さじかげんだと思うわけッ!

日々思うことあれこれ。
風のようにそよそよと。
雲のようにのんびりと。

北信濃旅行記(5)

2006-08-31 22:03:00 | 
もし、黒姫高原の観光地にもほど近く、寂静の時間を過ごしたいのであれば、うってつけの宿があります。
それが、『ペンション四季の詩』です。
高原の広い道からはやや奥まったところにありますが、しかしそれがゆとりある時間を作り出す要因になってもいます。
場所が分からないとき、ペンションに電話をすれば、ご主人が誘導に出て下さいますし、黒姫駅からの送迎も承ってくれます。
もし運がよければ、かわいらしい猫が出迎えてくれるでしょう。
2階建てのとても雰囲気のよいペンションです。
部屋に通されると、やや狭いと思われるかも知れませんが、実はロフト付きなので天井は高いし、部屋は思った広いように感じると思います。
暖炉、揺り椅子、テラスと、リラックスできるアイテムが揃っています。冬になれば、スキー客が押し寄せてくると言いますから、疲れたお客さんをいやしてくれることでしょう。

特にすばらしいのは料理です。
善光寺・レストラン五明館の料理もすばらしかったですが、「四季の詩」でのディナーは自家製の野菜や季節の山の幸をふんだんに使ったとても贅沢なものでした。
ご主人・奥さんと話をしながらの夕食でしたが、ぼっちゃんカボチャの実を器とした料理はこのペンションのうり。
さらに、晩春にご主人が採ってきたタケノコを奥さんが水煮にし、そのタケノコを使った竹の子汁も絶品ものです。
そのほかにも、一人あたり10品前後の料理が出てきて、満腹度120%。食べてしばらくは動けないほど、おなかが一杯になりました。

食事の次はお風呂です。お風呂は俗に言う、「家族風呂」でした。広いお風呂に広い浴室で、出窓がついており、外の景色を見ることができます。林の中のお風呂なので、たいそう雄大な気持ちでお風呂にはいることができました。
次の日は、相方の計画通り、開園一番で黒姫高原コスモス園に行くというので、朝ご飯も30分ほど早めてもらって、旅行の疲れもあって早めの就寝となりました。
翌日、焼きたてパンの朝食をいただいて、八時半にはペンションをあとにしました。
ご主人も、奥さんも愛敬のある、ゆったりとした時間が流れる一晩でした。

さて、黒姫高原はコスモスが有名です。
どういったいきさつでコスモスが有名になったのかは分かりませんが、60品種100万本のコスモスは伊達ではありません。
黒姫高原コスモス園は、冬になるとスキー場「黒姫高原スノーパーク」となります。そして雪が溶け始めると、コスモス園への準備を始めるのです。
門の外からでもコスモスの愛敬ある姿は拝めるのですが、やはり、実際に中に入って見てみることをオススメします。
入場チケットを買うときに、リフト券はどうしましょうか。と聞かれるので、軽いハイキングをなされたいのであれば、片道を。気軽に展望台まで上りたい人は、往復を買うのがよいでしょう。
わたしがいったときにはまだ六~七部咲きでしたが、十分に満足できる景色でした。
よほど涼しいのか、朝顔が九時を過ぎてもなお、しぼまずに咲いていました。
朝まだ早いということで、人影もまばら。観光バスが入ってこないうちに、リフトに乗って、展望台までいってみようということになりました。
「パノラマリフト コスモス空中散歩」と名付けられたそのコースは、全長980m、時間にして8分の散歩となります。
低いところではコスモスの絨毯を歩いているような錯覚に陥るような、そんな幻想的な世界。山に近づくにつれ、スキーの高難易度コースを彷彿とさせる険しい山坂となります。
展望台からの眺めは、晴れていれば格別でしょう。
残念ながら、わたしが登ったときには薄い雲がかかっていて、野尻湖がかすんで見える程度でした。
妙高山から袴岳、斑尾山まで見渡すことが出来、さらに麓には野尻湖を望むことができます。絶景のビューポイントといって差し支えないでしょう。
その雄大な景色を楽しんだあとは、リフトを下り、園内を隈無く散策。
日がいよいよ高くなって、疲れ始めたら、コスモプラザで休憩しました。ブルーベリーソフトを買って食べました。昨日の教訓通り、バニラとのミックスを頼みまして、これもまた美味でした。

