さじかげんだと思うわけッ!

日々思うことあれこれ。
風のようにそよそよと。
雲のようにのんびりと。

五十六

2007-09-09 20:49:42 | 『おなら小説家』
それから、さっそく反論の文を書いて、次の『炎』に載せてもらうことにした。
しかし、敵(かたき)である斧子根立起の行動は素早い。
まるで、桂木が死んで一年経つこの時期を待っていたかのような、そんな行動の早さであった。
若手推理小説家の作品を中心に掲載し、最近売り上げ部数を伸ばしている『TANAKAアナーキズム』という変わった名前の雑誌に、草田男が絶賛執筆中の小説のモデルである「モロチン」こと諸角鎮務の人生を描いた、同じような小説を掲載したのである。
だが、草田男が好意的な視点からモロチンの人生を描いていたというならば、立起は否定的にしかその作品と人生を描いていなかった。
ではなぜこの人物の人生を書こうかと思ったのかと言えば、一重に草田男への挑戦に他ならなかった。
どうやら、立起も草田男への反乱を本気で考えているようだった。
草田男はぞくりときた。
この、半分虎に成りかかったような男を相手にして、果たして生き残ることができるだろうかと。

五十五

2007-08-26 20:02:56 | 『おなら小説家』
もちろん、この文章は不特定多数の人間に読まれた。
部外者で、一番に草田男に連絡を取ってきたのは、草田男の無二の親友であった楠本陸男の弟で、雑誌編集者の海彦であった。
内容があまりにも辛辣だ、これで何も返さなかったら、小奈良燃圓の沽券に関わる。と一方的に、こちらの肩を持ってくれた。
初読時には、怒りに我を忘れたほどであったが、一晩明けると意外なほど冷静になっていた。
意外になった頭で、恵美に相談を持ちかけてきた。

ところで、あの一件以来、双方ともにあまり燃圓の仕事に関しては介入しないようになった。
別に、恵美に否があるわけではなく、これは草田男が心に決めたのである。
恵美はもともと積極的に関わっていたわけではないし、草田男の心持ちを敏感に察知しただけであった。

恵美は驚くほど冷静だったが、草田男と立起との因縁をよく知っていたから、ここが二人にとっての重要な転換地点になるだろうことはわかった。
ここは、思い切ってやるべきではないかしら。とひと言だけだった。
草田男も、来るべきときが来たかと、心を決めた。

五十四

2007-08-15 21:57:35 | 『おなら小説家』
かつて桂木金五郎が編集長を務めていた雑誌『炎』に、その金五郎氏を痛烈に批判する記事が載ったのである。
「巨人に踏み荒らされた世界 ~桂木金五郎の遺産」
と題されたその文章を書いたのは、誰あろう斧子根立起であった。
内容は痛烈そのものであった。
まだ死して一年経つか経たないかの、小説界の巨人に対する批評記事としては、異例であった。しかも、まだ30程度の若造が、である。
しかし、その文章を書いたのが芍田川賞受賞者であったために…いや、あったからこそ、異常な物議を醸した。
普段、文壇の話題など取り上げないテレビでさえ、広く取り上げ、その文章に関しては批判もある一方、一部では讃辞を持って迎えられた。

もちろん、この記事は草田男も読んだ。
しかも、草田男に関わりのある人物が巻き込み、巻き込まれている。
記事を読んだ草田男は、震えが止まらなかった。
なぜだと考えた。なぜ、あいつはこんなことを書いたのか。
草田男の知る限り、二人の面識はなかった。ということは、致命的に二人の作品感がかけ離れていたと言うことである。
勉強家である立起が、金五郎の小説を読んでいないはずはないだろうし、常々推理小説界の行く末を案じていた金五郎が、新進気鋭の立起の作品を読んでいないことはなかった。
金五郎は、立起の作品を危険であると断言していた。
つまり、逆に言えば、立起も金五郎の作品を気に入っていなかったであろうと思う。
しかも、その文章は金五郎の作品批判だけに止まらなかった。
金五郎の後継と謳われる、小奈良燃圓についても及んでいたのである。

五十三

2007-08-13 21:03:32 | 『おなら小説家』
草田男は愕然として、呆然としていた。
今、金五郎氏のあとを継ぐのはお前だと言われても、はい、がんばりますなんとは言えない。
同世代の推理小説仲間の中では、圧倒的な技量を備えているとはいえ、まだ金五郎氏と肩を並べるほど功績を残しているわけではないし、その自負もない。
第一、そんなことを考える余裕がないほど、草田男は落ち込んでいた。
新聞社や出版社から追悼文の依頼は、なるべく受けるようにした。
辛口で知られた金五郎氏が唯一、諸手を挙げて認めた作家が草田男こと燃圓であったのだ。
だからこそ、追悼文を書かなくてはいけないと考えていた。
求められれば、テレビ局にも手記を寄せた。
そんな報道陣の追悼攻勢は、二週間にも及び、その間の草田男は目の回る忙しさであった。
葬儀でも金五郎氏の棺を担ぐなどして、故人を偲んだ。

