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郷土の偉人の実態

2004-04-23 | 歴史
火曜日に「渋沢栄一」の勉強会のような集いに参加した。郷土の偉人とはいっても栄一の生家のある血洗島はもともと岡部宿の範疇らしいが。

渋沢栄一は明治維新の激動期において日本経済の立役者として財界では未だに根強い信仰を維持しているが、維新の英雄としては西郷どんや坂本竜馬などに比べてイマイチパンチが弱い。とても大河ドラマの主人公になるキャラではない。

ぼくも受験のときにチラッと勉強して知ったけど印象は薄かった。それが大学生のときに城山三郎の「雄気堂々」を読んでこりゃすごい!と感動した。むしろ玄人好みの偉人だな。事実近代日本の経済基盤は彼が作り上げたといえる。

講師の先生によると、坂本竜馬が海援隊を起こすときに会社の作り方を渋沢に聴きに行ったという逸話があるらしい。その当時渋沢はヨーロッパ視察によって合本会社(株式組織)の数少ない理解者の一人だったからだ。まあそのほかにも様々なエピソードを聞いて渋沢にかぶれて帰ってきた。

木曜日に渋沢栄一をあまり好きじゃないという人と話した。
渋沢は論語の精神といって財産を残さなかったとか子孫を関係会社の後とりにしなかったとかいうが、孫の渋沢敬三は第一銀行の頭取を務めその邸宅は豪華を極めたものだ、西郷は本当に何も残さなかったのだから偉人としての価値が全然違う、と。

明治維新、100余年前の歴史ながら真実はなかなかわからないものだろう。坂本竜馬だって英雄扱いされているが、実は木戸孝允が操っていただけで歿後日露戦争に際し忘れ去られていた竜馬を英雄として祭り上げ国威の発揚を図ったのもその木戸孝允だという説が歴史学者の間である。まあ、確かに一介の脱藩浪士が藩の代表と謁見しているのも混乱時とはいえまだまだ身分制度の厳しい時勢に無理があるかもしれないな。

でも、真実がどうだっていいじゃないか!ぼくはやっぱり司馬遼太郎の描く竜馬が大好きで「竜馬が行く」は依然としてバイブルなのだ。
そしてまた、ここ深谷においては渋沢栄一は永遠の偉人であるべきだ、誇れる郷土への一助となるのならば細かいことは見過ごしてもよいだろうと考える。

そういう手前勝手な論理によって自己正当化していくのが人間の性(さが)なのだ