ひじょうに中途半端なところではありますが、また明日に続きます。
黒姫高原コスモス園後編、及び黒姫童話館のことを書きましょう。
今日の写真は、コスモス園のコスモスです。
「サイケ」という品種になります。花弁周辺のぴょこと立った花びらが、まことにかわいらしいですね。

北信濃旅行記(4)

2006-08-30 21:32:55 | 
東山魁夷といえば、20世紀現代日本美術界の巨人ですね。名前は知らずとも、その作品は見たことがある人は多いと思います。
静寂と神秘という言葉がぴたりと当てはまる、そんな絵を描く人です。
シンプルなわけではないのです。
樹や川や水や空や雲などが所狭しと描き込まれているのに、その世界は静寂そのものです。
描き込まれている、というのは適切ではないかもしれません。
塗り込められているとでもいいましょうか。そんな感じなのです。
わたしは魁夷の絵を見ていて、その絵の静かさに耐えきれないときがあります。
もとから静かさが苦手だとはいっても、魁夷の絵はあまりにも静寂なのです。

東山魁夷の絵画は、日本全国の美術館にあります。
著名なところですと、長年過ごした千葉県市川市の市川市東山魁夷記念館、兵庫県立美術館、香川県立東山魁夷せとうち美術館、そして、今回訪れた長野県信濃美術館です。
仲見世通りから善光寺本堂前を通り抜け、鐘楼・梵鐘の前を通ると、すぐに見えてくるのが城山公園です。
城山公園内には科学館があり、動物園があり、そして美術館があり、さらに桜の名所でもあるという観光・レジャースポットといえます。
長野県信濃美術館は、1965年の開館です。1990年には、東山魁夷自身から作品を寄贈され、別棟として東山魁夷館が建設されました。
長野県信濃美術館HPによると、本制作32点と習作・スケッチ、準備作、試作など多数が収蔵されているということです。

訪問したときには、『夕静寂』展ということで、夏から初秋にかけての作品を中心とした作品が展示されていました。また、最初期の作品から絶筆『夕星』までが展示され、人生画業を展望するという趣旨もあったようです。
印象としては、冒頭で述べたとおりです。
相方は、魁夷の表現技法の卓越さに惚れ込んでいて、色の濃淡だけで同じ色形の景色事物など一つもないということを断言できるだけの、その技術力の高さにほれているのです。
当然、総合的に見ても、日本人画家の中では飛び抜けた存在だというのです。
それは確かに、わたしにとっても間違いのないところです。

長野県信濃美術館をあとにして、来た道を戻ります。
時間はすでに17時近く。仲見世通りの土産屋もこの時間になると、シャッターを下ろし始めます。
また、高校生の帰宅時間でもあります。仲見世通りを下って帰る高校生の姿は、何とも風情があります。テレビCMでも見ているような、そんな風情です。

あちこちを見ながら下っていきますと、あんずソフトクリームを発見。
長野県といえばりんごを思い浮かべる人が多いでしょうが、実は長野県はあんずの生産量日本一。日本の生産量の60%を占めるといいますから、大したものです。
なので、あんずソフトがあるのも、道理といえば道理。
食べてみようということになりました。わたしはあんずを、相方は木いちごとバニラのミックスをそれぞれ頼みました。
食べてみれば、確かにあんずの味がします。思ったより甘酸っぱくないですが、でも十分おいしいといえる範囲です。
ミックスを食べてみると、こっちの方がおいしい。というのも、やはり単独だと味が濃いのです。バニラとの味のバランスが、大変おいしかったのです。
結局、あんずもバニラとミックスだったらもっとおいしかっただろうということで、結論がつきました。

