さじかげんだと思うわけッ!

日々思うことあれこれ。
風のようにそよそよと。
雲のようにのんびりと。

十二支のはじまり(4)

2007-12-31 01:27:51 | 民話ものがたり
後日談を、時系列を追って語っていこう。
まず、十三番目についた動物の話がある。
十三番目についた動物は異説があるが、いたちだという話がある。
いたちが着いたのは、仙人が競争を打ち切ったすぐあとだった。
そのため、いたちは間に合わなかったことをたいそう悔やんだという。あまりにも悔しくて口惜しくてたまらないというので、仙人に泣きついた。
「ただ競争にほんの一歩間に合わなかったというだけで、子孫を増やすことを禁じられたとあれば、それはあまりにもひどいというものです」
挙げ句には、もしこの願いが聞き届けられなければ、ここでさいごっぺをこいて、仙人やその他の動物ともども道連れにして命を絶つとまで言い始めた。
あいやそれは困ると、仙人は考えた。
そこで、こう提案した。
「わかった。では、毎月一日をいたちの日としよう。その日のみ、子孫を残すいとなみを許す」
するといたちはたいそう喜んで、帰って行った。
それから、毎月一日はいたちの日となり、いつの頃からか「ついたち」となまるようになったという。
(ちなみに、この話は単なる創作で、実際の「ついたち」の語源とは違います)

続いて、次の日の…つまり、正月二日の朝のことである。
前の日は、めでたいめでたいということで、仙人はしこたまに酒を飲んですっかりと意識を失っていた。朝までぐっすりであった。
そこに、門をけたたましく叩く音が聞こえてきた。
二日酔いの仙人は、不機嫌そうに門のところにまでいき、扉を開けるとそこにいたのはねこであった。
「…なんじゃ、おぬしは」
といかにも不機嫌そうに尋ねた。
ねこは面食らった。仙人からお褒めの言葉をもらうとばかり思っていたからで、まさか眉間に眉を寄せてそういわれると思っていなかったのだ。
ねこは精一杯の愛想笑いを浮かべて、仙人の顔を見る。
「…だからなんじゃというんだ、気色悪い笑みなど浮かべおって」
「え? あ、いや。仙人さま、動物の王の話は?」
「なにをいっておるのだ。その話は昨日のことじゃ。だれが正月二日を祝うんじゃ。二日は初売りといってな、もう休暇は終わりじゃ」
といって、扉を閉じて奥に引きこもってしまった。
ねこは急ぎ戻って、族長にその話をして、ようやくねずみに騙されていたことがわかった。
怒り狂ったねこの族長は一族に向かってその旨を話をして、即刻「ねずみ許すまじ」を演説をぶち上げ、ねずみ抹殺の詔を敷いた。
それ以来のことである。ねこがねずみを追い回すようになったのは。
この事件がなければ、仲良くけんかしている欧米のねずみとねこの話もできあがらなかったのである。

それから、なぜ「ひと年」がないかということも話をしておかねばならない。
実は、ひとは仙人の話はちゃんと聞いていた。しかし、その王の座にまったく興味を示さなかったばかりか、そんなことははなはだ馬鹿馬鹿しいと思って参加することを拒絶したのである。
ほかの動物たちがさかんに議論して代表者を選出している間も、ひとは盛んに子孫を残そうといとなみを繰り返し、大晦日も正月も関係なく、飽きもせず子孫を残すいとなみを行い、むしろ楽しみを見出していた。
仙人は、これ以上ひとという生き物を束縛することはできぬとすっかり諦め、以来ひとのやることには口出しをしないようになった。
そこで、多くの動物たちに発情期という期間がある中で、ひとは唯一万年発情期であり、ひと年というものもないということだ。

十二支のはじまり(3)

2007-12-30 23:55:59 | 民話ものがたり
一方、当の仙人御殿では、日の出前より仙人が門前に立ち、一番にやってくる動物はないかと待ちかまえていた。
そのうち東の山の端から、その年の一番新しい太陽が頭を出した。日が昇るのは、思っているよりも早い。
毎日眺めるこの日の出であるが、やはり元日の日の出というのは期すものがある。
仙人は手のひらを合わせてナムナムと何かをつぶやき、再び動物たちがやってくるであろう方向に視線を移した。
すると、はるか地平からやってくる動物の影が見える。
仙人の宮殿に一番最初にたどり着いたのは、りゅうでもとらでもなかった。
「うし、か」
そののっそりとした足取り。ゆっさりと揺れる大きな身体、そして凶暴にとがった角を持つ動物は、世界広しといえどもうし以外にはない。
「仙人さまぁ~」
といやに間延びした声を上げながら、うしはのっそりとやってくる。
そして、仙人まであと3mまで近づいたときだった。
何者かがうしの頭から飛び降りて、ゆったり歩くうしを尻目に、すばしっこい動きで仙人さまの足下までやってくると、うやうやしく頭を下げた。
「仙人様。あけましておめでとうございます。ねずみめでございます」
それはねずみであった。ねずみのやることはたった二つ。一つは、旅立つうしの背に飛び乗り、もう一つは、ゴールが近づいてきたらうしの背から飛び降りて、仙人にあいさつし自分が一番乗りであることをアピールすることだった。
それを見て、仙人はうしがさぞや怒り狂うであろうと思ったが、意外にも何も言わずにたたずんでいる。
仙人の考え通りなら、ここでやんややんやと拍手でもしてその栄光を称えるはずであったのだが、まさかこういう結末に終わるとは思いもよらず、仙人はもてあました。
「おお、ねずみか」
「は、ねずみめでございます。わたくしねずみめが一番乗りでございます」
とひょうひょうと言ってのけたので、仙人は対処に困って、うしの方をみやった。
「うしよ。お前は、悪い言い方にはなるが、このねずみに利用されたことになるが、本当にそれでよいのか」
「そうですねぇ。でも、確かに仙人さまに一番はじめにあいさつしたのはねずみさんですから、今年はねずみさんでいいと思います。ぼくが証人になりますよ」
と利用された側がそういうのだから、仙人が何をいうことはない。
一番がねずみ。二番がうしとなった。
それから、一人と二匹は門の中に入り、後続を待った。これからは原則、門をくぐった順番になる。あとは仙人のさじかげん。

