38:58 | 『万国巡覧記』

ベリーズ 
(Belize)

1.面 積  22,963km2(四国より少し大きい。日本の約16分の1)
2.人 口  25.3万人(2004年 ECLAC)
3.首 都  ベルモパン(人口:1.1万人)(日本との時差:-15時間)
4.人 種  混血(メスティーソ)49%、クレオール黒人系25%、マヤ族11%、ガリフナ(黒人とカリブ族の混血)6% 他
5.言 語  英語(公用語)、スペイン語、クレオール語、マヤ語、ガリフナ語
6.宗 教  カトリック、英国国教会、メソジストなど
7.主要産業 林業、砂糖、柑橘類、水産物
8.GDP  843.1百万(2004 世銀)
9.一人当たりGDP 2,970ドル(2004 世銀)
10.通貨・為替レート ベリーズ・ドル、1米ドル=2.00ベリーズ・ドル(固定)
13.3文字コード BLZ(ISO,FIFA)、BIZ(IOC)
(外務省HP)

ベリーズは、俗に中米と呼ばれる地域に位置する小国です。
バルバドスと同じく、英国王を国家元首とし、イギリス連邦を構成する国の一つで、旧称は「英領ホンジュラス」。ホンジュラス湾の向こうにはホンジュラス共和国があります。
「カリブの宝石」と呼ばれる、美しい海と珊瑚礁に囲まれた国でもあります。
沿岸部はマングローブが生い茂っているといいます。
1981年9月21日に独立し、その日には「カーニバル」が開かれ、この国が一年で一番盛り上がる日だといいます。

地理的にはユカタン半島の付け根部分に当たりますから、太古の昔はマヤ文明が栄えていた地域です。
特に、ベリーズ周辺はとりわけ古くから栄えていたといわれ、オレンジウォークにはマヤ最古の時が発掘されたクエリョ遺跡があります。
また、同じくオレンジウォークにあるアルトゥン=ハ遺跡には、遠く離れたメキシコのテオティワカン文明の影響が見られ、文明間の交流があり、かつ流行り廃りもあったことが見受けられます。
中世以降、メソアメリカの文明都市が衰退していく中でも、カカオなどの産地でありかつ交易中継点だったこともあり、ベリーズ国内の都市は繁栄を続けた言います。
しかし、1524年にスペインの探検家・エルナン・コルテス(1485~1547)により征服され、17世紀までには、当時スペインが自治権を与えていたグアテマラの統治下に入ります。
ところが、実質的に力が及んでいなかったこともあり、ベリーズ沖のセント・ジョージ島にイギリスの上陸を許し、定住していきます。
そこで、スペインとイギリスが外交合戦を繰り広げるわけですが、パリ条約(1763)やヴェルサイユ条約(1783)を経て、とうとうイギリス領としてしまいます。
その後、調子に乗ったイギリスは本土に上陸し、戦いの末にベリーズ全土を奪ってしまいました。
1821年にグアテマラが独立すると、イギリスの不当占拠っぷりを再度糾弾し、外交に持ち込みました。
道路建設などの経済的なメリットをグアテマラに与えることで急場を凌いだイギリスは、ジャマイカ総督管轄の直轄領「英領ホンジュラス」として植民地宣言して、またしても既成事実を作ってしまいます。
しかも、作ると約束していた湾岸道路を作らなかったというのですから、イギリスもまぁなんというか…。
グアテマラから見れば卑怯な手で「自国領」をかすめ取られたわけですから、以後1980年代中盤に、グアテマラがベリーズの統治権を放棄するまでこの二国は険悪な関係になるわけです。

イギリスといえば、悪名高き「二枚舌外交」の使い手ですが…中東のみならず、中米にも種をまいたのだと思うと、何ともいえませんね。
でも、外交ってのはそういうものなのかも知れませんが、しかし…。


三十

2006-12-28 22:45:21 | 『おなら小説家』
一方の草田男も、作家としての経験のなさというものを危惧しており、指導するほどの思想も技術もないことを伝えた。そこで今回は講演という形で生徒の様子を見た上で話を決めたいということを話した。
早速話を詰め、翌々週の日曜日に高校近くの公民館でやろうと言うことになった。
須飼は何度もお礼をして、よろしくお願いしますと何度もお辞儀をして帰って行った。