さて、善光寺の大本願有料駐車場を出る頃には17時もまわり、さてでは本日のお宿に向かおうということで、車を走らせました。
どこをどう走ったのか、たぶん地元の人しか知らないだろう道をぶんぶん走り、50分ほどで無事につくことができました。
本日泊まるところはペンション『四季の詩』(長野県上水内郡信濃町野尻黒姫山)。
今回の旅の目的でもある、コスモス園にもほど近い、実に静かでなごやかな雰囲気の、よいペンションです。

今日はここまでにしましょう。写真は『長野県信濃美術館・東山魁夷館』です。
東山魁夷の作品にふさわしい、日光が水面に反射する様子がよいと思いました。
明日は、ペンション『四季の詩』での様子と、あわよくば黒姫高原コスモス園まで入りたいなぁと…。
そう思っています。

北信濃旅行記(3)

2006-08-29 20:07:10 | 
「牛に引かれて善光寺参り」という文句がありますね。
でも、その意味と語源。知っていますか。わたしは知りませんでした。
その意味を知ったのは、実は昨日書いた「レストラン五明館」でのこと。わりばしの袋の裏に書かれていたのです。
こんな話です。

むかし、けちんぼな老婆が住んでいました。ある日、老婆が白い布を干していると、どこからともなく現れた牛が、干してあった白布を角に引っかけていってしまいました。老婆は驚いてその牛を追いかけると、牛は善光寺の境内に入っていきます。老婆が足を踏み入れると、どこからともなく読経が聞こえてきます。その読経に聞き入った老婆は、あの牛が仏様の化身であることを確信しました。それまでの行いを恥じ、信心に目覚めた老婆は豊かな一生を送りましたとさ。

というのが、その故事です。
典型的な説話ではありますが、引かれると言うよりは、導かれていったという方が正しいかも知れません。
故事としての意味は「思い掛けないことが縁で、また、自身の発意ではなくて偶然、良い結果に導かれること」です。

さて、そんないわれの残る善光寺ですが、まず仲見世通りが賑やかです。
甲府にも善光寺があります。
長野市は古くは善光寺平とよばれており、近くにはかの川中島もあります。つまり、戦国時代には武田信玄と上杉謙信の、北信濃の主権争いの場になったわけです。
善光寺が建立されたのは、推古天皇の時代といいますから、西暦600年前後。さらに、ご本尊「善光寺式阿弥陀三尊」は欽明天皇の時代といいますから、さらに60年、70年遡ると言うことになります。
これほど歴史ある寺ですから、戦渦に巻き込むのは忍びないということで、1558年に甲斐善光寺が開基されたそうです。
前書きが長くなりましたが、言いたいことは甲斐善光寺よりもよほど栄えているなぁということです。
知っている人も多いかと思いますが、信濃善光寺周辺には宿坊(寺付属の宿泊施設)がたくさんあります。
また、その名の通り、土産物屋などの店も多くあり、なかなかの賑わいを見せています。

その中で、あちこちを見ながら先を進んでいきますと、何ともユーモラスな地蔵―一見しただけでは地蔵とはわかりませんでしたが―が立っています。解説板を見ますと、「むじな地蔵」と書いてあります。
その地蔵が建っている脇に、「ギャルリ 蓮」という店がありました。
その風変わりな名前に興味をそそられて覗いてみると、落ち着いた雰囲気の、それでいてきらびやかな店でした。
中に入ってすぐ、店とは別棟にある部屋に案内されました。
そこには…なんと、むじな地蔵があるではないですか。表にあるのと同じような地蔵が、暗い部屋に神々しく…まさしく神々しく飾られていたのです。
「ギャルリ 蓮」さんは宿坊の一室を借りて、万華鏡やトンボ玉などを取り扱うお店でした。千円未満の簡素だけどもきれいなもの、ン万円もするような高価だけどそれに見合う技巧を駆使した豪奢なもの。さまざまな万華鏡があり、一見の価値ありです。
もちろん、むじな地蔵も。その由来は長くなるので省きますが、もし気になる方はぜひ、信濃善光寺へ行ってみてください。