次にやってきたのは、とらとりゅうのグループ。そのすぐあとには足の速い動物たちの一団から"頭角"をあらわしたうさぎが続く。
とらとりゅうは、なかなかの競り合いであったが、足の速さに関してはとらが有利であった。なにしろ、"千里を走る"ほどの健脚の持ち主である。
最後に頭一つ抜け出して、三番でゴールイン。
りゅうが不利だったことは、その身体の長さが異様に長かったことである。
うさぎよりも早く頭を門にくぐらせたが、しっぽまでくぐる間にうさぎが一息でゴールしてしまったものだからたまらない。
この不測の事態には仙人も仰天したが、しかし、先に身体全体をくぐらせた方が勝ちということにして、四番がうさぎ、五番がりゅうということになった。
六番に滑り込んだのは、へびである。道なき道を突き進んできた結果であった。
七番はうま。八番はひつじという順番で門をくぐった。

さぁまた困ったことが起こった。
次にやってきたのはいぬとさるだったのだが、飛び込むタイミングも同じなら、くぐり抜けるしっぽのタイミングも同時。
しかも、今度の当事者は、さきほどのうしのようなお人好しでもなければ、りゅうのような器の広い二匹でもない。
どちらもお互いに嫌い合っているいぬとさるである。
門をくぐり抜けたとたんに、とっくみあいのけんかが始まった。
「おれが先だ」といぬが噛みつけば、「おれの方が早かった」とさるがひっかく。急いで周りの動物たちが止めにはいるが、騒ぎはそれだけにとどまらない。
背が高いうまがいなないた。
「あいやー、えらい砂煙だぁ。こっちに来やすぞ」
見れば、確かに門へ続く道を、ものすごい煙を上げながらこちらへやってくるものがいる。いぬもさるもその様に意を奪われて、殴り合う手を止めた。
「にわとりか?」
確かに、影はにわとりのようだが、実際に砂煙を上げているのは別の者のようである。
「いんやぁ、あれほどの猛進ぶりはいのししのだんなに違いねぇ」
とうまがいう。あの砂煙がにわとりだというのは無理があるが、いのししが立てているといえば合点がいく。
そんな詮索をしていると、みるみるうちににわとりといのししがこちらにやってくる。
構図とすれば、にわとりがいのししに追いかけられているように見える。
その実、十一番になるかか十二番になるかの、熱い競り合いである。
にわとりは高い跳躍で距離を稼ぐが、いのししの猛進ぶりもかなりのものである。今にも追いつかれそうなる。
あと残りの道のりも少なくなってきた。と、あっと思った瞬間にいのししがにわとりを差し抜いた。
おお、と一同が思った次の瞬間であった。
何を誤ったのか、いのししは門をくぐらず、門の脇の柱にがつんと激突してしまった。柱はくの字に折れ曲がり、いのししはしばしかぶりをふって、気を取り直していた。
にわとりはその隙を突いて門をくぐり、十一番の栄誉を勝ち取ることになった。
いのししもすぐに気がついて、落ち着いて門をくぐり十二番ということになった。

にわとりといのししの決着がつくと、騒動が起こるまで続いてたいぬとさるのけんかが再燃。慌てて止めに入って、仙人の詮議を受けることにした。
いわく、「ぬしら二つの種族が隣り合っておるといさかいが絶えず、どうしようもならん。そこでだ。おぬしらの間に、十一番目のとりを入れることにする」
といった。仙人の取り決めとなれば、いぬもさるも逆らうわけにはいかぬ。いやいやながらも、その話を飲むことにした。
そういうことで、とりは十番となった。さるといぬ、どちらが九番でどちらが十一番になるかということで、また取っ組み合いのけんかになりそうだったが、
「静まれ、愚かな。ちゃんとそこも考えておるわい」
と地面に二本のいびつな平行線を引き、その端に「九」と「十一」を書いた。その間に数本の橋を渡し、「さぁ」といって数字の反対側の端に「いぬ」・「さる」と書かせた。
今でいうあみだくじであった。
その結果、さるが九番、いぬが十番ということになった。
これで一番から十二番までが決まった。

仙人は、しばらく待ったがもうあとに続く者がいなかったので、そこで競争を打ち切った。
結果は、以下のようになった。
一番 ねずみ
二番 うし
三番 とら
四番 うさぎ
五番 りゅう
六番 へび
七番 うま
八番 ひつじ
九番 さる
十番 とり
十一番 いぬ
十二番 いのしし
異論がなかったわけではなかったが、そう確定して、今年の子孫を残してもよい種族はねずみということになった。
ところが。この話には、さまざまな後日談がある。

十二支のはじまり(2)

2007-12-29 23:46:09 | 民話ものがたり
大晦日までには、それぞれの部族で代表のものを選び出し、おのおの準備をしていた。それぞれの部族会議で選出された、いうなれば将来有望な若者である。そして、それぞれの部族の色が如実に表れていた。

