さじかげんだと思うわけッ!

日々思うことあれこれ。
風のようにそよそよと。
雲のようにのんびりと。

神戸漫歩記 予告編

2008-03-31 21:36:30 | 旅行記
はい、というわけで二泊三日の神戸旅行から帰って参りました。
コーディネーターのKが配慮してくれて、三日目は移動のみとなりましたので、現時点ではあまり疲れておりません。
例によりまして、また神戸の旅行記を書きたいと思います。

今回は、「漫歩」記としました。
漫歩というのは、訓読みしますと「そぞろあるき」と読むんです。
三省堂『大辞林』によりますと、その意味は「あてもなくぶらぶらと歩くこと」とあります。
基本的に、わたしがゆく旅はノープラン。
わたしとしては、「それもまた楽しからずや」という感じなのですが、ある意味では賭けとも考えられるわけです。
道すがらに面白い物を見つけられればすばらしい旅になりますし、見つけられなければ疲れたという記憶だけが残る旅となります。
今回は、天気に恵まれなかった旅ではありますが、メンバーがいいメンバーでしたし、なかなかいい旅になったのではないかと思います。

できれば明日から。ちょっとずつでも書いていきたいですね。

かいてらすに行ってくる。

2008-03-27 21:40:49 | 
さて、明後日からしばらく神戸の髭神さまのところに厄介になるわけですが、まぁただ遊びに行くというのも何なので、今日はふらりとおみやげ探しに出かけてきました。

神戸のN(髭神)は、大学卒業後、長らく山梨を離れているので、何か山梨名物がいいかなと思っておりました。
ところが、何を買うかと言うことよりも、どこで買うかを迷ってしまいまして。
山梨名物ですから、オーソドックスなところで行きますと、観光地に行くのが手っ取り早い。あるいは、道の駅とか。最近は、スーパーマーケットとかショッピングセンター、百貨店あたりでも取り扱いがあるようですから、そこに行っても良い。
でも、それではあまりにも芸がないので、前々から行ってみたいと思っていたところに行ってみようと思い立ちました。

そこはどこかというと、山梨県地場産業センター、通称を「かいてらす」といいます。
名前からすると、県立施設のようなんですけど、実際はどうなのかはわかりません。
甲府を中心とした、国中地方の地場産業を紹介するという観光施設です。
つまり、山梨の土産物が一堂に会す場所といっても過言ではないわけです。
甲府市東部、善光寺や東光寺がある歴史の香り漂う閑静な地域に、その施設はあります。
山の手通りという通り沿いにありますから、結構、わかりやすいところにあると思います。
で、行ってみたんですけどね。
いや、さすがに地場産業センターと名乗るだけあって、いろいろなものがあります。
食物から工芸、繊維、宝飾など山梨名物といって、みなさんが頭に思い描くものなら何でもそろいます。
ほうとうや吉田のうどんはもちろん、鮑の煮貝や甲州ワイン、日本酒。信玄餅などの和菓子も。
工芸品なら、甲州印伝や和紙、印章。それから、硯なんかもあります。
中でも特に目を引くのは、宝飾品です。
山梨は宝石貴金属加工日本一です。日本一の名に恥じぬ、きらびやかな宝石・貴金属がそこかしこに展示されております。
二階にはレストランがあったり、貸し会議室などもあるようですから、利用価値はなかなか高いかも知れません。
甲府でおみやげに困ったら、その選択肢に加えてみるのも面白いかも知れません。

おみやげは何を買ったかは、また後日のお楽しみ。
神戸から帰ってきたら、また旅行記を書きましょう。久しぶりですねぇ。

戦国武将ブーム

2008-03-26 21:32:54 | 

若い女性に戦国武将ブーム(中国新聞) - goo ニュース

若い女性を中心とする「戦国武将ブーム」が起きている。広島城(広島市中区)の土産物コーナーでも、武将の人形をあしらったストラップをはじめ関連商品の売り上げが急増している。26日の「天守閣再建50周年」を前に、職員は「これはしたり(これは驚いた)」と喜んでいる。

広島といえば、旧国名で言いますと安芸・備後ですか。
安芸といえば、甲斐武田氏と深い縁があるのですが、それは鎌倉幕府にまで遡りますので、ここでは別の話としましょう。
安土・桃山時代の安芸国と言えば、天下に名だたる毛利氏の本国。
その毛利氏の最大版図を築いた毛利元就(1497~1571)は、約30年を一世代だと考えると、武田信玄(1521~1573)からは一つ、徳川家康(1543~1616)は二つも上の世代ということになります。
用兵はもちろん、謀略を駆使して、安芸の小領主から中国地方のほぼ全土を手中に収めたことから、「稀代の謀将」という通り名を持ちます。
いいですね、渋くて。