残念ながら、重要文化財・善光寺山門は2006年8月現在も絶賛工事中です。なんと2002年から総工事費10億円を超えるような、大修理工事を行っています。完成予定は来年だそうです。
というわけで、1750年竣工した山門は今、白の天幕に覆われた素っ気ない姿になっています。
かくいうわたしは、まさか山門が工事中とは知らずに、軽くショックを受けてしまったのですが。
しかし、山門手前の仁王門(1918)、また国宝である本堂(1707)は健在。
約300年の時空の重み、多くの人道の重みによって鍛えられたその姿は、たった20年しか生きていないわたしに、また80年しか生きられない人間たちにその小ささを思い知らせるように、わたしを圧倒し、押しつぶしていったのでした。
今日の写真は、その善光寺本堂です。

あぁ、また長くなってしまいました。
明日は…いや、明日こそ、長野県信濃美術館・東山魁夷館の話をしたいと思います。

北信濃旅行記(2)

2006-08-28 21:00:48 | 
上信越自動車道から長野市に入るには、前回ハンドルを交代した松代PAからすぐの須坂長野東ICを下ります。
時間も1時半をまわらんとしていますので、長野でご飯でも食べようと言うことになりました。
長野といえば、やはり蕎麦。明日訪れる予定の黒姫周辺には戸隠という蕎麦の名産地があります。
食べ比べの意味も込めて、じゃあ長野の蕎麦を食べようじゃないかと思い、ある一件の蕎麦屋に目的を定めました。
長野インター目の前にあるとある蕎麦屋さんだったのですが、ところがその蕎麦屋さん。蕎麦がなくなり次第閉店という、人気のお店。
もはや昼時を過ぎ、二時にさしかかろうというところで、まだやっているのかどうか…。
案の定、そのお蕎麦屋さんはもはや閉店しておりました。

さて、どうしようかと考えていると、善光寺付近においしそうなレストランがあります。
その名も『レストラン五明館』(長野市大字長野大門町515)。
創業200年の老舗旅館が開いたレストランで、旅行誌には「ふんわりオムレツが絶品」と書かれており、そのオムレツに惹かれたのでした。
目の前の本願寺が経営していると思われる有料駐車場に車を止め、五明館に入りました。

非常に落ち着いた雰囲気の、モダンなたたずまいのお店です。
モダンなたたずまいなのに、着物を召した方がよく似合う。モダンなのに、古風な日本がよく似合う。
考えてみれば、ふしぎなものです。いや、これもただのノスタルジカル・イメージなのかもしれません。作られたイメージの中での、和洋の調和なのかも知れません。
お店の中には、着物を召したご婦人が数人、洋装のご婦人もおりましたし、なんか観光客の我々が中にいるのが不自然なほど、店内の雰囲気は落ち着いていました。
相方は、目的通りオムレツを、わたしは評判のヒレカツを使ったカツ重を頼みました。
オムレツは噂に違わぬふっくらふんわりほくほくと、実に理想的なオムレツでした。中にはトマトペーストらしきものが包まれ、家で作るようなケチャップだけの味がするオムレツではありませんでした。
カツ重も柔らかいヒレカツが使われて、大変おいしいものでした。
双方ともに、外観・客層に違わぬ品よく、おいしい食事でした。
それから、味噌汁。これもおいしかったです。やはり、味噌の本場。信州味噌を使った具だくさんの味噌汁は、メインメニューに劣らず一食の価値ありです。

五明館を出たあと、善光寺を参ろうということになりました。
さらに近くには、東山魁夷の美術館として著名な長野県信濃美術館もあるとのこと。
相方が東山魁夷をたいそう尊敬しているということもあり、そちらのほうにも足を伸ばすことに決めました。