金五郎の死から、ちょうど一年が過ぎた。
稀代の推理小説家である桂木金五郎が死去して一年が経ち、文壇でも金五郎が残した功績を、きちんと評価しようという動きが起こったのである。
元来、そういうことがあまり好きではなかった草田男は、これに関してはあまり関わり合いにならないことを決めていた。
恵実の方にも、これだけは言い含め、金五郎に関する仕事に関しては、内容をよくよく吟味するようにいっておいた。
それに、死した作家に対して、同じ職業である自分があれこれと言える立場ではないとも考えていた。
それは、作家の仕事ではない。
学者の仕事である。

ところが。
そんな草田男を、無理矢理、批評の場に引きずり出す事件が起きたのである。

五十二

2007-07-20 21:36:29 | 『おなら小説家』
巨星、墜つ。
推理小説界の重鎮、桂木金五郎氏が死去した。
その報せは、死去した直後に草田男の元にもたらされた。
午前三時を回ったときであったか。電話のかねにたたき起こされ、寝ぼけ眼で受話器を取ると、そのあまりにも衝撃的な報せを聞かされた。
電話の主は、金五郎氏の甥であった。

急いで準備をして、帝都から修善寺へと向かった。
まだ電車は始発の時間を迎えていなかったし、乗合自動車で向かうことにした。
もちろん、恵実も同行する。
車の窓から、外の様子を伺う。夜が、明けようとしている。
日の出まではまだ時間はあるが、太陽の光はすでに日本を照らしている。
車の中はすっかり静かで、時間が時間であったし、雰囲気も明るいわけではなかったので、運転手もすっかり口をつぐんでいた。

金五郎氏の病状は、あまりよくなかったらしい。
それでも、環境の良い修善寺に移り住んでからは進行も鈍り、故に快方に向かっていると思われていた。
しかし、ただ「鈍」っただけであり、進行が止まったわけではなかったのだ。
そして、その命の火が今日潰えたというわけであった。
いうなれば、この日は来たるべくしてきたのであった。

推理小説界の重鎮がなくなったことで、その跡目がだれになるかが注目されていた。
その一人が、誰あろう小奈良燃圓…つまり、草田男であった。

五十一

2007-07-07 21:11:23 | 『おなら小説家』
それから、何とか自信を取り戻した草田男は、『屁の如く』の続編の執筆に精を出す日々であった。
変わったことといえば、作品を恵実が読まなくなったことであった。
それについて、草田男から話があったわけでもなく、恵実もあえて聞き出すことはしなかった。
恵実はそれでも文句はなかったし、草田男もそちらの方がきっとうまくいくと思った。
一部、過敏な愛好者がちょっとした作風の変化を感じ取ったようで、手紙などに書いてあったが、その他の読者からの反応は皆無に等しかった。
報道も同様であった。

第三回目が掲載されると、桂木金五郎氏から電話がかかってきた。
内容は、やはり作風の変化が気になったらしい。恵実さんとの仲に、何かあったのではないかと心配になったらしい。
しかし、電話を最初に取ったのは恵実であったし、口調からしても深刻な問題があるようには思えなかった。
金五郎氏は、とりあえず安心した。
草田男を電話口に呼び出すと、また遊びに来てくれるようにと、声をかけた。今回の作品は、これまで見た中で、もっとも草田男君らしい…とも言って褒めた。
金五郎氏からの電話を受けて、なぜか草田男は目頭が熱くなった。
…自由になったのだろうか、と草田男もまた安心した。

それから、一年に渡り作品を書き続け、単行本の企画もできあがった。
そんなときであった。衝撃の事件がおきた。

五十

2007-06-19 21:49:17 | 『おなら小説家』
恵美はようやく日本に着いた。
一週間のつもりが、急なことで三日ほど延長してしまった。そのことは、電話で伝えたはずだが、どうも草田男の様子がおかしかった。
ほんの些細な変化に気がつかない恵美ではない。
しかし、すぐに帰るというわけにはいかなかった。引き受けてしまったあとに連絡したのは、恵美の落ち度だった。
うかつだった。
彼女は、草田男が一人で生きているだろうと思いこんでいた。しかし、そうではなかったのである。
それに気がついたのは、滞在延長の連絡をしたあとだった。
それを表に出して心配するほど単純ではない恵美は、今日まではらはらしながらも勤めを終えて、日本に帰ってきたのであった。

家に着いた。
心は落ち着かないが、動作はあくまでも平素を装う。
ただいま、と玄関を開けても、出迎えはない。
恵美はどきりとした。
草田男が出迎えをしないことは珍しいことではないのだが、事情が事情だけに、そんな心持ちになったのだった。
玄関をあがり、荷物をとりあえず居間に置いて、奥の草田男の書斎に行く。
こんこんと戸を叩いてみるが、返事がない。また、どきりとする。
取っ手を回し、押し開ける。
そこには、ひたすら机に向かう草田男の姿があった。
いきなり入ってきた恵美に、やっと気がついた草田男は、おお。おかえり、と一言述べたきりであった。
恵美は、そんな草田男の様子を見て、ほっと胸をなで下ろしたのだった。