最初に動いたのは、堅実・真面目を美徳とするうしである。
なんと、大晦日の夕暮れには仙人の宮殿に向かって歩みをはじめていた。曰く、
「ぼくは歩みが遅いから。それに走るのも急ぐのも好きではないし」
という、実に慎重でものぐさな意見である。
しかし、うしのこの行動を、ある動物は見透かしていた。それは、狡猾・明晰なねずみであった。
ねずみは、うしの行動を見透かして、うしの家の前でうしが出発するのを待っていたのである。
だから、厳密に言えば、最初に"動かしていた"のはねずみということになる。
では、何のためにうしを待っていたかと言えば、"楽"をするためである。
うしがこっそりと玄関から出てくると、ねずみをささっとうしの背中に駆け上がり、安定する位置を見つけて、ごろりと横になった。
「ふふ、やれやれ。うしめ、すっかり鈍感なやつだ。おれが背中にはい上がったことを、まったく気付いていない」
実際、うしは背中にはえがたかったぐらいにしか感じていなかった。はえは、この競争には関係がないから、うしはどうでもいいやと思って意に介していなかった。
「さて、おれの仕事はあと一つだ。そのときが来るまで、寝させてもらおうか」
と腕枕をして、眠りはじめた。
ねずみをのせて、うしは行く。

競争が本格的に始まるのは、まだ日も上がらぬ、未明のことである。
うしほど足に自信がないものはいなかったから、残りの動物たちはほぼ同時のスタートといっていい。
そのスタートの前後は、結局、慎重か剛胆かという性格の違いである。
ほぼ同時にスタートをきったのは、りゅうととらであった。
この二部族は、古来から「竜虎」などと言われるように、動物界の二強であり、同時に最大のライバルであった。
だから当然、今回の競争もお互いに負けるわけにはいかなかった。それに動物界最強を自認するのであるから、ほかの動物たちにも負けるわけに行かない。そこでちょっと早いかなと思いつつも、家を出た。
しかし、見ればライバルのりゅうも家を出ている。
お互い、口には出さねど意識はしている。りゅうはふらふらと宙を浮いて先を行く。とらはかっかっと軽快に爪をならして先をいく。
りゅうととらは、追いつ追いつかれつつ、道を急ぐ。

りゅうととらが出発した後、うさぎやうま、ひつじなどの足の速い動物が続いた。
その中でもへびが異色であったが、へびはその細い身体を巧みに使って、地形を問わず移動ができるので、見かけによらず素早い移動が得意であった。
さぁ大変なのが、その後続の集団であった。
面子がさるといぬなのである。
この二種族は、りゅうととらのような威厳に満ちた対立関係ではない。ただ単純に、ものずごく仲が悪いだけなのである。
これを「犬猿の仲」という。この二種族の競争は壮絶を極めていた。
血で血を洗うとは、まさしくこのことであった。

とりは、あらかじめ仙人から空を飛べないものを出すようにといわれていた。あまりにも不公平だったからである。
そこで、にわとりを行かせることになっていた。にわとりは高く跳ぶことはできるが、空を飛ぶことはできないからだ。
しかし、にわとりには大事な仕事があったので、すっかりスタートの時間が遅くなってしまった。
その仕事とは取りも直さず、日の出をみなに知らせることであった。なので、にわとりのスタートは日の出以後だったのだ。
しかし、そのにわとりよりも遅くスタートを切った動物がいた。
いのししである。なんのことはない。すっかり寝坊をしていただけのことで、「コケコッコー」というにわとりの声を聞きつけると、いかんと跳ね起きて急いで家を出た。
壁に穴を空け、木をなぎ倒しながら、ひたすら猛進する。その様はまさしく、猪突猛進であった。

十二支のはじまり(1)

2007-12-28 22:43:22 | 民話ものがたり
遠い遠い、昔の話。
その頃、まだ世界は平等だった。肉食や草食といった区別なく、みな仙人が用意した食料を分け合って暮らしていた。
なので、多少のいがみ合いはあったものの、だれがかれを殺すというような物騒な話などなく、すべてが平和のうちだった。
もちろん、人間も他の動物に混じって、同じような生活をしていた。まだそのころの人間は服を身につけるというような悪習がなく、他の動物を同じく、裸で歩き回っていた。

しかし、平和だからこそという、ぜいたくな懸念が起きた。
それは、あまりにも動物たちの数が増えすぎてしまったことであった。
本来は、死ぬ数と生まれる数は均衡であるべきなのに、平和であるがゆえに、死ぬ数が生まれる数に追いついて行かぬようになってしまったのだ。
おかげで、仙人が一日中、食事の用意に追われてしまうことになったのである。
これでは、本来やるべき仕事ができなくなってしまう。同時に、自然と動物たちの心にも邪心が現れて、争いごとが絶えなくなってきた。
「これでは、世界が悪しき方向へと向かってしまう」
困窮した仙人は、食事の世話に追われながらも、ある妙案を考えついた。

さっそく次の日の朝、仙人はそれぞれの動物の族長を呼び寄せて、演説をすることにした。
しかし、集まってきた族長たちもすっかり俗物となってしまっていて、本来正道を導くべき彼らでさえも、隣人と大げんかを始める始末。
「静まれ!」
と、仙人もとうとう怒鳴ってしまった。そして、とうとうと今までも各部族の争いから始まり、昔はよかったとか、日々の食事の支度がどれほど大変なのかとかなどということをくどくどと説き、説教をたれた。
ひとしきり話をして一息つくと、仙人はがくりと肩を落とした。仙人は、ぐい飲みについだ酒をぐびりとあおった。
「それでは本題に入るぞ。よいかー?」
仙人はくだをまきつつ、話をはじめた。以下のような話である。

わしゃ、もうみなの食事の世話をするのに疲れ果ててしまった。そこで、なぜ食事の世話が大変になったかを考えてみたのだ。
食事の世話が大変ということは、食う分が多いと言うことだ。
食う分が多いということは、食らう者が多いと言うことだ。
食らう者が多いということは、生まれてくる者が多いと言うことだ。
行き着いた答えは、みなが好き勝手に子孫を残すからじゃということになる。その割に、平和で死んでいく数が少ないので、数が増えて大変になるだと気付いた。
そこで、また考えた。要は、子孫を残す種族を限定してしまえばよいのじゃと。
毎年、子孫を残してもよい種族を決めて、それを順繰りに回していけば平等ではないかと。
では、どのような方法でその順番を決めたらよいだろうかと悩み考えた。
身体の大きさや食べるものに左右されず、鼠から牛までみな平等な方法がないだろうかと考えたのじゃ。
そこで思いついた。
来年、1月1日の日の出までに、わしが住む宮殿に早く着いた者の順番ということにする。
どうじゃー? 簡単じゃろー? えー?