というわけで、今日の写真は『善光寺山門からのぞむ仲見世通り』です。
明日は長野散策編その②、善光寺を参拝しましょう。

北信濃旅行記(1)~出発

2006-08-27 21:13:31 | 
25・26日と、北信濃に旅行に行ってきました。
今日から数回に分けて、その様子を書いていきます。

目的地は、北信濃は黒姫高原。黒姫高原は、日本有数のコスモスの名所。
そのコスモスを見たいということで、旅行先は一年も前から決まっていました。
黒姫高原という地名はありません。黒姫山を中心にした一帯をそう読んでいるそうです。
市町村区域としては、信濃町になります。付近には、ナウマン象で有名な野尻湖があり、また小林一茶終焉の地としても有名です。
晩夏から秋にかけてはコスモスが咲き乱れ、冬から春まではスキーやスノーボードなどウィンタースポーツが盛んになります。
名前がまずきれいですね。黒姫ですよ、黒姫。
その由来は、ある伝説があるということですが、それはまたお話しすることもあるでしょう。

まぁ逆に言えば、黒姫高原でコスモスを見るということ以外は無計画、ノープランということです。
そのほかに決まっていることと言えば、交通手段と宿泊場所ぐらいなものでした。
でもまぁ、「ぶらり」こそが旅の神髄ではないでしょうか。
というわけで、いざ旅に出たのです。

諸事情により、出発地は山梨県南都留郡鳴沢村にある道の駅「なるさわ」。
この日は、薄曇り。
晴れの日ならば、富士山が裾まできれいに見えるのですが、残念ながら今日はきれいに見えませんでした。
ルートは、国道139号から精進湖ブルーラインこと国道358号を走り、甲府南ICから中央自動車道へ。延々と走って、岡谷JCT手前の諏訪湖SAで休憩を取りました。
ここまでで、だいたい一時間半程度。高速走行が好きだったりする人はさくさくと進めるのでしょうが、わたしはいかんせん苦手です。なので、時間はかかった方だと思います。

諏訪湖SAでは、諏訪湖を眺めながらの軽いおやつと手洗い。
諏訪といえば、諏訪神社の寺社町として栄えた古い町ですね。
山梨県人のわたしとしては、武田信玄が信州進出の足がかりにした土地としてインプットされているのですが、社会科では諏訪湖の水を利用した精密機械生産の拠点として習いましたね。
ここ最近では、湖上祭の走りとしての諏訪湖が有名かも知れません。
諏訪湖周辺は田畑がきっちり区分けされておりきれいだったのですが、さすが精密機械工業が盛んな土地。工場が多く建っておりました。
湖も、悲しいかな岸辺にはアオコが発生していて、やや汚染されていた印象があります。
一度はじっくりと南信濃も散策してみたいですね。

さて、諏訪湖で相方に一時ハンドルを譲り、今度交代したのは松代PAでのこと。更埴JCTから上信越自動車道へ入ってすぐでした。
道中、計画を練りながら進んでいきました。
その結果、コスモスは明朝早々がいいんじゃないかということになり、第一の目的地を長野県庁所在地である長野市に定め、長野ICから下っていきました。

というわけで、明日は長野散策編です。
写真を撮ってきましたので、少しづつ載せていきます。
今日は『諏訪湖SAからのぞむ諏訪湖景色』です。

北信濃旅行記(予告編)

2006-08-27 00:36:54 | 
昨日今日と、北信濃は黒姫高原を目的地に、長野市周辺をぶらぶらしてきました。

今日はもういかんせん疲れ果てましたので、明日から書いていきます。
結構長くなりそうです。でも、適当にぶらぶらやっていきますので、まぁみなさんも適当に見てください。

はぁ…つ、疲れた。

三島訪問記(番外編)

2006-08-24 23:06:09 | 
番外編ということで、今日は三島から帰ってくるときのお話しをします。
車で三島へ行くのは初めてであるということは、以前書きました。
初めてということは、つまり道がわからないということです。