しかし、まぁわたしには、毛利元就が女性の人気があるようにはとうてい思えないんですけども。
どちらかといえば、お年寄りに人気がありそうです。
家族に囲まれた(かどうかはわかりませんが)老後と最期を迎えた点も、お年寄りに趣味が近いわたしにはポイントが高いんです。
まぁ若い年代で脈があるとしたら、愛妻家で質実剛健(という、わたしのイメージ)がある次男・吉川元春(1530~1586)か、穏和で父譲りの頭脳を持つ(と思う)三男・小早川隆景(1533~1597)でしょうか。
活躍する期間が短かった長男・隆元(1523~1563)や、以下七人の弟たちはやはり影が薄いので、いささかネームバリューに欠けますか。
毛利家はタレントが多くていいですね。

ところで、新聞記事には毛利氏の"毛"の字も出てこないんですけど。
広島城には誰のグッズが売られているんでしょう。
広島っていえば…関ヶ原後に安芸国に封じられたのは、福島正則(1561~1624)ですけど。
イメージから行けば、猪突猛進の武将ですから、女性の人気は…どんなもんでしょうか。
次に安芸に入ったのは、浅野長政の次男で紀州藩主、浅野長晟(ながあきら、1586~1632)ですけど…。
うーん、という感じですねぇ。
まさか…、元就の孫の輝元(1553~1625)ではないでしょうか。
そんな、まさか。ねぇ?

何はともあれ、いずれ広島に行って確かめられたらいいと思います。


コッペパンもメガの時代

2008-03-25 22:15:51 | 
わたしはパンよりもごはんの人間なのですが、今日たまたま、近所のセブンイレブンに立ち寄りましたら、おもしろい商品があったので、思わず手に取ってしまいました。
何の商品かといったら、パンです。

セブンイレブンのパンといったら、「焼きたて直送便」という自社製品が主ですね。
山崎製パンなどのブランド製品は、肩身狭く置かれております。
で、前述の通り、わたしはパンよりもごはん好きな人間ですから、たいていはパンはスルーしておにぎりや弁当方面にいってしまうんですけど、そこで新発売のパンを見つけてしまったので、つい立ち止まってしまいました。
それが、「スーパーコッペ」なのです。
練乳とシュガーマーガリンの二種類が売られており、その巨大さたるやフランスパンと見まがうほど。
ホームページによりますと、130円という値段で600~700kcalという、ギャル曽根(1985~)さんも大喜びのボリュームです。
いえ、まぁ食というものは、お金やカロリーではなくその満腹感や腹持ちも大事なわけですが、その点この商品は優等生ですよ。
本当、おなかが減らない減らない。
折からのメガブームと、いまいちふわふわと落ち着かない景気のおかげで、貧ぼっちゃまなわたしにとっては、大助かりな商品となりそうです。

ところで、問題なのは4月から値上がりするという小麦の値段。
このままサイズを維持することは難しそうですねぇ。
息の長い商品となっていただきたいですね。

焼きほうとう

2008-03-23 21:53:54 | 

目指せ「新名物」、福岡・柳川にウナギ入りバーガー登場(読売新聞) - goo ニュース

ウナギのせいろ蒸しが名物の福岡県柳川市で、ウナギバーガーが話題を集めている。考案したのは、同市京町のピザ店「ハッピー・ウエーブ」。

長崎県佐世保市から火がついたと思われる、ご当地バーガーブームです。
わたしは佐世保はおろか、九州地方でさえ上陸したことがない人間です。しかし、俗に佐世保バーガーと言われるものは、食べたことがあるのです。
池袋のナムコ・ナンジャタウンで食べたんですよ。おいしかったですねぇ。個人的にはバンズとベーコンが決め手ですね。

ご当地グルメといえば、ラーメン・焼きそば・ハンバーガー辺りが定番ですかね。
山梨には天下無双のご当地グルメ・ほうとうがありますが、いつまでもこれに頼るわけにはいきますまい。
新しい味を見いだして、観光資源となるような、そんなメニューを開発しなければいけません。
伊那のローメンの観光資源化が理想的ですかね。