実に分かりやすい、単純な話だったので、仙人がどかりと倒れて寝てしまうとさっそく集落へと戻って、種族の代表を決めることにした。
みながちりぢりになっているところへ、寝過ごしたというねこの族長がやってきた。話の詳細を求めるが、こんなおいしい話を教えるはずもなく、ねこの族長はすっかり途方に暮れてしまった。
そんなとき、救いの手をさしのべたのは、ねずみの族長だった。
「おお、ねこの族長どの。寝坊をしたのは自分のせいだとしても、いくらなんでもかわいそうじゃ」
「ねずみの族長どの。すまぬ、後生であるから、仙人の話が何だったのか教えておくれ」
「おお、おやすいご用だ」
というと、仙人の真似をして、酔っぱらった振りをして話をはじめた。
かいつまめば、「ウィー、正月明けて二日目の朝に、わしの宮殿に早く来たものをその年の動物の王とする。以後、順番に動物の王とする。ウィー」という話である。
その話を聞いて、けげんな表情をしたのがねこの族長である。
「えー? 二日目? 正月明けて二日目なのか?」
「そうじゃよ。元日は、仙人さまもゆっくりと過ごしたいらしい。だから正月二日なのじゃ」
「おお、そうか。なるほど。では早速帰って、部族会にはからねば。ありがとう、心から感謝する」
とねんごろに礼を言って、急ぎ帰って行った。
ねずみの族長は、その姿を何も言わずに見送っていた。

クリスマス特別企画 ルドルフ(3)

2007-12-25 23:59:59 | 民話ものがたり
聖ニコラオスのソリを引くトナカイは、八頭います。
先頭から順番に、ダッシャー・ダンサー・プランサー・ヴィクセン・コメット・キューピッド・ブリッツェンという名前がついていて、彼らは聖ニコラオスの仕事を手伝うために特に選ばれた、言うなればエリートでした。
半永久的な命を与えられ、空を自由に飛び回る力を得る代わりに、聖ニコラオスに絶対の服従を誓っていました。同時に、神の使いとしての使命を帯びる存在でもありました。
彼らは多くのトナカイの尊敬の的ではありましたが、彼らのようになろうと思っているトナカイはいませんでした。
その使命が、どれだけ尊いものであるかを知っていましたし、そしてその使命がどれだけ面倒くさいかと言うことも知っていたからです。
毎年、12月24日の夕方。
北欧の森では、聖ニコラオスがサンタクロースとなり、世界中へと旅立つための壮行会を行います。
準備は森の動物たちが総出で行います。特に、一族の英雄がニコラオスを盛り立てる助演者となるトナカイたちの意気込みと言ったら、半端ではありません。
その年のクリスマス・イヴの夕方。壮行会の準備がすっかりと終えて、あとはニコラオス老人と八頭のトナカイがやってくるのを待つだけとなりました。
やがて、森の北の方からシャンシャンシャンという鈴の音が聞こえてきました。
鈴の音が聞こえてきますと、森の動物たちは一斉にざわつき始めました。いよいよクリスマスがやってくるのだと、勘気のざわめきでした。
みなが、北の空に注目します。北の空からは、確かにソリがやってくるようです。
「…あ?」
と一匹のトナカイが空を見上げて言いました。
見れば、ぽっと赤い星が空に上っていたからです。そのトナカイはまだ年若でしたが、しかし生まれてこの方、北の空に宵の明星が上るなど見たことも聞いたこともなかったので、どうも腑に落ちません。
しかも、じっと見ていればその星は、こちらの方へと近づいてきます。
ほかの動物やトナカイたちもそれに気がつき始め、先ほどのざわめきが今度はまた別の性質のものになっていました。
あの赤い光は、もしかしたら赤鼻のルドルフではないのか、という声が起き始めました。
赤い星は、鈴の音とともに近づいてきます。やがて、その星の正体がはっきりしてきました。
「ル、ルドルフだ」
「赤鼻のルドルフがなぜ?」
聖ニコラオスのソリを引くトナカイは八頭ではなく、九頭でした。そのトナカイの先頭を走るのが、誰あろうみなの笑いものであった赤鼻のルドルフだったのです。
会場は騒然となりました。その騒然とした会場に、空から聖ニコラオスを乗せたソリが降り立ちました。しかし、その衝撃的なルドルフの登場にすっかり会場は騒々しくなっており、落ち着くそぶりを見せません。
ニコラオスはゆったりとしてソリから降り、用意された壇上に上りました。そして、集まった動物たちに語りかけました。
「落ち着け、みな落ち着くのだ」
というと、その場は静まりかえり、ニコラオスの方をむき直りました。
「みなの衆に、話しておかなければならぬことがある。それは、わしの旅の新しい友のことだ」
ということは、取りも直さず、ルドルフのことを指していた。
「今年から、わしの旅の友に、新しく加わったルドルフだ。みなよろしく頼む」
ルドルフは、ぺこりと頭を下げた。
「…ふむ。みな、どうも腑に落ちていないようじゃの。よし、この話をするか」
そういうと、ひとつ咳払いをして、朗々と物語を始めた。
「昔の話じゃ。トナカイという動物はの、その鼻をみな赤いものだった。そう、ちょうどルドルフのようにな。みな、赤い鼻を持っていたのだ。しかし、いつのころからじゃろうな。突然、トナカイの中に黒く湿った鼻を持つ者が現れ始めたのだ。その黒い鼻のトナカイは爆発的に増えての。いまや、すっかり黒い鼻のトナカイが普通になってしまったのだ。しかし、ときどき先祖返りを起こして、赤い鼻を持つトナカイが生まれるものがおるのだ。つまり、ルドルフの赤い鼻は、彼が紛れもないトナカイであることを示しているわけだ」
と、ここまで話して、ゆっくりと視線をトナカイの一団に向けた。
「ルドルフは、そのトナカイの証である赤い鼻を持つために、今までとてもつらい思いをしてきたわけじゃな。トナカイであるがために、悲しい思いをしてきたといえるわけだ」
ここでニコラオス老人は少しの間をおきました。その間中、ずっとトナカイたちを見ておりました。トナカイたちはそれぞれに思い当たる節があって、下をうつむく者もいたり、あるいは涙を流す者さえいました。
「わしは、みながルドルフをいじめたという罪を咎めているわけではない。ただ、残念なのだ」
と頭を振っていった。
「何が残念かと言えば、ルドルフの赤い鼻を、その表面だけを見てあるものを蔑み、あるものは罵り、そしてある者はその事実を嘆き悲しんだ」
と、今度はルドルフの方を見た。
「誰もその本質を見ようとしなかった。それが残念なのだ。なぜ悪いことばかりを考える。なぜ、人を貶めることばかりを講ずるのだ。なぜ、誰一人としてルドルフを導く者がいなかったのだ。これだけの仲間がおるというのに」
じっくりと集まった動物たちを見回した。
「ルドルフはただ、赤い鼻を持って生まれてきただけなのだ。それならば、その運命は甘んじて受けねばなるまい。どうせ受け入れるならば、どうだ。いかによく生きるかを考えるべきではないのか」
そのときだった。ニコラオスはポケットの懐中時計を引っ張り出した。
「さて。みながせっかく用意してくれた壮行会の場がこのようになってしまって申し訳ない。しかし、もう行かねば。キリバスの子どもたちが、わしのプレゼントを待っておる。世界中の子どもたちに夢を配ることこそが、わしの役目だからの」
といって、静まりかえるみなを尻目に、再びソリへと乗り込んだ。
「さぁみなの衆。今日は早く帰って休むがよい。きっとお主らにもわしの夢のプレゼントが届くはずじゃ。楽しみにしていてくれ」
みなが見守る中、ソリはゆっくりと助走をはじめました。
すると、多くのトナカイのうちの一匹が、ソリのあとを追いかけて走り始めました。
「る、ルドルフ。ごめんよ」
と謝りました。すると、その言葉に引っ張られるように、一匹二匹と追いかけ始めます。
「が、がんばれよ。ルドルフ」
「お前のその鼻で、しっかりニコラオス様を導くんだぞ」
ニコラオス老人はそのようすを横目で見て、ほっと笑いました。
ソリは、スピードに乗ってくるとふっと地面から離れました。
みんなの頭の上をくるりと一回転すると、さぁっと南の空に走っていきます。
足についた雪をまきながら、きらきらと尾を引いて飛んでいきました。