見知らぬ土地に行くとき、道順の下調べをします。
大体はインターネットの地図などを見るのですが、土地勘のある山梨県内なら「ここをあぁ行って、ここをこぅ曲がる」ぐらいで分かるのですが、他県のまったくもって未知の土地へ赴くとき、そうは行きません。
都市部では道が入り組んでいて、どこをどう曲がればよいのかとか、どこに接続しているのかとかいうことが、皆目見当がつきません。
そういう場合、便利なのがカーナビゲーションという装置なわけですが、残念ながらわたしの車には、そういう便利なキカイは積んでいません。
よほど、地図を買おうかどうか悩んだのですが、たった一度の三島訪問で、しかもたぶん一度行けば道は覚えてしまうだろうし、地図を買うのをためらっていました。
そんな時、わたしは携帯の便利なサービスを思い出しました。

その名も「EZ助手席ナビ」。
簡単に言えば、携帯がカーナビの代わりになるのですが、有料サービスということもあり、なかなか使う機会がありませんでした。
よし、じゃあよい機会だし、一日パックもあることだからと、このサービスを使ってみることにしました。
わたしの携帯は俗に言うGPS携帯。その「助手席ナビ」というサービスも、GPSを利用して自己の位置を把握しつつ、目的地への距離を測るというようなものです。
機能自体はカーナビと大差なく、しかもちゃんとしゃべります。地図も明確ですし、結構細かい道路なんかものっています。
「おぉ、なんだ。便利じゃんか」と、ちょっとした掘り出し物を当てた気分でした。
ところが、このGPS装置。ちょっと問題がありました。
その問題とは、少しでも電波の調子が悪かったりすると、通信を切断してしまうんですね。
まぁ人工衛星を使っている機能なのですから、当然といえば当然なのですが、それが長時間に渡るとえらいことになります。

三島からの帰り、旧鎌倉往還である国道138号線を走っていました。
最後に、携帯が「2km先、左折です」と声を発してから、だいぶ時間がたちました。
「Oくん、そろそろどこか曲がるんじゃないの?」
「えぇ。そろそろだと思うんですけど。あ、あそこに看板がありますよ。あそこを下るんじゃないですか」
見ると。確かに、青地に白で「山中湖」と書いてあります。
「え、でも携帯黙ったままだよ。」
といって、そのまま看板をスルー。
「え、でも。この先有料道路ですよ」
「えーっ!」
と驚いても、後の祭り。携帯からようやく出てきた言葉は、
「ルートから、外れました」
なんですとーッ。遅い!遅いよ!
このあたりは山間で電波のとどきが悪かったのでしょうか。のちに地図の更新が止まっていたことが判明しました。
結局、須走ICから東富士五湖道路を走り、山中湖ICでおりるというルートを辿って、都留へと向かいました。

この事件から得た教訓は、
1.カーナビを完全に信用してはいけない。
2.カーナビよりも、自己の目で見たことの方が正しい。
3.きちんとした距離感覚を、掴んでおくべき。
ということになります。

さて、いちおうこれで三島訪問記はお終いです。
次回からは、また別のシリーズが始まる予定です。
では。

十二

2006-08-23 21:24:08 | 『おなら小説家』
その日から数日間、草田男には夢のような日々であった。
かつては、文学という芸術を志した草田男が、当代一流の最高傑作に触れ、感化されないはずはなかった。
ふつふつと、独特で鮮烈な感情がせり上がってくるのを感じた。口から吐き出そうなるほどの、それほどの感情であった。

その日やってきたのは、国立西洋美術館であった。
松方コレクションの所蔵で有名なその美術館は、間違いなく二人の興味を満たしうるものであった。
草田男は食い入るように作品を見てまわった。
そんな様子を興味深げに見ている恵美がいた。
あなたは芸術が好きだったのね。と恵美がいうと、草田男は少しはにかんだ。
ここ十余年、感じたことのなかった感情と長年連れ添った妻に、意外な一面を見せたことへの照れだった。
草田男は、まぁねといったきり、作品に目を移した。
モネの『睡蓮』の前までやってきた。
立ち止まってしばらく見入っていた。凝視して、たまに目を離したりくっつけたり、ため息をついたりしていた。
暗くよどんだ沼に浮かぶ、いくつかの睡蓮。鮮やかすぎて、近づきすぎると分からない。
純粋。と恵美がつぶやいた。草田男が聞き返した。
純粋よ、睡蓮の花言葉。その作品のイメージにもよく合うわね、と続けた。
純粋か、と短くいうと、純粋よ、と短くいった。

