
前回にて一応『嵐山』の子方の成功についての記事を終了にしようと思っていたのですが、思わずも某国家権力からの検閲を受け(笑)、また これまた はからずも研能会当日の画像が送られてきました~! 今回は最終回としてこの画像について少し話したいと思います。
あらかじめお断りしなければなりませんが、著作権・肖像権の関係でシテやワキ、お囃子方などが写った画像は公開できません。子方ばかりの画像になりますことをご承知おきください。。m(__)m
さてトップ画像は二人の子方が「渡リ拍子」のところを舞っている図。某所の担当者さま~、桜の持枝が写っていますよ~。Y(^^)ピース! これこそ国民の血税を注ぎ込んで国家予算の四分の一を費やして作り上げられた桜!(うそ) 昔なら正倉院に収蔵されるべきところ、庶民の手に届く国立能楽堂の御収蔵庫に納められておりますものを、特別のお計らいをもって拝借させて頂きました~(大うそ)
いや実際 繊細で可愛らしくいかにも子方が持つのにふさわしい、こんな良い持枝を去年の薪能のために発見できたことは喜びでした。某所の担当者さまにも舞台の成果をご心配頂きましたようで、温かいお心遣いに感謝申し上げます~(#^.^#)

で、まずは「勝手明神」役の綸子ちゃん~。 ん。ぬえ家にも終演後「去年よりも少し大人びてきましたかね~?」という感想が寄せられましたが、この画像を見るとなるほど そのようにも見えます。まあ、稽古では相変わらず おてんばぶりを発揮していますけれども~。
今回は緋大口と稚児着は拝借しましたが、この天冠と長絹、それに中啓はすべて ぬえの所蔵品です。稽古でもずっと使わせていましたので、やはり使い慣れているものが良いかなと。天冠は、これは良い品で、もうかなり以前になりますが、ある鍛金師の方に造って頂きました。
長絹は ぬえが初シテとして『吉野天人』を勤めさせて頂いた際に記念に新調した品です。白地に金の破レ業平菱と花ノ丸や鳳凰ノ丸の文様が織り出されているのですが、当時の ぬえには文様を本金で織った装束を買うのはとても無理で、鋳金(中金とも言う)と呼ばれる「ニセモノ」の金糸で作って頂きました。当時はまだ鋳金の技術は今ほど高くなくて、なんだか安っぽい色合いなのですが、今回は子方に使わせるために袖や前身頃を折り込んでみたところ、意外や全体のバランスが取れたような感じになりました。
中啓は表面が「花軍」裏面が「花車」の図の扇で、これは骨董市で見つけたものです。図柄は本格の鬘扇なのですが不思議に寸が小さく、まさに子方用の中啓でしょう。しかし子方の役に対しては図柄がやや大仰かな? と思って、当日は表裏を反対に持たせて、花車の図を表面にして使わせました。
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