クセを舞うのに両肩を下ろすのは師家の能を見慣れた ぬえにしてみれば至極普通ですし、やはりクセは舞を見せる一種の芸能ですので、袖を翻して舞うのが似合うと思います。でもねえ。。実際のところ、せっかく広袖の狩衣の姿となったのに、『歌占』の中では一カ所も袖を返す型がないのです。厳密に言えば一回だけ袖を返すんですが。。それは終曲部でトメ拍子を踏むときで、これは広袖の装束を着ている場合の定型の型ですから、舞の中で袖を翻す効果は皆無なんですよね。。
とは言っても、正直に言わせてもらえば、狩衣を着ていて、その肩を上げている姿、というのはあまり美しくないですね。狩衣を着ていれば、そしてそれが単狩衣であれば、その役者は必ず烏帽子をかぶっています。そして下半身には必ず大口か指貫を穿いている。そうすると、頭頂部と下半身の装束のボリュームが大きい割に肩を上げた狩衣の上半身の姿がどうも貧弱に見えてしまうのです。先人もそう思ったのか、単狩衣の肩を上げて出る役というのは、ほとんどの場合途中で肩を下ろすか、あるいは物着をして違う扮装に替えてしまいますね。『歌占』の場合は地次第ぐらいしか、目で見た印象が変わるほどに装束の着付け方を替えることができる場面がないので、そこで肩を下ろすことをしない場合は、時間的な余裕がない場面での後見の作業を、あえて危険を冒してまではやらない、という選択だったのかもしれません。
シテ(クリ)「昨日もいたづらに過ぎ。今日も空しく暮れなんとす。
地謡「無常の虎の声肝に銘じ。雪山の鳥啼いて。思を傷ましむ。
シテ(サシ)「一生は唯夢の如し。誰か百年の齢を期せん。
地謡「万事は皆空し。何れか常住の思をなさん。
シテ「命は水上の泡。
地謡「風に従つてへ廻るが如し。
シテ「魂は籠中の鳥の。
地謡「開くを待ちて去るに同じ。消ゆるものは二たび見えず。去るものは。重ねて来らず。
地次第で肩を下ろし、中啓(神扇)を持ったシテは正面に向いてクリの部分の冒頭を謡い、やがて左へ向いて大小前へ至り、正面に向いて正中のあたりで床几にかかります。サシの終わり、「去るものは。重ねて来らず」のところでシテは子方と向き合いますが、型附にはツレと向き合ってもよい、と書かれています。このあと、クセの中でも何度か子方と向き合う型があるのですが、これらもすべてツレと向き合うことに変更することができ、その選択はシテの裁量に任されているのです。
ここは当然ながら、ぬえは迷わずツレと向き合う事を選びます。だってこのクセは「面々名残の一曲に」奏される舞なのです。シテは、子方とは積もる話があるにしても、臨死体験についてはこれから長い時間同居する中で親子で自然に話されれば良いわけで。一方シテにとってツレは我が子をこの場所に導いてくれた恩人でもあって、そのツレからの所望によって「地獄の曲舞」を見せるのです。この地獄の曲舞は多分に道徳訓のような内容ですから、これを年端も行かない子方に対して説教してしまうのはどうでしょうか。。
これよりクセとなります。クセは俗に「三難クセ」と呼ばれるうちの1曲で、残りの2曲は『白鬚』と『花筐』なのですが、たしかにこの3曲のクセは拍子当たりが非常に難しく、ぬえが習った幸流小鼓では『歌占』はクセの部分だけ「習物」という扱いになっていますね。ただ『歌占』と『花筐』はよく上演される曲なので、能楽師はみ~んなもう謡うのに慣れてしまっているのではないかと思います。『白鬚』はやっぱり大変ですけれども。。しかし「三難クセ」の中に入っていなくても、じつは能楽師にとっては別な曲の方が難しいクセがあるのではないかと思ったりします。『東岸居士』がそれで、『歌占』ばりに拍子当たりが難しいのです。たしかこの曲のクセも幸流では習物ではなかったかと思います。ただ『東岸居士』のクセは短いですから、『歌占』を最初に覚えるときのような苦労。。これは書生時代にみんなが苦しみます。。ほどではないのですが。
