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美濃探訪記(3)

2008-08-21 21:08:47 | 旅行記

金華山ロープウェーは、岐阜公園にある岐阜公園駅と金華山頂駅を約三分で結ぶ、便利なものです。
ロープウェー上から眺める三重塔の美しさは格別です。新緑一色の山中に、朱がまぶしい三重塔は、それだけで絵になります。
金華山頂にあるのは城だけではありません。リス村もあります。
考えてみれば、小田原城内には動物園があり、犬山城にはサル山があります。なぜ、城に動物園があるのか不思議なのですが、まぁ土地が余っているとか深い理由ではないようです。例えば、防犯に役立つとか。サルじゃぁわかりませんけど、リスでは…ちょっとねぇ。
とにかく、脇目もふらずに岐阜城へ向かいます。整備された道を行くだけでも、その大変さを身につまされます。これが合戦時、未舗装の道を頭上からの矢や岩石、たぎった油などの恐怖におびえながらひた走っていくものと思うと、ぞっとしますね。
ロープウェーの駅から歩いて十分ほどで岐阜城に着きます。
入場料を払って、入城。
金華山に城が建ったのは、1201年のことですから、鎌倉時代のことです。
昨日も書きましたが、岐阜は東海道・中山道・北陸街道などの諸街道が交差する交通の要衝です。一時的にせよ、政治の中心が東国に移ったこの時代、鎌倉と京阪を結ぶ街道が交わる岐阜の地は戦略上重要なものとなったのでしょう。
この地に守護として配されたのが、斎藤氏でした。特に、室町時代に斎藤妙椿(1411~1480)が現れるとその権力は増大し、数代を経て斎藤道三(1494?~1556)に受け継がれます。
道三の孫である龍興が、信長によって国を追われると、支配権は織田家に移ります。名高い楽市・楽座を布いたのもこの土地だったと思います。1582年に信長の野望は潰えますが、岐阜の重要さは変わらず、遺志を継いだ羽柴秀吉は岐阜の地は信長の孫・秀信(1580~1605)に預け、自分は大坂に大坂城、京には聚楽第という巨城を築いて移り住みます。
秀吉の死後、関ヶ原の戦いで最初に東西軍の激戦が繰り広げられたのも、ここ岐阜城です。
ほかの城と同じく、城内は博物館となっており、甲冑刀剣・書画・茶道具などが展示されております。
そして、またほかの城々と同様に、一番の売りは展示でも何でもなく、天守からの眺めなのです。
北には飛騨にまで連なる山地を望み、その裾からはたなびく布のように長良川が流れます。その流れはSがいるであろう大垣の方へと流れていきます。実際には名古屋湾に向かいますが。長良川の脇には意外なほど多くの学校・グラウンドが見え、岐阜城天守の高さを思い知らされます。今期から参入したJ2・FC岐阜のホームグラウンドである長良川陸上競技場も見えます。
そんなおとなしい町並みを眺めているのもいいんですけど、圧巻なのは南東の眺めです。
何と、はるか名古屋駅まで見えるんですよ。思いっきり見えるときは、海までも見渡せそうなほど遠くまで眺めることが出来ます。名古屋駅がでかいのか、それとも岐阜城が高所にあるのが理由なのか、とにかく岐阜城は天下一品の眺めでしたね。
岐阜城もでかいですが、安土城も同じような眺めだったんでしょうかね。安土城の再現は、このご時世では難しい話ですが、ぜひ、眺めてみたいものですね。

岐阜城からの絶景を堪能したところで、今度は金華山を下ります。
途中、まだ当時稲葉山城と呼ばれていた岐阜城が陥落した際、その突入部隊の隊長をしていた木下秀吉が裾野の味方に城を落としたと合図をしたという高台を見たり、岩山のため水が貴重であった岐阜城の人口ため池を見たりしながら、下って行きます。
今、はたと気づいたのですが、秀吉が名を挙げたのは稲葉山城攻めのときだったんですよね。
墨俣一夜城もそうですし、金華山の断崖絶壁を蜂須賀小六正勝(1526~1586)や堀尾茂助吉晴(1544~1611)らとよじ登り、奇襲を仕掛けたのもそう。この後、木下から羽柴へと姓を変え、秀吉の太閤立志伝は始まったわけです。

ああ、いけない。先に進めないと。
何はともあれ、岐阜城を下り、宿へと向かいます。車の運転は、Kからわたしへとバトンタッチ。
岐阜から同じような道を辿って、美濃市へ。酒盛りの買い出しもしなければならなかったのですが、チェックインの時間も迫っているので、買い出しはすっとばして、宿へと向かいます。途中、鬼のように眠くなりながらも、卑猥な言葉を連呼しながら何とか到着します。
五時を回ったぐらいだと思います。
二泊三日の宿は、料理旅館「いずみ荘」です。料理自慢の宿です。露天風呂がいいとか、部屋が自慢でもなく、料理が売りの旅館です。
しばらく部屋でごろごろして、飯前にひとっ風呂浴びようということになりました。
出てくると、さぁじゃあ自慢の料理を頂こうかと食事部屋の部屋へと向かいます。
二泊するということで、Kが気を利かせて一泊ごとにプランを変えたそうです。一泊目は鮎料理プラン。二泊目が飛騨牛プラン。
今日は鮎料理プランです。
ところが、ここで衝撃的な事実が判明したのです。
なんと…! おなかが減っていない。
原因は明白。イタリアンワイン&カフェレストラン・サイゼリアで食べ過ぎたのです。昼間に登山したり、なんやかやと過ごしてきましたが、それでもおなかが減らなかったのです!
しかし、さすがは料理自慢の宿。一口食べると、すばらしいおいしさ。多少苦しくても食べたいという感じです。
何と鮎料理だけでも、甘露煮・塩焼き・刺身・あらの天ぷらとすばらしいラインナップ。
特に、鮎の刺身など食べたことはなく、特にさばいたりしているわけではなく、皮をはいでぶつ切りにしているだけなのですが、身はぷりぷりして、骨はこりこり。このままで食べてもおいしく、付属の酢味噌をつけるとうまさ倍増。文字には表せないですね。
さらに、前菜や天ぷらの盛り合わせ、蕗ご飯や汁物も出てくるのですから、「料理旅館」の名は伊達ではありません。
すっかり食べ過ぎて、部屋に戻ります。
酒盛りもどうするかという話になったのですが、せっかくなのでしようと。
KとOは食前酒を飲んでいましたので、運転は必然的にわたしになります。
近くのコンビニに向かいます。
コンビニで酒や肴などを見繕っていたその時、アノ男からKの携帯に電話がかかってきたのです…。

今日の一枚は、「岐阜眺望」です。
本当は名古屋方面を写したものをのせたかったんですけどね。
やはり、岐阜といえば長良川でしょう!


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