その日がやってきた。
講演とはいっても、座談会形式のごく小さいものであるので、これといった準備をしていったというわけではない。
仕事鞄に、原稿を詰め込んだだけであった。
その原稿だって、本当に使うかどうかは分からない。ただあったら便利そうだということで、詰めただけである。
電車に揺られ、その高校の最寄りの駅に着いた。
駅には、すでに須飼先生が車で迎えに来ていた。運転席の真後ろの席に座り、車は公民館へと向かった。
最中、須飼は盛んに話をしていた。高校の話、校長の話、同好会の話。そのどれもがとりとめのない話であった。
信号待ちの最中に、須飼は同校会員の名簿をくれた。
全8名。上から名前順に並んでいる。男子5名、女子3名。
その中の、一番上のがうちの会長です。と須飼は前を見ながら言った。やはり、なかなか筋がいいのですよ。そいつは。素人目にも、ともいった。
名は斧子根立起(おのこね・たつおき) といった。
今年高校2年で、地元の文学賞では佳作をとったと、補足の欄に書かれていた。

公民館に着いた。
駅から10分程度、市の南西にある建ってからしばらく経た建物であった。
スリッパに履き替えて、公民館2階の部屋に入った。
そこには机を「ロ」の字に並べ、着席している高校生らがいた。みな、緊張の面持ちでいた。…ただ一人をのぞいては。
窓際の席に座った男子学生だけが、草田男に挑戦するかのような厳しい目を向けていた。
草田男が席に着くと、須飼が、斧子根さん、号令をかけなさい。とその厳しい目の男子学生に指示を出した。
その学生こそが、「屁涙会」会長・斧子根立起であった。

19.Belgium

2006-12-25 21:32:12 | 『万国巡覧記』

ベルギー王国 
(Kingdom of Belgium)

1.面 積  32,545km2(日本の約12分の1)
2.人 口  1,045万人(2005年)
3.首 都  ブリュッセル
4.言 語  オランダ語、フランス語、ドイツ語
5.宗 教  キリスト教(カトリック)が大勢
6.主要産業  金属工業、食品加工工業、化学工業、機械工業
7.GDP(名目) 2005年 3,708億ドル(OECD) 
8.一人当たりGDP 2004年 30,900ドル(OECD)
9.通貨 ユーロ
10.3文字コード  BEL
(外務省HP)

先日12月13日の夜、衝撃的なニュースが飛び込んできました。
なんと、「ベルギー北部フラマン地域がベルギーからの独立を宣言した」というのです。
発信元は、公共放送RTBF。日本でいうなれば、NHKです。
「国王アルベール二世はベルギーを去り、コンゴ民主共和国に向かった」とまで報道し、ベルギー国民を驚愕させました。
…ところが、この放送。みなさんもご存知の通り、RTBFのどっきり放送でした。
まぁまぁよかったなぁと、国民の皆さん思っているのかと思いきや、放送局の思惑通りに「分裂論議」に火が付いてしまったようです。

このニュースからもわかるように、実は平和そうなベルギーでも民族間の対立が激しいのです。
民族間といっても言語圏の相違で、フラマン語を話す北部フランドルとフランス語を話す南部ワロン地域の対立です。
その境界線は、国のほぼ中央を横断しているということで、上記の北部と南部、それにブリュッセルを中心とする首都地域圏と3つの言語共同体の、計6つの組織から成り立つ連邦制を取り入れています。1993年からのことです。

ところで、北部フランドルの英語名はフランダース。フランダースといえば、イギリスの作家ウィーダ(1839~1908)の『フランダースの犬』が有名ですね。
しかし、ベルギーではメジャーとはいえない作品です。
結末が非常にアンハッピーで、全体的にベルギー人があまりよくなく描かれていることなどから、ベルギーでは敬遠しがちなようです。
その『フランダースの犬』の最後は、フランドル地方の偉大な画家ピーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640)の絵を見て、精神的幸福の中で天に召されるわけですが、ベルギーは絵画芸術の国でもあります。
ルーベンスをはじめとして、兄は油絵技法の大成者、弟は稀代の画家のファン・エイク兄弟(兄ヒューベルト?~?、弟ヤン1390?~1441)、バロックのアンソニー・ヴァン・ダイク(1559~1641)、フランドル地方の民の生活を巧みに描いたピーテル・ブリューゲル(1525?~1569)など、ルネサンス期に活躍した画家も多いのです。
また、近代ベルギーではジェームズ・アンソール(1860~1949)、ルネ・マグリット(1898~1967)などが出て、20世紀絵画に大きな影響を与えました。
その他にも、「ジュール・メグレ警部」シリーズのジョルジュ・シムノン(1903~1989)、楽器サクソフォーンの制作者アドルフ・サックス(1814~1894)など、芸術方面で多くの才能を生み出しました。