その晩のことだった。
草田男は、すまんといって旅行を打ち切り家に帰り、書斎に閉じこもった。
恵美は何も言わずに、書斎に消えるその背中を見ていた。満足そうなほほえみを浮かべていた。
彼が書斎から出てきたのは、次の日の夕方になってからだった。朝餉も昼餉も抜かし、夕餉になってようやくはい出てきた。
恵美は何も言わずに、そうめんを出してきた。そして、その日起こった出来事を、残らず草田男に話した。
どこか中米の国で小競り合いがあっただとか、欧州の国で牛を追いかけるたいそうな祭りがあっただとか、日本では首相が米の歌手の真似をして失笑をかっただとか、そんな他愛ないことばかりだった。
しかし、草田男はふむふむと興味深そうに、そして微笑みながら話に聞き入った。

三島訪問記(6)

2006-08-22 22:13:19 | 
結局、途中3時半頃、Oが離脱。豆鬼にして就寝。
残った三人で5時頃まで頑張り、とうとう14年目で終了。勝ったのは、わたしでした。
もうこの頃になると、結果なんぞどうでもいいみたいな雰囲気になりましたので、じゃあ終わらせて寝ようということになりました。

Mが翌日早朝、三島駅に行かねばならぬということで、KとMの二人は寝始めてから2時間後には起きて三島駅へ。
すごい寝ぼけ眼で、Mにお疲れさんといったのを覚えていますが、結局うろ覚えの範囲を出ません。
Kは帰宅後に風呂に入ったらしいですが、わたしが気が付いたとき、Kは尻をこちらに向けパジャマのズボンをはかんとしているところでした。
わたしは見なかったことにして、再び就寝しました。

次に起きたとき、すでに時計は12時を回っていました。
Oが18時からアルバイトがあるというので、まぁ帰る前に飯でも食おうということになり、前日の昼に行きそびれたラーメン屋に行こうと言うことになりました。
前日の17日は三嶋大社の祭りで外食屋はすべて混み混み。
しょうがなく某ファストフード屋に行った次第なのですが、今日はお盆も終わりだし、平日なのですいているだろうと、改めてそのラーメン屋に行ってみるかということになったのです。

そのラーメン屋は名前を『鈴福』さんといいます。
店は狭いですが、味は格別。
わたしとOは、ジモティのブラザーKオススメの辛口みそラーメンを頼んだのですが、麺は太麺でよくスープが絡み、みその味と辛みのバランスがとてもよいです。
その日も、お客さんが多くようやく3人座れるといった状況でした。わたしたちが入店した後も、お客さんが入れ替わり立ち替わりといったふうな感じでした。
Oはラーメンを食べながら汗がダクダク出てくるのですが、わたしは代謝が悪いのか、それとも猫舌が幸いしているのか。
わたしはさほど汗をかきません。普段汗かきなのになぁと思いつつ、不可解な昼間でした。
ラーメン後半、わたしはペースト状のにんにくを入れて味に変化をつけました。
ところが、これがわたしに悲劇をもたらす結果になったのです。

ラーメンを食し終わって、時間は2時を回っていました。
名残惜しさを感じつつ、Kと別れ一路、山梨へ向かったのでした。
ルートは来たときと同じく、裾野・御殿場を通って山中湖へ、そして都留へ立ち寄りOを降ろして、甲府へ戻る。というものでした。

うちについたのは、もはや5時近く。
家につき、「ただいま」をいうと、家族の第一声は

「くさい! にんにくくさい」

え? と思ったときには、時すでに遅し。
わたしは、ニンニク臭をまき散らす迷惑男と化していたのでした。

三島訪問記(5)