クリスマス特別企画 ルドルフ(2)

2007-12-24 23:59:59 | 民話ものがたり
森の中に、ひときわ大きいもみの木があります。音は、そのもみの木の根元から聞こえてきたのでした。
もみの木の下には、木に激突したとおぼしき老人と、数匹のトナカイがうずくまっていました。
その姿を見たルドルフは、大変驚いてその老人とトナカイたちの元へと駆け寄っていきました。
「ニコラオスさま、大丈夫ですか」
その声に反応した老人が、それまでの鬱屈とした表情からぱっと顔を明るくして、ルドルフの方を見た。
ニコラオスはこの森の北の端に住む聖人で、毎年クリスマスになると空飛ぶソリとトナカイを連れて世界中の子どもたちに、夢を配り歩いていました。人々は、サンタクロースと親しみを込めて呼んでおりましたが、その本当の名は聖ニコラオスといいました。
そのニコラオス老人は、ルドルフの姿を認めると、
「おお、森の外れから火の玉がやってくるかと思えば、赤鼻のルドルフか」
と笑っていいました。。
ルドルフはその問いかけには答えず、「どうしたんですか、こんな暗い晩に?」と質問を返しました。
「いや、何。クリスマスのために、トナカイたちの訓練を兼ねて、ソリの試し走りをしていたのさ」
ルドルフは、不思議そうな顔をして
「ソリの試し走りはわかりますが、ニコラオスさまのトナカイに訓練なんて必要なんですか。しかも、こんな新月の真っ暗な晩に」
「ホッホ。ルドルフよ、確かにわしらが夢を配り回るクリスマス・イヴの晩は新月に当たることは滅多にない。しかしな、もしかしたら月を分厚い雲が覆い隠し、雪が舞い、風が巻き起こり、雷鳴がとどろくことがあるかもしれない。そうなったとき、焦り戸惑わぬためにもこのような真っ暗な空を駆けることも訓練しなければならないのだ。まぁ、それがこのざまだがな」
とホッホとまた笑って、
「しかし、本番ででかい失敗をするよりも、本番の前に小さな失敗を積み重ねておくことだ」
と急に真顔になって言うものだから、ルドルフは思わず笑ってしまった。
その様子を黙ってみていたニコラオスが、何かに気がついたようで、「おおそうか」と声を上げた。
「最近、森で噂だった新月の晩の火の玉の正体は、そうかルドルフ。お前だったのか」
と言われると、ルドルフはばつの悪そうな顔をした。
それだけで、ニコラオス老人はすべてを覚ったようだった。なぜ、ルドルフがこんな真っ暗な新月の晩に一人で歩き回り、ほかの多くの動物たちと同じように昼間に活動しないのか。
そして、ルドルフが抱えている心の問題をも、敏感に感じ取った。
そこで、ニコラオスはちょっと意地悪く、こんな質問をした。
「ルドルフよ、そんなに自分の赤い鼻が嫌いかね?」
そのひと言は、ルドルフの心のダムに、小さな小さな穴をあけた。しかし、ルドルフの心のダムは赤い鼻の劣等感で一杯になっており、その穴はみるみるうちに広がり、やがて壁は崩れた。そして、ルドルフはその思いを溢れさせた。
「ニコラオスさま、お言葉ではありますが」
と前置きをしてから、
「もし、ニコラオスさまの鼻がぼくのように、血のような真っ赤な鼻を持っていたらどうお感じになるでしょうか。ぼくはこの鼻のせいで、森中のみなに笑われ、蔑まれ、罵られてきました。しかし、どうすることもできません。なぜですか、なぜ、ぼくはこのような鼻なのですか。なぜ、神さまはみなと同じように、黒くて湿った鼻をわたしにお与えにならなかったのですか」
ニコラオスは、じっとルドルフの目を見て、彼の話をひたすらに聞いておりました。
ルドルフはそれまでの恨み辛みを涙ながらに訴えて、やがてすっかりとはき出してしまうと疲れ果てて、その場にしゃがみ込んでしまいました。
ルドルフにとって見れば、その疲労は死への安らぎとも感じられました。
ルドルフが落ち着くのを待ってから、ニコラオスは口を開きました。
「ルドルフよ。おぬしの苦しみはよくわかった。確かに、おぬしのその鼻は、おぬしに数え切れない苦難を与えてきた。それを思えば、その鼻は"個性"などという軽い言葉で片付けられるような代物ではないことが、よくわかる」
ルドルフは聞いているのかいないのか、死を与えられることを待っているかのようにうなだれておりました。
「しかしな、すべての個体にぴんからきりがあるように、欠点や癖というものにも、どうにもならないという欠点と、使いようによっては有用な欠点というのがあるのだ」
その言葉に、ルドルフはそのよく動く耳をようやく、ニコラオスの方に傾けました。
ニコラオスは、
「どうじゃ、ルドルフよ。その鼻をわしにかさんか?」
というと、ホッホといつもと同じように穏やかに笑いました。