わたしの中で、間違いなく一番有名なのは、エルジュ(1907~1983)。
誰だか分からない?
では、タンタンとスノーウィではどうでしょう?
「タンタンの冒険」シリーズの作者こそが、エルジュです。
本名はジョルジュ・レミといい、児童向け新聞から有名な上記のシリーズが生まれたのです。
「タンタンの冒険」は大人気でしたね。
小学校の頃のことですが、漫画ですからね。人気は抜群でした。難しい漢字もあるのですが、それでもあの独特の世界観は他の書物にはないものでした。
特に、あれです。ハドック船長が好きで、その口癖の「コンコンニャローのバーロー岬」は今でもたまに口をついて、出てきてしまいます。
いいですよね。わたしも、海の男になりたかった…しかし、山梨には海がなかったのです。泳げないですし。

そんなこんなで、一度はいってみたい、ベルギーです。


へたれ人生の慰め

2006-12-24 22:19:06 | 
今日も、わたしが子どもの頃に読んだ伝記から話をしましょう。

わたしが生まれて初めて読んだ伝記は、『学研まんが伝記シリーズ・ファーブル~こん虫の探検者』(大野進/構成 よこたとくお/漫画)でした。
ジャン=アンリ・ファーブル(1823~1915)はフランスの生物学者です。かの『昆虫記』の著者であることは、みなが知るところです。
子ども時代は、家庭の事情により祖父の家に預けられました。自然豊かな土地で過ごした約4年間は、ファーブルに大きな影響を与えました。
7歳で家族のもとに戻ったジャン=アンリは、両親が教育に理解があったこともあり、勉強をしつつもいたずらもする立派な子どもに成長しました。
しかし、10歳の時にロデズに一家で引っ越しましたが、父の事業が失敗続きで15歳のときに一家は離散してしまいます。その四年間も、ファーブルは勉学に励みます。
勉強を続けたくもその日の食事にも事欠く有様。肉体労働で日々の生活費を稼ぎつつ、自学を続けます。
その後、アヴィニョンの師範学校で生徒を募集していることを知り、受験をします。トップの成績で合格し、卒業も主席でした。
カルパントラのビクトル・ユーゴー学院で数学と物理学の教師として赴任し、のちにコルシカ島に渡り数学の勉強に励みます。
しかし、コルシカ島でのダンカンという医師との電撃的な出会いにより、彼はじょじょに昆虫の世界に惹かれていきます。
それまで、直感的で感覚的に眺めていた昆虫を解剖学や行動学という理知的感覚で捉えることを学び、ファーブルは昆虫学に傾倒していくことになります。
コルシカ島から帰ったファーブルは、茜染料の研究で成果を収め、フランスの権威ある賞レジオン・ド・ヌール勲章を受けます。
しかし、いつの時代や場所でも、実力で勝ち上がってきたにも関わらず、「成り上がり者」として疎ましく思う人間が出てきます。
ファーブルも、そういった差別を受けた一人でした。
彼はそういった古い人間との確執に失望し、アヴィニョンを離れセリニアンという町に移り住みます。そして、そこで亡くなるまでの36年の間、昆虫の研究に没頭するのです。
以後、ファーブルは極貧の生活を強いられますが、その生活はいかに充実していたことでしょうか。

わたしの理想の生涯は、ファーブルです。
子どもながらに、こんな一生を送れたらどれほど幸せだろうかと思ったものです。
例え、金や名声、あるいは組織に属さずとも、やりたいことをして生きていけた人がいるのだと思うと、わたしはほっとするのです。

ファーブルの人生は、
「人生を恐れてはいけない。
人生に必要なものは、勇気と想像力。
それとほんの少しのお金だ。」
という喜劇王チャールズ・チャップリン(1889~1977)の言葉とともに、わたしのへたれのような人生を慰めてくれるのです。

