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小田原の端々



松田町庶子の道路脇に殉職した消防団員の慰霊碑を見つけたのは今から数年前。慰霊碑には4名の消防団員の名が刻まれていた。4名が殉職するような大火がかつて松田町であったのかと色々と調べてみたが、該当するような火災の記録は見つからず殉職の経緯が気になっていた。先日、図書館で調べ物をしている際に、偶然にその4名の消防団員が殉職した経緯を記載した資料を見つけた。松田町庶子の御殿場線第一庶子踏切の近くにその慰霊碑は所在している。第一庶子踏切を渡り突き当りの道路との交差点近くの道路脇に殉職した4名の消防団員の慰霊碑が建てられている。慰霊碑は1mほどの台座の上に建てられており、上部には「殉職者之碑」と刻まれており、その下には殉職した4名の消防団員の名前と殉職にまつわる経緯が刻まれている。この慰霊碑には一応殉職の経緯が刻まれているが、その内容からはどのような火災現場だったのかや、何故4名もの殉職者が出たのかは伺い知ることが出来ない。碑文には「昭和36年1月24日-出初式-午前8時40分消火のため出動して殉職直ちに各一階級特進勲八等に叙し瑞宝章を授与せられ厚く町葬を営まる 爰に碑を建て永く亡き僚友を偲び更に爾今団員活動の指標となす」と刻まれている。昭和36年の1月24日に松田町で大火があった記録が見つからず、どのような現場で4名も一度に殉職したのか不思議に思っていた。ところが先日、図書館で神奈川県が昭和45年に発行した殉職消防職員消防団員顕彰記録という資料を見つけ、何気なくページをめくっていると、松田町の4名の消防団員が殉職した経緯が記載されていた。資料によると、昭和36年1月24日午前8時30分頃、貨物自動車の火災を発見した第2団員が消防車で現場に急行中、火災現場付近にさしかかった際に退避中の他の貨物自動車の右後部に接触しスリップし消防車は横転。道路に投げ出された4名が殉職したと記載されている。殉職した消防団員は22歳から39歳と働き盛りの年齢。町葬後に松田町内の二つの寺院に葬られたとのこと。殉職した現場の記載は無かったが、慰霊碑が建っている近くだったのかもしれない。

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