ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

そのとき ぬえは。。そこにいた。。(その4)

2006-03-26 02:10:23 | 雑談
いや、これは正確には「その場にいなくて良かった~ ぬえ」のお話です。

もうこれも10年前になってしまったんですねー。。月日の経つのは早いもので。

1996年、ペルーのリマで起こった日本大使公邸占拠事件を覚えてお出ででしょうか。12月の天皇誕生日の祝賀レセプションを狙って、左翼武装組織トゥパク・アマル革命運動(MRTA)のメンバーが日本大使公邸を襲撃、青木大使をはじめ外国要人ら約600名を人質にして占拠した事件で、約四ヶ月間の睨み合いの末、ペルー国軍の特殊部隊の突入によって解決を見た、あの事件です。

じつは ぬえ、この事件の勃発の直後にリマでの公演に参加する予定だったのです。しかも会場はなんと! ズバリこの事件の舞台となった大使公邸だったという。。

順を追って話せば、この公演は ぬえの師家の主催ではありませんで、観世流のある能楽師の方の企画だったのです。その方から ぬえにご連絡を頂いて、地謡として公演のお手伝いをお願いされました。

公演の計画はとっても魅力的なもので、リマ市内の劇場で一度、そしてこの日本大使公邸で一度の能楽公演を行い、せっかく遠方まで渡航するのだから、と演者をねぎらってくださって、公演後にはクスコに移動してマチュピチュ遺跡の観光まで計画されていました。もちろん ぬえもとっても楽しみにしていました。

。。ところが渡航の日程も近づいて来たある日、突然この事件のニュースが飛び込んできたのです。これには ぬえも本当に驚いた。もちろんそのような緊迫した情勢では現地で能楽公演する、という雰囲気は霧散するのは明白で、主催者から連絡を頂く前に、やっぱり ぬえは考えました。「またか。。」

でも、この事件が ぬえが渡航すると流血事件が起こる「いつものパターン」と決定的に違っていたのは、一歩間違っていたら ぬえら能楽師が人質になっていた可能性があった、という事なんです。

それは、もう10年前の話なので具体的な理由は忘れてしまいましたが、そもそもこの能楽公演自体がペルーでの日本の何かの祝賀行事に付随して企画されたものだったのです。日本大使公邸が公演会場のひとつに選ばれたのも日本の祝賀行事だったからで、市内の劇場でのもうひとつの公演はむしろレセプションでの上演のついでに一般市民に公開する、という、公的公演の付属的な公演でした。

また会場に大使公邸が選ばれたのも、要人が観覧するレセプション会場としては警備が最も行き届いた建物である、という判断があったのだそうで、なんせフジモリ大統領も来臨して能楽公演を観覧する可能性がある、と ぬえら公演に参加する予定の演者には知らされていました。

大使公邸占拠事件を起こしたテロリストグループは、12月の天皇誕生日の祝賀レセプションを狙って犯行を行いましたが、ぬえらの渡航公演の予定はは2月か3月だったので、もしもまだ昭和が続いていたならば、昭和天皇の天皇誕生日(4月)の祝賀レセプションよりも、ぬえらがこの公邸で行うレセプションの方が早く行われる計算になります。テロリストグループが犯行を実行する機運が熟したのがたまたまこの年のこの時期であったなら、そして時代がまだ昭和であったなら、確実に この公演が行われる予定の祝賀レセプションが狙われたはずなのです。。

ああ、どうして ぬえの師家が関係する海外公演っていつも。。

。。あれ?

よく考えてみると、このペルーでの公演は師家の主催じゃないな。。そして。。この公演のお手伝いを依頼されたのは。。師家の門下の中では ぬえだけ。。

。。あれ? あれ? あれ? ?(゜_。)?(。_゜)?

ひょっとして流血騒ぎがつきまとっているのは師家ではなくて。。??? (ーー;)



本日のお題はこちら↓

先日 玉子を買ったら、なんと1パックぜ~んぶ「ふた子のタマゴ」でした。
うどんに入れたらこんな感じ。


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