クリスマス特別企画 ルドルフ(1)

2007-12-23 23:44:14 | 民話ものがたり
北欧の森で「ルドルフ」といえば、知らぬ者はいません。すぐに、ああ、あいつのことだなとわかります。
せいぜい足が速い以外(それも、他のトナカイよりもちょっとだけ)何の取り柄もないトナカイの青年が、北欧の森中にその名が知れ渡っているのは、その特異な風貌のせいでした。
風貌、といっても、おなかだったりおしりだったり、簡単に隠せるような場所ではありません。隠しようがない場所なのです。
「赤鼻」のあだ名の通り、ほかの人と違っているのは、彼の顔の真ん中にある「鼻」だったのです。
どのように違っているかと言えば、鼻が赤く染まっているのです。
ほんのり赤いぐらいなら、それはそれは大変かわいらしく、たいそう人気もあろうと思いますが、ほんのりどころか、見れば動物の新鮮な血を塗りたくったかのようなそんな衝撃的な赤さだったのです。
もし、その鼻が役に立つものでしたら、きっとみんなルドルフのことをからかったりはしませんし、ルドルフも思い悩むことはしないでしょう。
しかし、どうやら役に立つものではないらしく、森の悪い連中はルドルフを「赤鼻じゃ、赤鼻じゃ」とわめきながら追い回してきます。
これは、ルドルフの父さんのせいでも母さんのせいでもないのです。
ただ、ルドルフがそういう鼻をもって生まれてきたというだけなのです。
ルドルフは、子どもの時はそのことをたいそう恨んで、父さんや母さんに対して八つ当たりなどをしたこともありましたが、しかし、どうにもならないことはルドルフが一番よくわかっていました。
今ではすっかりあきらめはて、外出するときはもっぱら森がすっかり暗くなる新月の晩や、天気が悪くて厚い雲が月を隠しているような夜でした。それでも、あまりに赤い彼の鼻は真っ赤に輝いてとても目立ちました。
新月の夜には火の玉が出ると恐ろしい噂が立っていましたが、実はその火の玉の正体こそルドルフの赤い鼻だったのです。
なので、ルドルフはその噂を聞くたびに鼻だけでなく角の先まで真っ赤にしてしまいます。

さて、一ヶ月ぶりの新月の晩のことでした。
それまでの一ヶ月は、天気がよく明るい晩が続いたので、ルドルフが夜の散歩に出るのは、実に久方ぶりのことでした。
新月の晩は、森が真っ暗になるので普通、動物は歩き回りません。
もしかして、人間の仕掛けた罠があっても気付きませんし、もしかしてオオカミの縄張りにでも迷い込んだら大変なことです。
ルドルフが新月の晩も散歩ができるのは、実はその赤く光る鼻のおかげでした。
しかし、それだけでした。それだけしか、役に立つことはありませんでした。
散歩をしていても、頭に浮かぶのはこの赤い鼻に対する劣等ばかりです。
「ああ、なぜぼくはこんな鼻を持って生まれたんだろうか」
「なぜ、ほかのトナカイと違うんだろうか」
そして、
「なぜ、違うというだけで、ぼくがこんな目に遭うんだろうか」
うちで寝ていても、散歩していても、この鬱々とする気分を払拭することはできませんでした。
鬱々とした気分を抱えたまま、当てもなく森をさまよい歩いていたときでした。
突然、森の奥の方から、何かが木にぶつかったようなものすごい音が聞こえてきました。
新月の晩の森ですから、とても真っ暗で詳しいことは何一つわかりません。
とにかく、ルドルフはあの騒々しい音はただごとではないと思って、音のした方へと向かうことにしました。