わたしね、考えてるんですよ。
焼きそばや焼きうどんがありますね。
焼きそばといえば、富士宮横手太田あたりが有名どころ。
そう。焼きそばといえば、最近、韮崎市に行きましたら、「韮崎焼きそば」というのぼりが立っておりましてね。
どうやら、韮崎も焼きそばで売り出そうとしているようです。
話が逸れました。
焼きうどんといえば、小倉が押しも押されもせぬ不動の王者です。
だから、わたし思いついたんですよ。
「焼きほうとう」はどうであろうかと。
ほうとうの魅力は、その濃厚な出汁と味噌の味わいと季節の野菜を惜しげもなく入れた具だくさんのところがあるんと思うのですが、同じようなニュアンスで「焼くこと」ができぬものかと。
山梨のスーパーでは、ほうとうの麺は普通に売られておりますので、もしこの構想が形になって受け入れられて市民権を得れば、十分、山梨発のご当地グルメとして、B-1グランプリすら狙えるのではないかと。

とはいえ、別に飲食店を経営しているわけでもなく、商工会議所とも何の関わりのないわたしですから、どうすることもできませんが。
折からの小麦の値上がりを受けて、日本の小麦食文化がどうなるかも注目です。


ガンダムの話

2008-03-22 22:00:54 | 
先日、ガンダムの話をしましたので、わたしのガンダム話を書きましょう。

わたしは、俗に宇宙世紀という一連の時系列上のシリーズから、その世界に足を踏み入れたわけではないのです。
わたしが初めて見たガンダムは、『機動武闘伝Gガンダム』でした。
ガンダムといえば、そのころからすでに一部の熱狂的なファンがいることで有名でしたし、その前には、テレビ上では宇宙世紀の最後の作品となった『機動戦士Vガンダム』もやっておりましたので、その存在は知っておりました。
しかし、なぜVガンダムを受け入れなかったかと言いますと、まぁストーリーが複雑すぎてよく理解できなかったのと、なぜかマイケル富岡(1961~)さんのイメージが強かったからです。
なんか、CMに出ていたような気もするんですけどね。よく覚えていません。
ところが、Vガンダムでは極めて難しいストーリー(だったと思うのです)が、Gガンダムでは(序盤は)実に単純無比なストーリー展開ですからね。こいつはガンダム初心者のわたしとしては助かりました。
昔からのファンの方々の中には、ガンダム対ガンダムという構図に馴染めない人も多かったようですが、そこらへん、わたしはすっと入り込めましたね。
事情によって、最後まで見ることはできなかったんですけど、まぁわたしをガンダムの世界に引きずり込むには十分でした。
それから、『新機動戦記ガンダムW』を見て、『機動新世紀ガンダムX』は突然、土曜の朝六時に時間が移動するまでは見ておりました。
ストーリーはいまいち理解できてなかったのですが、それでもその存在と深い世界観はやはり同類のアニメの追随を許さないものでした。

それでですね、基本的にはこの三作品は時系列が宇宙世紀ではなく、アナザー・センチュリーです。
互いの作品に、何の連続性も、人物の関連性もありません。
ただ、ガンダムという兵器を共通項にする、全く新しい世界なわけです。
そしてね、この作品群は、基本的にあまり人が死ななかったんですよ。
GもWもXもね、基本的には人は死ななかったんです。
だから、後日に友人に勧められて、『機動戦士ガンダムF91』や『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を見たときはね、かなりショックを受けたものです。
F91でね、バグっていう、人間の生体反応(体温や二酸化炭素)を感知して自動的に虐殺するっていう恐ろしい兵器が出てくるんです。
説明を聞いただけでも、もういやな感じがするではないですか。

これが正しいガンダム観でないことは間違いないと思いますが、わたしにとっては宇宙世紀のガンダムというのは、「死」の物語にほかなりません。
そして、21世紀に放送された『機動戦士ガンダムSEED』シリーズや『機動戦士ガンダム00』も同じなのです。
何でいきなり、21世紀ガンダムの話をしたかといえばですね、今日も人が死んだんですよー。わたし的には、かなりショッキングな死に方でした。
あんな死に様を見せられたら、小学生だったら感動よりもトラウマだと思うんですよね。

人は、仲間の「死」によってのみしか、成長の糸口を見つけられないのでしょうか。
とわたしなんかは思ってしまいます。

「一週間、おならの数を数える」

2008-03-21 21:01:46 | 

毎度ばかばかしいやりとりをさらしておりますわたしとKですが、またしてもお馬鹿な遊びを始めました。
それは、「一週間、おならの数を数える」というものです。

ねらい? テーマ? 意義?
そんなもの、あるはずないではないですか。ただの思いつきです。
今日から一週間、神戸行きを間近に控えた27日まで、起きてから寝るまでのおならの数を数えます。
寝っ屁というものがあるそうですが、それは数えられませんのでしょうがありません。

一日目:21時時点で10発です。
いや、おならの単位は果たして「発」でいいのかどうかさえもわからないんですけどね。


柿崎ィーッ!