そんなジャン=アンリ・ファーブルは、昨日12月23日に生を受けました。

シリーズ・桃太郎電鉄⑥ 道路の必要性

2006-12-24 02:25:56 | 
前回は桃鉄16の感想を書かせていただきました。
今回は、桃鉄風山梨観光マップの続報です。

鉄道駅の洗い出しも終わり、物件も考えました。
これで、準備万端…と思ったのですが、考えてみれば、山梨ってのは実は鉄道網が発達しにくい土地ということに気付いてしまいました。
というのは、県土の8割が森林に覆われ、山ばかりの山梨では、電線や線路を敷設し定期的な細かいメンテナンスを必要とする鉄道よりも、車道の方が普及しているのです。
モータリゼーションの進度も速く、主な商業施設が甲府市郊外に集中していることもあって、もはや車がなければにっちもさっちもいかない状態です。

では、山梨の観光マップを作ろうとしているのに道路を考慮しないというのは、木を見て森を見ずということになってしまうのではないか。
と考えました。
そこで、また新しい駅を増やすことにしました。
今度は道路沿いに、主要な市町村を配置することにしました。
平成の大合併で消えてしまった町村ありますが、特に思いついたものを載せてみることにみました。
これで14駅増えましたので駅も、135駅ということになります。
がーん、狭い山梨に駅が135駅。
ちょっと多い気もしますが…まぁいいということにしましょう。

さて、では次回から物件駅を細かく見ていくことにしたいと思います。

国名コードについて

2006-12-22 22:46:23 | 
先日12月15日、2週間に及んだドーハ・アジア大会が幕を閉じました。
日本は、予想ほど活躍ができなかったようですが、まぁ毎回毎回こういう国際試合のあとってのは、同じことばかりいいますよね。

さて、アジア大会やワールドカップなどの世界的な大会になると、実は密かに楽しみにしていることがあります。
それは、選手名の傍らに国旗と3文字のアルファベットが並んでいるのを見ることです。
いや、わからないでしょう。そうです、わかってもらえなくてもいいんです。
その国旗と3文字のアルファベットを見るのが楽しみなんて、わたしぐらいなものでしょうから。
いいんです、わかってもらえなくても。
国旗はわかると思います。国と地域の象徴ですから。
大体それだけ見ても楽しめるのですが、さらに奥が深いのが3文字のアルファベットなのです。

3文字のアルファベットは「国名コード」あるいは「国コード」と呼ばれています。
ISO(国際標準化機構)という組織が定めたもので、ISO3166と言われます。
国名だけにとどまらず、州や都道府県などにも付けられています。
アルファベット3文字か2文字、もしくは数字3文字から構成され、国名に付けられたコードをISO3166-1、州や都道府県などに付けられたものをISO3166-2といわれています。
これらをつけることで、国名をわかりやすく経済的・効率的に表示することができるのです。
普通、国名コードというのはこのISOを指すのですが、実は他にも国名コードが存在します。
他の組織が独特の3文字コードを制定しているのです。おおまかには同じなのですが、細かい国や地域が違っているのです。
例えば代表的なのは、国際サッカー連盟のFIFAコードや国際オリンピック委員会のIOCコードなどがあります。
当然、それぞれ独自に作っていますから、被ってしまう文字コードもあるわけで、それらは使わないようにしているようです。

ところで、ご存知かも知れませんが、先日から『万国巡覧記』のデータのところに3文字コードを付け加えました。
代表的なISO、ICO、FIFAの三つのコードを載せています。
これを見て、「GER? あぁこれはドイツだよ」とか「TTO? あぁこれは、トリニダード・トバゴ」とかいって、国際試合がさらに楽しくなればいいなぁと思います。
…いや、むりですか?

