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佐世保小6カッター殺人

2004-06-08 | 社会・出来事
この事件を見過ごすわけには行かないだろう。あまりにも恐ろしい事件だ。

こういう事件が騒がれると必ず出てくる意見が「今だけでなく昔から似たようなことはあったのだから、社会のせいではない、個人の資質の問題だ」というもの。確かに明治時代から猟奇殺人はおこっており、加害者が少年であるケースも記録されている。だが、昔からあるからといってそれが何の解決になるのか?今この社会で起きたショッキングな出来事を顧みてよりよい社会にするための糧とせねば亡くなった少女に申し訳ないと思う。

我々が認識しなくてはいけないのは、決して対岸の火事ではないということ、深谷で起きたとしても不思議は無いのだ。事実、深谷の小学校でも学級崩壊をはじめとする様々な問題が取り沙汰されている。

一体どんな対処法があるのだろう?一番感じるのは、シンプルにコミュニケーション不足ということ。親子でも家族間でも先生・生徒間でも上司と部下でも隣近所間でも、コミュニケーションの減少は如実にあると思う。それは携帯電話をはじめとする物質文明の進歩の表れでもある。つまりコミュニケーションをとらなくても生活に不自由がなくなってきているのだ。昔は生きていくためにコミュニケーションは不可欠であったのだろう。

友人の家に電話をする、家の電話なら友人の母などが出て少ないながらもコミュニケーションが生まれる。
パソコンに向かって仕事をし、ほとんど人と会わない業種も今や珍しくない。
共働きの両親はぼくが子供の頃はそう多くなかった、今や当たり前だ、というか専業主婦を見つけるほうが難しい。子供と話す量が減って然り。

我々人類は豊になるために日々仕事をし様々な発明発見を繰り返し製品開発を競争する高度資本主義社会を発展させてきた。それを今更否定できない。車を使わない生活、エアコンの無い生活を我慢できない動物になってしまったのだから。

生活の術としてコミュニケーションが必要なくなったのならば、人為的にコミュニケーションシステムを作るしかあるまい。自治会をより強制力の強いものにするとか、自警団や消防団入団を義務とするとか、共働きを減らすために児童手当を大きくするとか。

そんな中で、深谷西小地区で行っている「パパさん会」は貴重なコミュニケーションシステムだと自負している。近所の父親同士が言葉を交わす、顔見知りになることのいかに貴重かを思い知る。そして話の中で今の小学校でどんな問題があるのか、教育システムはどうなってるかを知る機会にもなる。自分の子の友達の親を知ることがどんなに安心感を生み出すか、などなど、無尽蔵の効果を持っている。

今回のひどい事件で改めてパパさん会の重要さを再認識したので書きました。