飯と雪のはなし

2007-12-15 23:22:48 | 民話ものがたり

調べても見たんですけど、どうにもタイトルを失念してしまいまして、思い出そうと思っていろいろ調べてみたんですけどね。
まさしく失念。とうとう思い出すことができませんでした。
わたしがそれを見たのはいく年前だったでしょうかね、放送が終了して13年たった今でも、依然として人気が高い『まんが日本昔ばなし』(毎日放送)で見たことは間違いないんです。
とにかく、作者も題名もわからぬままですが、語ってみたいと思います。


それは、まだ神様が人間という生き物を作って間もないころの話です。
神様は、何も人間を作ろうと思って作ったわけではありませんでした。ただ、何となく粘土を捏ねていくうちにいい感じの造形になってきて、納得のいくまでこね続けてできたのが人間という、実に風変わりな生き物だったのです。
神様の手で長年の間こねられたので、人間はとてつもない潜在的な何かを持っていましたが、今はまだ作られたばかりで、どうやって生きるべきかということを知りませんでした。
つまり、極めて受動的な生き物でした。
自然から与えられたものを食べることでしか、その命を繋げる術を知らなかったのです。ある年の冬のことでした。
その年はことに寒さが厳しく、木になる実も葉も根もすべて枯れ落ち、またほかの動物たちはすっかり地上から姿を消してしまいました。
食べるものを手に入れる術を失ってしまった人間たちは、すっかり途方に暮れ、命が尽きるのを待つのみでした。
それを見て気の毒に思ったのが、当の神様でした。
気まぐれで作ったとはいえ、自身が生み出したものたちがこのまま滅んでいくのを見ているのは忍びないと考え、なんとか救ってやりたいと考えました。

人間たちは、相変わらず命の火が尽きるのをただ待つのみでした。みな顔が鬱々として、なぜこの世に生きてきたのかわからぬというような表情をしています。
そのときでした。
突然、空からほかほかとした白いものが降ってきたのです。
人間たちは、どうしたことかと空を見上げていましたが、やがて無数に降るその白いものがふと口に入りました。
むぐりとかむと、これがうまい。
一人がうまいと叫ぶと、みなこぞってその白いものを口に運びます。ほかほかと暖かく、柔らかくほんのりと甘いそれは、米の飯でした。
神様はとりあえずこれだけ降らせれば冬は越せるであろうという分の飯を降らせて、しばらく人間たちを放っておくことにしました。

神様は、人間たちの潜在的能力を信じて、いつか己が生きる道を見つけてくれるであろうと期待しておりました。
しかし、次に人間たちの様子を見に来た神様は、その愚かさに愕然としてしまいました。
なんと彼らは、あまりある米の飯を丸めて玉遊びに興じたり、食べることに困らないことに安心しきって、ぐうたらとした日々を送っていたのです。
神様はすっかり頭に血が上ってしまいましたが、しかしこういう結果になったのも、自分が甘やかしたためだと悔やんで、とりあえずその冬は人間たちの思うように過ごさせました。
それから、また暖かい春が来て、育ちの夏、実りの秋を迎え、寒さの冬がやってきたのでした。
結局、この一年も自然の恵みによって生かされてきた人間たちは、再び冬の寒さの前に為す術なく、命を落とすのが先か、それとも神様が救いの手を差しのばしてくれるのを待つだけでした。
その様子を遠く天上から見ていた神様は、やはり前と同じように彼らに対して不憫と思う気持ちと、すっかり期待を裏切られたという絶望と怒りの感情の板挟みとなっていました。
何とかしてやりたいとは思いつつも、しかしそう簡単に手を差し延べてしまっては、人間たちのためにならぬと思い、前にも増してその対応をどうしたものかと頭をひねりました。
そして、ちと残酷かも知れぬと思いつつ、ぬしらのためじゃと意を決しました。

人間たちは、前の冬とまったく変わってはいませんでした。
顔が鬱々として絶望感に満ちあふれ、しかし心の中では、また前のように神様が何とかしてくださらぬものかと、そんなことばかりを考えていました。
そのときでした。一人が、
「見ろ、飯じゃ。飯が降ってきおる」
と叫びました。
みな、はっと顔を上げますと、確かに前の冬と同じように空から白いものが降ってきます。
しかし、それはほかほかしていませんでした。口に入れてもただ冷たく、すぐに溶けて水になってしまいます。甘くも柔らかくもありませんでした。
それは、ただの雪だったのです。
人間たちの一人は、
「なんじゃー、こんなもん。食っても腹一杯になぞなりゃせんわい」
といって、どかりと地面に寝転がってしまいました。
別の一人は、
「前に神様が飯を降らせてくれたとき、その好意を踏みにじったからかの。それで神様がお怒りになったのかの」
といいました。
何にせよ、神様に見捨てられたと考えた人間たちはすっかり落ち込み、その場にへたり込んでしまいました。
しかし、神様は見捨てたわけではありませんでした。
やがて、白い雪に混じって、ぽつぽつと黒い種が降ってきたのです。
それは、米のもみでした。
それを拾い上げた人間の一人が、
「…これを育てろということか」
と、天に向かって手のひらを広げました。

その冬は幾人かの人間が命を落としましたが、無事に生き残った人間たちは、暖かくなってから籾をまき米を育て始めました。
どうやって育てるかはわかりませんでしたが、その時期になるとちゃんと神様が雨を降らせたり、太陽を照らしたりして、天上からそっと教えてくれました。
そうして人間たちは米作りを通して、はたらくと言うことを学び、生きるとはどういうことかを知ることになったのです。