四十九

2007-06-05 21:13:19 | 『おなら小説家』
午前九時。草田男は、浜辺を歩く。
求めるものは、彼の独自の感性。それはつまり、自分自身の人生を探すことに他ならない。
人生。わたしの人生は、恵美の登場によって狂ってしまったのか。
いや、違う。彼女はわたしの人生の価値を高めこそすれ、負の価値を与えたことはない。
では、どうして。
すべてはわたしのせいではないのか。
わたしは、甘えすぎていたに過ぎない。
では、自分には力はないのか。と草田男は考えた。自分には、人を感動させる力はないのか。
いや。と草田男はつぶやいた。
そんなことはない。恵美を感動させるだけの、力があったではないか。
夢想家ではあっても、現実主義者の恵美は、もし草田男に文章家としての力がなければ、彼と一緒に夢を追うはずがない。
それは、恵美をも認めさせる才能の輝きがあったということではないのか。

草田男は、顔を上げた。そこには、確かに海があった。広い広い海が広がっていた。
彼は、支えてくれていたはずの恵美が、いつの間にか自分の圧力になっていたのだ。
恵美はいつだって、草田男を支えてくれている。そう、支えてくれている。
立っているのは、あくまでも自分の足で立っていることに気がついた。

草田男は、彼の右手に力がわき上がるのを感じた。
書きたい。今、書く。
彼は持ち合わせた手帳に、筆を走らせた。

四十八

2007-05-29 22:54:41 | 『おなら小説家』
恵美が戻ってくるまで、あと二日。
草田男は、未だに自分の納得のいく文章を書けずにいた。原稿の締め切りも、近づいてきていた。
この一週間、満足に寝ていない。目をつぶれば、漠然とした不安が視界を覆い、うなされて起きることも珍しくはなかった。
そんなときには喉がからからに乾いて、水を飲んでも乾きは癒えない。
何をするでもなく机に向かい、じっと目をつむり考える。
話の展開を、ではない。自分の文章の、真の美とは何かを、考えるのである。

その日も、うなされて起きた。
時計は午前3時半を指している。今日はもう、これ以上眠れそうもない。
かといって、いつも通り机の前に座っていても、前進は望めそうもない。
草田男は服を着替えて、家を出た。
どこに行く当てもない。しかし、歩いた。
かれこれ、どれぐらい歩いたか。時計を見れば、5時にならんとしている。もう始発の電車が動き始めてもおかしくない時間である。
草田男は、自分が今どこにいるかを確認すると、最寄りの駅に赴いて、出発しようとしている電車に飛び乗った。
上りか下りか、それすらわかっていない。
草田男には時間がなかった。しかし、時間を惜しんでいる暇はない。
明日には、恵美が戻ってくる。
それまでに自分の感性を取り戻さなければならない。

草田男の乗った電車は、東京を出て神奈川を抜け、静岡へと入っていった。
熱海の名を聞くと、草田男は飛び降りた。
考えなど、ない。
しかし、草田男の足が自然と動いた。動いて、飛び降りたのであった。

四十七

2007-05-20 20:57:12 | 『おなら小説家』
書いた。
草田男は、ただひたすら書いた。
書いては消し、書いては消しを、愚直に繰り返した。
しかし、浮かぶ言葉は「恵美の感性」そのものであった。
一体どれほど長い間、恵美に頼ってきたのか。

草田男の感性を取り戻すという、この作業が燃圓の真ん中に草田男を帰ってこさせるための、そんな役割を担っていたのかも知れない。
考えてみれば、現在の草田男は恵美なしではあり得なかった。
政略ともいえる結婚後、彼の裏側に徹し、支え、助けてくれた。
いつの間にか、それが当たり前になり、「頼る」だけでは済まなくなっていた。乳母車に乗せられ押されて散歩する子どもと化していたのだ。
いうなれば、「退化」していた。
常に進化を続けてきた人間にあるまじきことだと、彼は思っていた。

恵美という人物は、もし生まれる時代が違っていて、その性格さえも違っていたならば、稀代の芸術家となっていただろう。
何せ、彼女の感性はすべての芸術を網羅している。
それは、燃圓の小説はもちろん、彼女が趣味で始めた刺繍の世界でも認められたことが証明している。
きっと、どの芸術分野に進出しても、彼女は一流の成果を収めるであろう。
それをしないのは、彼女に功名心とか野望というものがないからであろう。
それを損と思うか、個人の自由と思うかで、その人の人生は変わってくる。

草田男は…そんな恵美を、あまり気にしてこなかった。
いや、恵美があえて影を潜めていたことにも気付かず、川にたゆとう船のようにふらふらしていたに過ぎなかったのである。
彼は、彼のこれまでの半生をとても情けなく思った。