2008-03-20 21:30:13 | 

今日が休みだったので、昨晩は夜更かしをしてテレビを見ておりました。
ちょっとばかり興味を引かれる番組があったものですから。
その番組とは、NHK衛星第二で放送されておりました『BSアニメ夜話』と『トップをねらえ2!劇場版』(GAINAX、2006)です。
『アニメ夜話』では『伝説巨神イデオン』(サンライズ、1980)を取り上げておりました。
『イデオン』といえば、今でも人気があるロボットアニメですが、わたしは苦手です。
オリジナルの放送を見たわけではなく、テレビ神奈川さんで再放送していたものを見まして、もう最終話あたりは物語の行く末よりも、人が死んでいくことが怖くて怖くて見るのを頓挫させてしまいました。
そんな、いわば怖い思い出があるアニメだったのですが、番組の内容自体は対談形式で進むライトなノリでしたので、大変興味深く拝見させていただきました。
『トップをねらえ2!』の方は、残念ながら、インターネットで下調べをしたら、死人が出るというので、遠慮しました。
というふうに、わたしは死人が出るアニメがかなりの苦手なのです。

見られないわけではないんですけど、かなり気分を高揚させて、覚悟を決めなければ見ることができません。
「よくそれでロボットアニメを語ろうとするなぁ」とお叱りを受けるかも知れません。
すいません、謝ります。
だけど、死への恐怖は克服することができません。
同じアニメでも、『金田一少年の事件簿』(原案・天樹征丸、原作・金成陽三郎、作画・さとうふみや、講談社)や『名探偵コナン』(作画・青山剛昌、小学館)に代表されるようなミステリー系は何でもないんですけどね。
ロボット系は先述の通り、『ドラゴンボール』(作・鳥山明、集英社)や『キン肉マン』(作・ゆでたまご、集英社)などの作品も死人が出るとなると、結構とまどいます。
だから、リアルタイムで見てて味方が死んだりすると、わたしはまったく気分が悪くなったものです。
次の週に死ぬとわかってる場合は、「よっしゃ、今日あいつは死ぬ」ってかなり覚悟して見るようにしてました。
だから、この間も『機動戦士ガンダム00』(創通・サンライズ・毎日放送)でロックオン・ストラトスが死んだときはかなりの衝撃を受けましたし、『機動戦士ガンダムSEED』(創通・サンライズ・毎日放送)の最後の方で、小さい端役の人たちも理不尽に死んでいくのは、かなりわたしの心を痛めつけましたね。

何がいやなんだろうかと、考えてみました。
まず、基本的に主人公の友達や恋人、仲間が死ぬのは御免ですね。家族もだめです。
散々悪どいことをやってきたやつがおっちぬのは、すかっとするんですけどね。味方のキャラクタが死ぬのは、心的ストレスがかかります。
で、そう考えると、「死」のプロセスと必然性がカギなのではないかと。
つまり、「何でそいつが死なねばならんのだ」と。
展開として、そのキャラクタの死は必然なんですけど、わたしにはその必然性が理解できないのだろうと思います。頭にあるのは"理不尽な死"だけなんですね。
まぁ「死」自体も気持ちの悪い物なんですけどね、その必然の不理解と理不尽さがわたしを苦しめる要因でしょう。
ミステリ系の作品も人が死なねば話が進まぬわけで、ストーリー上必然的なんですが、最終的には、その殺された人間にも殺されるだけの理由があることが多いので、その理不尽さという点はクリアになりますから、大丈夫なんだろうと。

それから、もう一ついやなのが「断末魔の叫び」ってやつです。
ミステリ系のものの断末魔の叫びは、何というか「死ぬことがわかってる」断末魔なんですよ。もちろん、視聴者視点ですけど。
で、それ以外では叫ぶこともあれば、ないこともあります。
その場合の叫びってのは、何気ない一言だったり、「死への恐怖が色濃く」って感じがするんですよ。
特に印象に残っている断末魔は、『超時空要塞マクロス』(毎日放送/スタジオぬえ/タツノコプロ、アニメフレンド)の柿崎速雄ですかね。
輝の「柿崎ぃーッ!」って叫びも嫌いです。
本当、いやな感じがします。