2006-08-22 00:20:02 | 
桃鉄が、予想以上に時間がかかってしまうということで、時間もなかなか遅くなってくると眠気が襲ってきます。
そんな眠気を抑えようとするとき、皆さんならどんなことをするでしょうか。

コーヒーを飲む。
そうですね、ある意味では一番オーソドックスな方法です。仕事を始める30分前などに飲むのが言いようです。即効性がないんですね。しかも重複効果も期待できないということです。
思い切って寝る。
まぁこれもよい方法ですね。眠い中だらだら頑張っていても効率は上がらないし、思い切って10分でも寝れば、けっこうすっきりして1時間ぐらいは持続できるものです。
「眠眠打破」を飲む。
こいつは聞きます。一度だけ飲みましたが、もうどうにもならないまずさ。コーヒーの苦みだけを10倍ぐらい強めたものに、変な薬を混ぜ合わせたような、強烈な味です。しかし、一撃で眠気が飛びます。しかし、わたしはどんなに眠気が襲ってこようとも、これだけはもう飲みたくありません。

まぁ、さまざまな方法があると思います。
しかし、この旅で発見した術は、これらの方法ではありませんでした。
その術とは、あるおかしを食べること。そのおかしとは、「眠気禁止」という壮絶な名前のおかし。そう、おかしなのです。なにせコンビニで陳列されていたのがガムなどのアソートの棚。紛れもなくおかしなのです。
Oが自腹を切って買ってくれたのですが、まぁどうしようもなく眠くなったときに食べようと言うことになりました。

12時過ぎたくらいでしょうか。ブラザーKが、あらかじめ買っておいた栄養ドリンクに手を伸ばしました。普段、ちょっと変わった規則で生活しているというKには、この時間が睡眠時間。ちょっと眠くなってきたようです。
ちょっと過ぎてから、MとOも栄養ドリンクに手が伸びました。
わたしは1時を過ぎたくらいでしょうか。生あくびが出てきたので、栄養ドリンクを飲みました。
1時半ぐらい。どうしてもあくびが止まらないKが、とうとう「眠気禁止」に手を出しました。
開けると、薬とかグミなどのような押し出す容器に入った白い玉。直径3m足るか足らぬかの、小さい玉状のおかしでした。
「メントール7倍かぁ」
などと言いながら、一つ押し出して口に入れてみました。
すると。
最初は、ふむふむと言いながら口をモゴモゴしていますと、次の瞬間にはものすごい勢いで咳き込み始めました。
「いてぇ。喉がいたい。しゃべれない」
と消え入るような声で咳き込んでいます。そのひどさにもだえていると、そこにあったパックのレモンティーに手が伸びたことは自然なことでした。
「冷たい。冷たい」
レモンティーを口にし、喉を通りすぎた瞬間、Kの苦しみは増しました。
まぁ考えてみれば当然なのですが、ミントやメントールなどの口中清涼剤を使用した後、冷たいものを飲めば、すーっとするものなのです。
さすがはメントール7倍といいましょうか、それほど強烈だったのです。
好奇心に駆られ、わたしやMもその「眠気禁止」という名前のおかしに手を伸ばしました。
口にすると、外側の白い部分は糖衣。甘くさえ感じられます。そして、その殻を噛み割ってみますと、中からトロリとした液体が。
それが舌に触れた瞬間でした。
「グホァ」
この強烈な味は何でしょうか。
もともと、ミント系の爽快感が苦手なわたし。舌から喉に渡るこの強烈な痛みともいえる爽快さに、もはやもだえるしかありません。
堪えきれずレモンティーに手が伸びます。
口にすればしたで、感覚を失うほどの冷たさ。
しばらく、咳が止まりません。

これはきくわ~ということで、あくびをするたびに口にするK。
すっかり癖になってしまったのでした。
たしかに、ガツンときて眠気はいったんは覚めるのですが、根本的な解決にならない「眠気禁止」なのでした。

明日は、次の日、食べに行ったラーメンやと帰宅についてです。