二十九

2006-12-21 21:56:44 | 『おなら小説家』
海彦には返事を先延ばしにして帰ったもらい、恵美に相談した。
恵美もことがことだけに、軽々しい発言は控えているようだった。
この間の、記者会見のときの突飛な行動が嘘のようである。
困ったときは、桂木先生にお聞きになるのがよいのではなくて、と恵美が忠言したのはそれだけであった。

それから翌々日には桂木氏の家に赴き、ことを相談した。
桂木氏は哄笑した。
やりたければおやりなされ。やりたくなければやらないのがよい。もし不安なら、先方がどんな顔をしているか、見てくるのがよいでしょう。と言ってくださった。
自分のように経験値が少ない人間にもできるかどうか、自分の目で確かめてこいというのである。
百聞は一見にしかず、ということであった。

その日のうちに海彦に連絡を取り、講演会という名目で生徒たちの顔を見てから決めたいという旨を伝えた。
海彦も納得して、では後日また連絡しますと電話を切った。
その次の週の土曜日には、先方の国語教諭・須飼仙利(すかい・たかとし)と話をすることに決まった。
須飼仙里は恰幅の良い人で、しかしだらしないというわけではなく、身なりも小ぎれいで話し方にやや癖があるものの、穏やかな物言いが好印象を与える人物であった。
須飼は、学校は進学校とはいっても中堅程度の学力で、頭がよいわけでも悪いわけでもない。しかし、何か一分野に突出して卓越している生徒が多く、そういう生徒は将来性に乏しく、自分の得意分野をいかした夢や憧れの職業に流されてしまう傾向にあるといった。
わたしはそれもけっこうと思うのですが、ならば高校のうちに様々な経験を積ませてやりたいと思って、物書き志望の生徒に同人会を作らせたと、話を続けた。
須飼が話すには、会員は8人で須飼が顧問を買って出た。とはいうものの、やはり文学の批評は難しく、須飼の手に余ってしまう。そこで、誰か外部から講師を招くことにしたと話を閉めた。

宇宙の外

2006-12-19 22:27:27 | 
130億年前の誕生直後の宇宙、NASAが画像を作製(読売新聞) - goo ニュース

137億年前の宇宙を捉えたそうです。
137億年…ビッグバン直後の宇宙の姿だそうです。
地球が生まれて47億年ですから、それよりもさらに90億年も前のことなんていって、想像もつきません。
科学的な研究が行われているとはいえ、一般人から見ればSFじみた常識ですよね。

宇宙ってのは、常に広がり続けるものというのは、理科の地学の授業で脱線話として聞いたことがあります。
昔は、宇宙というのは常に変化しないものと考えられ、それが1920年にアメリカのエドウィン・ハッブル(1889~1953)が膨張していることを発見してから、広がり続けるものであると常識が塗り替えられました。
じゃあ今度は、宇宙に限界があることはわかったが、拡大の限界はあるのか。ということが興味の対象となり、無限に広がる説、ある時点で再び縮小をはじめビッグバンの前の状態に戻る(ビッグクランチ)説、宇宙の加速膨張に宇宙内部が追いつかず、素粒子レベルでの崩壊が起こる(ビッグリップ)説など、いつになることやらわからない未来の仮説が出されました。

わたしは、ビッグバンのことを考えると、それこそ頭がクラクラします。
なぜなら、ビッグバンが起こって宇宙が膨張しているということは、宇宙は内側のわけではないですか。外がなければ内もなく、また外がなければ広がることもできないと考えるのが、普通ではないでしょうか。
ということは、宇宙には外があるんですよ。
もしかしたら、ロシアの伝統工芸品のマトリョーシカのように、外には外があるかも知れないのです。
ビッグバンが始まる前の世界-つまり、宇宙の外の世界は、よく「無」なんていわれるではないですか。
何もない世界…時間も空間もないということの意味がわからないのですが、もしかしたら、宇宙の外の、いわゆる「無」の世界はでかい水槽みたいなもので。
ビッグバンてのは、その水槽に水を吸ってふくらむ人形を、ぼちゃんといれたみたいなもので。
実は私たちがいる宇宙のほかにも、水槽に投げ込まれた人形がいくつもあるとして、そうしたらわたしたちの宇宙以外にも宇宙があるかも知れないわけで。
すると、いつかぶつかってしまうかも知れない。そうしたら、宇宙ってどうなっちゃうんでしょうね。
星と星がぶつかるかように、縮小時期を迎えることなく崩壊してしまうかもしれませんね。

まぁ自分らの住んでいる宇宙のことを知りもしないのに、外の心配をするなんて、我ながらお馬鹿な奴ですね。
いやぁでも、壮大過ぎて、頭がクラクラしてしまいますねぇ。