先日、ガンダムの話をしましたので、わたしのガンダム話を書きましょう。
わたしは、俗に宇宙世紀という一連の時系列上のシリーズから、その世界に足を踏み入れたわけではないのです。
わたしが初めて見たガンダムは、『
機動武闘伝Gガンダム』でした。
ガンダムといえば、そのころからすでに一部の熱狂的なファンがいることで有名でしたし、その前には、テレビ上では宇宙世紀の最後の作品となった『
機動戦士Vガンダム』もやっておりましたので、その存在は知っておりました。
しかし、なぜVガンダムを受け入れなかったかと言いますと、まぁストーリーが複雑すぎてよく理解できなかったのと、なぜかマイケル富岡(1961~)さんのイメージが強かったからです。
なんか、CMに出ていたような気もするんですけどね。よく覚えていません。
ところが、Vガンダムでは極めて難しいストーリー(だったと思うのです)が、Gガンダムでは(序盤は)実に単純無比なストーリー展開ですからね。こいつはガンダム初心者のわたしとしては助かりました。
昔からのファンの方々の中には、ガンダム対ガンダムという構図に馴染めない人も多かったようですが、そこらへん、わたしはすっと入り込めましたね。
事情によって、最後まで見ることはできなかったんですけど、まぁわたしをガンダムの世界に引きずり込むには十分でした。
それから、『
新機動戦記ガンダムW』を見て、『
機動新世紀ガンダムX』は突然、土曜の朝六時に時間が移動するまでは見ておりました。
ストーリーはいまいち理解できてなかったのですが、それでもその存在と深い世界観はやはり同類のアニメの追随を許さないものでした。
それでですね、基本的にはこの三作品は時系列が宇宙世紀ではなく、アナザー・センチュリーです。
互いの作品に、何の連続性も、人物の関連性もありません。
ただ、ガンダムという兵器を共通項にする、全く新しい世界なわけです。
そしてね、この作品群は、基本的にあまり人が死ななかったんですよ。
GもWもXもね、基本的には人は死ななかったんです。
だから、後日に友人に勧められて、『
機動戦士ガンダムF91』や『
機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を見たときはね、かなりショックを受けたものです。
F91でね、バグっていう、人間の生体反応(体温や二酸化炭素)を感知して自動的に虐殺するっていう恐ろしい兵器が出てくるんです。
説明を聞いただけでも、もういやな感じがするではないですか。
これが正しいガンダム観でないことは間違いないと思いますが、わたしにとっては宇宙世紀のガンダムというのは、「死」の物語にほかなりません。
そして、21世紀に放送された『
機動戦士ガンダムSEED』シリーズや『
機動戦士ガンダム00』も同じなのです。
何でいきなり、21世紀ガンダムの話をしたかといえばですね、今日も人が死んだんですよー。わたし的には、かなりショッキングな死に方でした。
あんな死に様を見せられたら、小学生だったら感動よりもトラウマだと思うんですよね。
人は、仲間の「死」によってのみしか、成長の糸口を見つけられないのでしょうか。
とわたしなんかは思ってしまいます。