と、こんな話です。
話自体を聞いたのもけっこう前の話ですからね。覚えているのはプロットぐらいのもので、一部はわたしの創作だったりします。
結局、このあとは人間は争いの歴史に足を踏み入れるわけですが、何にせよ、人間ってのは変わらない生き物だと思いませんか。
人間の本質が、見事に現された話だと思いますね。
しかし、同時に、「便利」だということと「楽する」ということは違うことだとも言える気がします。
結局、悪いことをした人は、その概念をはき違えたということが言える気がします。

まぁわたしなんかも稀代のめんどくさがりやですから、いつ人の道を踏み外すかわかりませんが。


笛吹権三郎(4)

2007-11-09 21:26:35 | 民話ものがたり
何とか無事だった村人たちは、一度、庄屋の屋敷にいくことにしました。
この水が引かぬことには、どうすることもできませんし、冷え切った身体を、庄屋の屋敷で温めようということになったのです。
庄屋の屋敷では、一帯の住民が避難していました。みな手に手を取り合って、その場の無事を喜んでいました。
特に、権三郎が助けた若者の両親は涙を流して喜び、権三郎に何度もお礼をしました。権三郎は、照れながらも感謝を受け入れておりました。
一段落すると、権三郎は母の姿を探しました。ここに避難しているはずです。それほど人がいるわけでもないので、すぐに見つかると思っておりましたが、探せども母の姿が見つかりません。
「母上」
と呼んでも返事がありません。
権三郎が、母を捜していることに気が付いた庄屋の妻は、
「権三郎の母上様は、まだお見えになっていませんが」
といいます。
権三郎の背中に、ぞくりと悪寒が走りました。
そのときでした。庄屋の屋敷の戸ががらりと開いたのです。
そこに立っていたのは、権三郎の母を庄屋の屋敷に連れていくようにいわれていた、義助でした。
義助だけでした。
義助は鬼気迫る表情で、まばたきもろくにせず、荒く呼吸をするだけでした。
その雰囲気に、庄屋の屋敷はしんと静まりかえってしまいました。
「義助や。権三郎の母上は、どうした」
誰も尋ねるものがいないので、義助の父が尋ねました。
「わ、わからん」
とだけ答えました。
「それでは、答えになっておらん。権三郎の母上はどうしたのか」
「お、おれは…坂の手前まで、母上さんを手を引いて案内した。でも、そのときに母上さんがこういっただ。『笛を忘れた』ってな。何をいってるんだと思っていたら、おれの手ェを振り払って、またうちに舞い戻っていったんだ」
その話を聞いて、権三郎は頭を大きな岩で殴られたように、ぐわんぐわんと目まいがして、その場にへたり込んでしまいました。
庄屋が、おおと権三郎に駆け寄りますと、権三郎はがくがくと震えております。
「ほんで、お前はそのままにしておいたんか」
「んなことはねぇ。おれは追いかけた。しかし、すぐに堤が破れるえらい音がして、あっという間に目の前が水に浸かっちまったんだ。おれはどうすることもできなくなって…ここに戻ってきた」
みな、義助を責めることもできず、また権三郎にかける言葉もなく、黙っているしかありませんでした。

笛吹権三郎(3)

2007-10-26 21:53:22 | 民話ものがたり
子酉川は、ごうごうと渦を巻き濁流が恐ろしい叫び声を上げて、堤にぶつかります。ぶつかるたびに土は削られ、村人たちが積んだ土を詰めた俵にも浸水し始めた。
「だめだぁ、このままだとみんなおっちんじまぅわ」
と指揮を執っていた庄屋がいいました。
確かに、堤が破れるのは時間の問題であることは、誰の目から見ても明らかでした。
「しょうがねぇ。皆の衆、撤収すべ。丘の上まで急げ」
と指示を出しました。村人は手に手に道具を持って、死にものぐるいで高台へと駆けあがっていきます。
その時でした。
堤の補強に参加していた村人の内、一番年若のものが泥沼と化した田に足を取られ転んでしまったのです。
堤は、精一杯に濁流を押し返しており、いつ破れてもおかしくない状況です。土の俵を支える丸太も、がくがくと震えています。
若者は洪水の恐怖に駆られ、まとわりつく泥に手足をとられ、沼から出ることはできません。
雨、泥、川の水、汗、涙、鼻水で顔はぐちゃぐちゃ。頭の中は何が何だか分からぬ状態。右手で右足の泥を払おうとするものだから、体勢を崩してまた泥につかる。そんな繰り返しでした。
村人はみんな逃げることで精一杯だったので、若者のことに気が付くものはいません。
ただ一人、権三郎だけがふとふり返った拍子に、泥の中であがく若者を見つけました。
見つけると無意識に、権三郎は若者を助けに走り出します。
一足早く丘にたどり着いた庄屋が、その様子を見て、何かを叫んでいますが、権三郎には聞こえていません。
「大丈夫か。ほれぇ、手ぇ貸せ」
若者のところにたどり着くと、手を貸し肩を貸し、とうとう若者を助け出します。
堤の方に目をやると、支えていた丸太にひびが入ります。俵の間からちょろちょろと水が漏れていたかと思うと、どどーっと水があふれ出しました。
「いかん、走れぇ」
と権三郎は叫びました。
村人の大半は安全な丘までたどり着き、口々に「急げ」とか「走れ」とか叫んでいます。
若者の手を引いて走る権三郎は、背後から迫る恐怖に心臓がばくばくと大きく鳴り、張り裂けんばかりです。
いつの間にか、権三郎は「うぉぉ」と獣のような声を上げながら、駆けていました。
そして、二人が丘にたどり着くと同時に、その瞬間に二人がいた場所は、ざぶんと水に浸かってしまいました。
「あ、あぶないところじゃったのぅ…」
庄屋が呟きました。
若者は、何も言わずに、そこにへたり込みました。
権三郎は、何ものも飲み込みながら押し流れる水の行き先を見つめていました。その方向には、権三郎と母が住んでいる小屋があったのです。