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小田原の端々



現在の三の丸小学校の敷地にはかつて本町小学校があって、その本町小学校では昭和40年代後半から児童の体力強化策の一環として毎朝、マラソンが行われていた。 1992年3月末で閉校となった本町小学校では、昭和47年の4月26日から朝のマラソンを実施。始業前の8時20分から30分までの間、ほぼ全校生徒が参加して校庭でマラソンが行われた。本町小学校でマラソンが始まったきっかけの一つが昭和47年2月に開催された札幌オリンピック。体力強化の一環としてマラソンを続けて、日々の走行距離を積み上げて卒業までには小田原から札幌までの距離を走ることも目標とされていた。マラソンが始まって8年目の昭和55年、本町小学校は創立80周年を迎えその創立記念として制作されたのがマラソンの像だった。このマラソンの像のことは以前新聞記事を読んで知っていたのだが、てっきり本町小学校の解体とともに撤去されてしまったものだとばかり思っていた。ところが先日、三の丸小学校が開放されているときに校内を散策中に発見してびっくり。現在は三の丸小学校の校庭南側の目立たない場所に置かれていた。このマラソンの像は、男の子がマラソンのスタート姿のブロンズ像で作者は彫刻家の松田芳雄氏。高さ約90cmのブロンズ製で校内の募金で集まった39万円が制作費にあてられた。マラソンの像は高さ1.1mの自然石の台座の上に立っているが、台座の石は半分ほどが埋まっている。台座にはプレートが取り付けられていて資料によると「継続は力なり」と刻まれているようだが、継続の下の文字は埋まってしまっていて読むことが出来ない。題字を書いたのは当時の三橋校長とのこと。このマラソンの像の序幕式が行われたのは昭和55年の11月30日で、除幕式のほかに創立80周年の記念式典が行われた。当初のマラソンの像は台座の上に片足をつけてスタートを切る男の子の姿だったが、老朽化のためか、現在は補強のポールが背中に接合されていた。「卒業までに札幌へ」を合言葉に続けられた本町小学校の朝のマラソン。小田原から札幌までの距離は1,254.8kmで毎年6年生の20~30名ほどが達成したとのこと。その当時の本町小学校の校庭のトラックは1周150mほどなので6年間で約8,000周ほど走ると札幌までの距離に達する計算。私も今週末から年末まで1,200km走れるように頑張ろうかな。

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