長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

続・井伊直政 ~やさぐれひこにゃん烈伝2~

2012年05月22日 | 戦国逸話
さて、前回は、ひこにゃんゆかりの人物、井伊直政はひこにゃんの愛らしさとは無縁の、火縄銃で自分の指を吹っ飛ばしてしまうほどのやさぐれ野郎だったことを暴露したわけです。

そして、結果的にこの体を全く労らない戦いぶりが彼の寿命を縮めます。
関ヶ原の戦いの時に島津軍の放った鉄砲に当たり、その後養生すればいいものを無理をしたため敗血症になって1年後に亡くなったのです。その話についてこんな感想を彼自身は述べています。

『無用の負傷』
 関ヶ原の戦いで直政は島津勢が退却するのを見て「あれは敵ではないか?」と部下に聞いた。
 部下は「敵みたいです。」というので、直政はいざ勝負と追いかけたところ、島津勢が鉄砲を放ち直政は手を撃たれた。
 このことについて直政は、「今回は無駄な怪我をしてしまった。なんでかというと、『あれは敵ではないか?』と聞いた時、部下が戦上手ならば、既に合戦に勝っているので特段逃げるに任せればよい敵であれば『敵ではないです。』と答えるものだ。
 逃がしていかん敵ならば、『敵です。』というより先に敵に攻めかかるのが筋である。
 そうすれば儂は怪我などしなくてすんだ。
 『敵みたいです。』と言われて、黙っている訳にはいかんじゃないか。そういう意味では、松倉はすぐ敵に向かって駆けだしていったから大したもんだ。」
 といった。

 部下の状況判断が甘かったことを責めています。
 勝ち戦なんだから無用な傷を負いたくなければ敵ではないと言え。
 逃がしてはいけない敵ならば主君に聞かれる前に倒しに行け。
 聞かれた部下の心得として「敵じゃありません。」というのが正解だった、と言う訳です。

 なら初めから聞くなよ、という気もしますが。。。
 
 実は、井伊直政は結構パワハラ上司だったという証言も多数残されています。
 あんまり厳しいので井伊直政の部下から外して欲しいと家康に頼んで駄目だ、といわれた人がいたり、部下が連名でライバルの本多忠勝を見習え、と意見したり、と、結構部下から嫌がられていた、という逸話が残っているのです。
 さらには、当初徳川家三奉行といわれた鬼作左こと本多重次が「あんな奴を殿(家康)は見込むとは・・・。」と若い頃の直政に言ったことを根に持ち、後に彦根18万石を拝領して徳川家臣団筆頭の立場になったとき「あんた昔、俺に見込みがないといったよな。お前の見込みと殿の見込みとどっちが無かったんだ?ああ?」と言った、という逸話も残っています。

 私が様々な逸話から彼の性格を考えてみると、結構根性悪いように思われます。

 まぁ、それくらいの激しさがないと名将になれないのかもしれません。

 でも、いつも三角巾で腕吊って、傷だらけでやさぐれているひこにゃんだけは勘弁してほしいものです。(了) 

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