とは言っても、正直に言わせてもらえば、狩衣を着ていて、その肩を上げている姿、というのはあまり美しくないですね。狩衣を着ていれば、そしてそれが単狩衣であれば、その役者は必ず烏帽子をかぶっています。そして下半身には必ず大口か指貫を穿いている。そうすると、頭頂部と下半身の装束のボリュームが大きい割に肩を上げた狩衣の上半身の姿がどうも貧弱に見えてしまうのです。先人もそう思ったのか、単狩衣の肩を上げて出る役というのは、ほとんどの場合途中で肩を下ろすか、あるいは物着をして違う扮装に替えてしまいますね。『歌占』の場合は地次第ぐらいしか、目で見た印象が変わるほどに装束の着付け方を替えることができる場面がないので、そこで肩を下ろすことをしない場合は、時間的な余裕がない場面での後見の作業を、あえて危険を冒してまではやらない、という選択だったのかもしれません。
シテ(クリ)「昨日もいたづらに過ぎ。今日も空しく暮れなんとす。
地謡「無常の虎の声肝に銘じ。雪山の鳥啼いて。思を傷ましむ。
シテ(サシ)「一生は唯夢の如し。誰か百年の齢を期せん。
地謡「万事は皆空し。何れか常住の思をなさん。
シテ「命は水上の泡。
地謡「風に従つてへ廻るが如し。
シテ「魂は籠中の鳥の。
地謡「開くを待ちて去るに同じ。消ゆるものは二たび見えず。去るものは。重ねて来らず。
地次第で肩を下ろし、中啓(神扇)を持ったシテは正面に向いてクリの部分の冒頭を謡い、やがて左へ向いて大小前へ至り、正面に向いて正中のあたりで床几にかかります。サシの終わり、「去るものは。重ねて来らず」のところでシテは子方と向き合いますが、型附にはツレと向き合ってもよい、と書かれています。このあと、クセの中でも何度か子方と向き合う型があるのですが、これらもすべてツレと向き合うことに変更することができ、その選択はシテの裁量に任されているのです。
ここは当然ながら、ぬえは迷わずツレと向き合う事を選びます。だってこのクセは「面々名残の一曲に」奏される舞なのです。シテは、子方とは積もる話があるにしても、臨死体験についてはこれから長い時間同居する中で親子で自然に話されれば良いわけで。一方シテにとってツレは我が子をこの場所に導いてくれた恩人でもあって、そのツレからの所望によって「地獄の曲舞」を見せるのです。この地獄の曲舞は多分に道徳訓のような内容ですから、これを年端も行かない子方に対して説教してしまうのはどうでしょうか。。
これよりクセとなります。クセは俗に「三難クセ」と呼ばれるうちの1曲で、残りの2曲は『白鬚』と『花筐』なのですが、たしかにこの3曲のクセは拍子当たりが非常に難しく、ぬえが習った幸流小鼓では『歌占』はクセの部分だけ「習物」という扱いになっていますね。ただ『歌占』と『花筐』はよく上演される曲なので、能楽師はみ~んなもう謡うのに慣れてしまっているのではないかと思います。『白鬚』はやっぱり大変ですけれども。。しかし「三難クセ」の中に入っていなくても、じつは能楽師にとっては別な曲の方が難しいクセがあるのではないかと思ったりします。『東岸居士』がそれで、『歌占』ばりに拍子当たりが難しいのです。たしかこの曲のクセも幸流では習物ではなかったかと思います。ただ『東岸居士』のクセは短いですから、『歌占』を最初に覚えるときのような苦労。。これは書生時代にみんなが苦しみます。。ほどではないのですが。
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