アニメがリアル志向になったのは今に始まったことではありませんが、リアル志向というのはつまり人の生死もリアルなわけで。
人がね、死ぬってのは、やっぱり重大ですよ。もっと、重厚に取り扱うべきだろうとね、思うわけですよ。
人を成長させる死もありますが、ビーム一閃、ボン!で死ぬなんてのはさ、やっぱりよくないと思うんです。

あー、書いてて気分がクサクサしてきてしまいました。
ちょっと反省。


(ん)がぅで(っ)ス

2008-03-19 22:46:56 | 

日本語は、擬声語が巧みな言語として知られています。
擬声語というのは、擬音・擬態語の総称で、オノマトペという通称で知られています。
擬音語や擬態語については、国語の重要なファクターですので、義務教育課程で必ず教わることですね。
現代社会では、この擬声語の類は邪魔者です。
擬声語を使うことで感情豊かな表現ができる反面、とかく客観性が重視される現代において、豊かな感情表現は否定されがちです。
まぁ確かに「そこのがっと曲がるところで、車とバイクがどかんとなって…」なんて報告では何がなんだかわかりませんものね。
擬声語ってのは、もともと耳に聞こえた音や雰囲気を、無理やり文字に置き換えたものです。
見たことがないことを、目に見える形にするというのは難しいことだというのは、わかるかと思います。

ところで、また今日もKとメールのやりとりをしていたんです。
どういう経緯か、郷ひろみ(1955~)さんに関する話題になったんですよ。
で、郷ひろみさんといえば、「ジャパーン!」などの不可解な叫び声(?)が有名ですよね。
そこでわたし、郷さんの「郷です」って叫び挨拶を、なるべくリアルに表現して送ろうと思ったんですけどね、ところがうまく文字で表現できなかったんですよ。
もうね、愕然としましたよ。まさかここまで固定観念に囚われているとは。
シャアの言う「地球の重力に魂を縛られた人」というのは、まさしくわたしのことをいうんでしょうね。
考えてみれば、洋楽を聴いたままに歌えないというのは、すなわち擬声語の才能がないということが言えそうです。
そこで、困ったときのブラザーKです。

「郷ひろみの『郷です』ってあいさつをリアルに文字で表わすのは難しいなぁ」

と質問しますと、こんな返事が返ってきました。

「郷ひろみかい?
 『(ん)がぅで(っ)ス
 どう?」

もはや何と読むかわからないのですが、しかし無理やり読むと、郷さんの叫び挨拶のように聞こえなくもありません。
やっぱ、最後の「す」がカタカナなのがキィだと思うのですが。
職場であるにも関わらず、ぶっと吹いてしまいました。

いやぁ、擬声語は難しいもんですなぁ。


サーカスがやってくる!

2008-03-18 20:48:24 | 
サーカスを見たことがありますか?
今時、サーカスといってもあまり珍しくないかも知れません。
モントリオールに本拠を置くシルク・ドゥ・ソレイユの一連の日本公演が注目されましたが、こういう一種のファッショナブルなものではなく、日本的なサーカスです。
童話や小説に出てくるような、そんな素朴なサーカスです。

わたしは見たことあるんですよ。
もう何年前ですかね。わたしがまだ小学校に上がったかどうかという頃だったと思います。
甲府にサーカスが来たんですよ。
そのころは、まだ甲府の中心部も活気がありまして。
でかい買い物をしに行くと言えば、「街」と言いましてね。街ってのは、甲府の市街地のことなんです。そこにみんなで車に乗り込んで行くんです。
懐かしい話ですなぁ。
甲府駅の周りは、その頃から再開発事業のために多くの土地を県が所有しておりました。バブル崩壊後の話ですから、結局、土地には手をつけず空き地ばかりだったのを覚えております。
その空き地にね、サーカス団がやってきたんですよ。
まだ子どもも子ども、ちょっと広いところに出ると迷子になるような子どもの時分でしたから、ッパッパと印象的にしか覚えてないんですけどね。
今まで本やテレビでしか見たことがなかったサーカスを間近で見られて、子どもながらに感動したんだろうと思います。
間違いなく、いい経験になったと思いますね。
個人的には、極めて小さいうちにサーカスを見せるべきだと思いますね。
大きな会場でやるサーカスではなくて、サーカステントの中で行われるサーカスですよ。
のちのち、絶対によい思い出になるはずです。

さて、そんなサーカスがまた甲府にやってきます。
わたしが子どもの頃にやってきたサーカス団と同じ、札幌に本拠を置くキグレNewサーカスさんです。
会期は3月22日(土)~5月11日(日)の、わずか44日間。
わたしも見に行きたいと思います。楽しみですねぇ。