ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

震災10年雑感(その6)~何もできなかった気仙沼

2021-05-10 15:29:19 | 能楽の心と癒しプロジェクト
この震災後初めての石巻訪問のときは、前泊した塩釜市のホテルだけはネットで予約できたのですが、石巻や次の目的地である気仙沼、その途中の南三陸町などの宿泊施設で営業している情報はありませんでした。なので行きあたりばったりに石巻を後にして気仙沼に向かったのです。

忘れもしない。。カーナビを頼りにはじめて走る真っ暗な夜道。対向車もほとんどないまま海岸線に沿って、所々は道路も陥没していたり、倒壊した家屋が道路の半分を塞いでいたり、自衛隊が架設した橋を渡ったり。。道路の状況に気を付けながら、ときには通行止めで延々と道を戻って迂回路に向かったり。すると突然、それまで海岸線に沿ってカーブを描いていた道路が、ぬえの目前で直角に曲がるのがライトに照らし出されました(!)。

とくに建物もないのになぜ。。と思いながらカーナビを見てみると。。そこは南三陸町の志津川の街の中心部にいつの間にか入っていたのでした。ライトに照らし出されたのは津波によって流された建物の残された基礎でした。そして車の中から外をよく見透かしてみると。。平野かと思ったその場所は一面、建物が消え去って土台ばかりが残った志津川の街でした。ひとりきりの ぬえは慄然。。

その後歌津の被害状況を見て、さすがに深夜になる前に宿泊場所をカーナビで探すことにしました。志津川や気仙沼の海に近いホテルは営業しているはずもなく。。いや、あとで知ったところでは実際には海に近くても高台にあったホテルの中には被害が比較的少ないものもあったのですが、この頃はそういう宿泊施設はほぼ例外なく避難所となっていましたから、旅行者が泊まれる状況ではありませんでした。結局 ぬえがこの夜泊まったのは30km離れた登米市のラブホ。。でもこれは正しい判断だったのです。そして翌日に気仙沼に入りました。

気仙沼を目的地に選んだのは、石巻と同じく震災の前に学校公演のために新月(にいつき)中学校に訪れたことがあったからです。とにかく宮城県の児童・生徒は挨拶が礼儀正しいな、とそのとき感じた ぬえは、震災で彼らがどうなったのか気になっていたのです。

しかし石巻のときと違って気仙沼ではボランティア団体を見つけることができず、また本当に当時の ぬえは学校公演の記憶があるだけの、被災地にとっては「よそ者」でしたので、避難所に足を向けるのもはばかられて。。結局このときは被災状況を 指をくわえて見ているだけになってしまいました。その後 気仙沼ではかなり長く活動を繰り広げることになりましたが、それは震災の年の年末、東京の「演劇倶楽部 座」の代表である壌晴彦さんから気仙沼の児童劇団「うを座」の関係者をご紹介頂いてからのことになります。

しかし。。気仙沼は驚くばかりの惨状でした。震災から3カ月も経っているというのに。







この年の暮れに「能楽の心と癒やしプロジェクト」として訪れた際に同行頂いたワキ方宝生流の野口能弘さんは「この光景。。東京に帰って説明しても信じてもらえないかもしれませんね。。」とつぶやいたのが印象的でいまでも良く覚えています。

(そうそう、話は脱線しますが、今年震災10周年がすぎてから野口さんと楽屋で話していたら、ワキ方下掛宝生流では熊本の震災の際に流儀をあげて阿蘇神社に支援物資を送るなどの活動をされたのですって。それはワキ方の役者は能『高砂』で「阿蘇の宮の神主・友成」の役を頻繁に上演しているので、震災の際に少しでもお役に立てたら、と考えられたのだそうです。まったく知らなかったですが素晴らしいことだと思います!)

結局 ぬえはこの日気仙沼の被災地区を見て、昼食に「かっぱ寿司」でカツオを食べて帰りました。カツオ。。そう、震災前の学校公演でもうひとつ気仙沼で強烈に印象に残ったあの味をもう一度と思って。。「この味じゃない。」(←当たり前)

あとで知ったことですが じつは学校公演で気仙沼を訪れたのはちょうど秋の「戻りガツオ」の時期でして、その美味しさは衝撃的でした。これは気仙沼で水揚げされてすぐ、地元のお店でしか味わえない味で、それも秋のほんの2週間程度の限られた時期しか食べられないのだそう。後日このことを気仙沼の方から聞いて、夏に「かっぱ寿司」で戻りガツオが食べられると思っていた この当時の ぬえの行動について存分に笑って頂きましたー。

こうして最初の、一人きりでの活動を終えて ぬえは東京に戻りました。行きははじめて被災地に向かうので緊張していたのか疲れは感じませんでしたが、帰りは500kmの道のりを一人で運転して、もうサービスエリアごとに休憩して眠り込むような感じで、10時間近くもかけて帰ったように思います。
(続く)