長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

もしも上杉謙信があなたの上司だったら・・・

2012年08月06日 | 戦国逸話
 ブログやら本やらで人の興味を引くタイトルのつけ方、なるサイトを見ておりました。「なぜさおだけ屋はつぶれないのか」だの「もしドラッガーが高校野球のマネージャーだったら」のような「もし○○が××なら」的なのが良い、と、書いてありましたので、過去ネタを復活させるにあたって、ちょっとそれっぽく付けてみました。

 戦国最強の戦略家との呼び声も高い武田信玄。好敵手として知られる戦国最強の戦術家上杉謙信との戦いで、謙信についての感想を述べています。さて、その感想から「もし上杉謙信があなたの上司だったら」について考えて見ましょう。

○輝虎を評す
 永禄元年(1558年)5月、謙信と信玄の間で講和が結ばれた時、謙信は信玄が馬から下りなかった事に怒り狂い、雪解け水で増水した犀川に、無理矢理馬を乗り入れてしまった。
 それに続いた家臣団も流されて沢山死んでしまった。
 輝虎自身も川の中で馬を乗り捨て、流木につかまってなんとか陸に戻ることができた。
 信玄はこれを聞いて、
「謙信は戦は強いが、分別がない。なぜなら、雪解けで増水した川に飛び込めば、普通死ぬわ。馬を乗り捨て、陸に上がるくらいならば、水が減った時期になってから渡ればいいじゃん。謙信は自分が強いからといって、家来にも強く見られようとしたんだろうけど、変な強がりは国主たる者がするべきことじゃない。」と、いったとさ。

 怒り狂って雪解け水で増水した川に飛び込む。尋常でない怒りようです。水は身を切るように冷たかったことでしょう。
 「うわ、大将飛び込んだ!」
 と、慌てて部下であるあなたも飛び込まなければならないことでしょう。
 しかし、飛びもんだはいいが、どんどん仲間は流されて死んでしまう。
 あんなに勇ましくて頼りがいがありそうに見えた上司の謙信は馬を見捨てて木にしがみつき、ほうほうの体で陸に上がっている。。。
 目の前で繰り広げられた光景に信玄も含めた武田軍はあっけにとられ、眼を疑った事でしょう。多分、笑いを通り越して唖然として言ったのではないか。
 「俺、武田軍でよかったぁ・・・。」

 多分、途中で「あ、俺死ぬかも。」と謙信は思ったかもしれません。
 陸に上がってから、冷え切った体で謙信は震えながら、
「うぬ。晴信への怒りで、俺は熱い!」
と真っ青な唇で言ったのではないかと想像されます。

 そんな狂いっぷりに魅了されるのか、はたまた「俺、武田軍で良かった。」と思うのか。
 たまにはそんなことを考えながら、肖像画を見てみるのも悪くないのかもしれません。

タイヤ

2012年08月04日 | 日記
山城巡りなどをしていますと狭くて舗装状況の悪い道を走る必要がどうしても出てきます。でも、家族もいるので、そこそこ積載量も欲しい。スキーもしたいので4WD希望。と、なってくると、必然的に買える車が限られてきます。
私の愛車『赤兎馬』も既に車歴が満12年、14万kmに到達しています。しかし、至って健康。サスペンションが流石にへたってきて、当初のカチッとした走りではなくなってきましたが、これもご愛嬌かと。
実は7年目くらいから「そろそろ買い替えかな?」と思いながらも、お金が勿体無いのと愛着があるのとで、ずるずると引き延ばして既に5年が経過している、という感じです。
いつ壊れてもおかしくない時期になってきたので、赤兎馬への投資は極力控えているのですが、蹄鉄(タイヤ)だけはいかんともしがたい。
今まで騙し騙し使ってきましたが、流石に長距離高速道路乗ることもあるので、交換しないといけない、最近パンクに関する大事故のニュースが多いのも、車歴が伸びてタイヤを私のように騙し騙し使っている人が多いからではないかと勝手に推測しています。
数年前からタイヤの値段が跳ね上がり、感覚的には5年位と比べて5割~倍近くになっている感じがします。
特に赤兎馬は、215/60/16という結構大きい蹄鉄を履いているので高い・・・。
最近流行の外国製でいいか、と、思っていたとき、たまたまブリヂストン直営店タイヤ館で激安なのを見つける。「DAYTON(デイトン)」という聞きなれない社名。早速検索すると、どうやらブリヂストンの子会社のファイアストンの子会社になるらしい。
オート○ックスなどのタイヤと値段は変わらないか、少し安いくらい。

ネットで評判を探すも最近日本発売を始めたばかりらしくて、ほとんどない。
独身時代はブリヂストンを愛用していたこともあり、試しに購入してみました。

廃タイヤや工賃など含めて4本で43,100円でした。安!
中古タイヤに少しプラスしたくらい。

で、どんな感じかというと、前は国産の中古タイヤだっただけに、まず音が静かになった。タイヤのバランスを取ってくれたせいか、乗り心地も良くなりました。100km走行して慣らしが終わった辺りからゴムが締まってきて、当初カーブで「ん?」と感じたふにゃふにゃ感も消えました。この値段でこの性能ならば何の文句もありません。

久々に運転が楽しくなりまして、まだまだ赤兎馬には頑張ってもらうつもりです。
古ければ山道で擦っても平気ですから。

戦国時代の戦闘服

2012年08月03日 | 戦国逸話
常山紀談を久々に読み返しておりました。
なんか良いネタはないものか、と、思っていたら戦国時代の武装に関して話がありました。

○東照宮物具の御ン物語 附小野木笠の事(常山紀談 上巻 241頁 岩波文庫)
 東照宮(徳川家康)が言うには、物具(武装)がきらびやかなのは無益なことだ。また、重くするのも役に立たない。井伊兵部(井伊直政)は力があって重い甲冑を着ているが、度々怪我をしている。本多中務(本多忠勝)は軽いものを着ているが怪我を負ったことが無い。
 ただただ、戦いやすさを心がけるべきだ。
 下級兵士は薄い鉄でできた笠を着せると良い。飯を炊くのにも使えるからのう。
 とのことだった。
 鉄の笠は甲斐でも下級兵士が使っていたという。畿内ではなかった。丹波亀山の小野木縫殿助は、足軽以下の者に鉄の笠を着せていたので、其の頃は小野木笠と言っていた。

 やさぐれひこにゃん井伊直政については、以前書きました。(前編後編
 やっぱりここでも井伊直政のやさぐれブリについて主君の徳川家康からも例示されています。対する生涯無敗の男本多忠勝の無傷ブリについても言及されています。よっぽどこの二人の対照さが有名だったと思えます。
 その二人の差は、武装の差による動きやすさだと徳川家康は解説してくれています。もっとも井伊直政については、それだけでは説明できないほどの気性の激しさが感じられますけどね・・・。
 家康的には軽い方がいいぞ、と、言ってるんですけど、こればっかりは好みの差があるでしょうし、あれだけ怪我しまくる井伊直政の戦い方からすると強武装でないと命がいくらあっても足りないのでしょう。

 ちなみに、笠が鉄だと煮炊きに使える、というのは確か雑兵物語という江戸時代に書かれた軍指南書にもあったかと思います。しかし、畿内では始めはなかった、ということも付け加えられています。
 と、いうことは飯を炊いている最中に襲われると、頭を守るものがない、と言うことですね。慌てて被ろうものなら大やけど必定。
 やはり食事時というのは用心が必要なんですね。