ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

絢爛豪華な脇能『嵐山』(その18)

2008-08-22 01:53:19 | 能楽
そして、蔵王権現が吉野の千本の桜を植え移したといわれる京都の(といっても当時は都からは依然遠く離れた僻地でしたが)嵐山に影向した、という話は、能以外にはまったく所見がないのだそうです。

とすれば『嵐山』の作者の狙いは、修験道というミステリアスな信仰があがめるご本尊。。日本人が生み出した神のひとつの姿でありながら、非常にベールに包まれた感があり、そのうえこの神は子守・勝手という二神を従え、これがさらに「同体異名」の三体であるという。。観客にとって目新しい、そういう神を、吉野にゆかりの深い、かつ都にほど近く、観客にとって親近感のわきやすい嵐山という舞台に登場させることにあったのではないか、と考えられます。

思えば脇能は、能が社寺の祭礼に奉仕していた時代、民衆とともにあった時代から。。いやまだ能が能としての形式を洗練させてくる以前から、能の中心的な演目であったはずで、能作者としては後進に属する金春禅鳳の時代に新しく生み出される脇能としては、新時代を告げるような、目新しい材料や演出が能の作曲に求められたのかも知れません。

そして前シテ・前ツレを後シテの化身とせず、後に登場するツレ(子方)の化身として設定し、いざ登場した後ツレ(子方)は尉・姥の前シテとはうって変わってまばゆいばかりの若い夫婦の神で、袖を翻して「天女之舞」を見せます。囃子の手組も「下リ端」「渡り拍子」「天女之舞」と盛りだくさんで豪華な趣向。そして彼らが幕に向かって「雲之扇」をして「主神」を待ち受けるとき、そこには爽快な「早笛」の囃子に乗って豪快に登場する異形の神の姿があるのです。そしてその神は「同体異名」と宣言して美しい二体の神と舞台の上に並んで屹立してみせる。。この型、舞台上では本当に豪華絢爛な装いに見えるんですよ。

こう考えるとき、『嵐山』の異質がよく見えてくるようです。世阿弥が脇能に求めた「かかり直なる道」。。それなのに世阿弥作で脇能の代表曲である『高砂』は脇能のとしてかなり異質な部分があります。しかし『嵐山』の舞台の豪華絢爛さが持つ「異質」は『高砂』の比ではないでしょう。なんだか ぬえ、『嵐山』の豪華さには「世紀末のデカダンス」を感じるんですよね~。応仁の乱が収束して戦国群雄割拠の時代、こういう脇能が観客に求められていた時代。。なんだか現代の世界の中での能のあり方にも示唆があるような気がします。

考えてみれば「狩野川薪能」で ぬえが演じてきた能は、作者不詳の『鞍馬天狗』を別にしても、小次郎信光作の『船弁慶』、『嵐山』と同じく禅鳳作の『一角仙人』と、世阿弥時代とは様相が一変した不安定な時代に作られた能ばかり。。そしてその時代の、幽玄美よりもむしろ趣向の興味を引く能が、現代の薪能では喜ばれるのも、これまた事実なんですよね。ぬえはいっぺん薪能で元雅の『隅田川』か『弱法師』を舞ってみたいです。

でもまた、ぬえは禅鳳という人について、この『嵐山』の中で発見もありました。この前シテ、『高砂』から影響を受けて作られたのは間違いないと思うのです。前シテが尉で、前ツレは姥の夫婦。神木をあがめ、それを清掃する箒を持って登場するその姿。そして中入での、脇座よりスルスルと常座に行く型、それが「南の方に行ききけり」と、『嵐山』では後シテも同じ嵐山に現れるのに、わざわざ「主神」の住む吉野の方角に立ち去る演出。

そして『嵐山』の作者・金春禅鳳は、世阿弥を師と仰ぎ、世阿弥も将来を嘱望した禅竹の孫なのです。。彼は、父が何も著作を残さなかったのに比べて、曾祖父・世阿弥や祖父・禅竹を意識して書かれた膨大な伝書類を残しています。『嵐山』の前シテの構成は、禅竹の影響を受けた禅鳳が、世阿弥の『高砂』を念頭におきつつ、時代の要請。。彼の置かれた当時の不安定な時代の観客の要望にも応えなければならず、その苦渋の選択が独自の新しい能を完成させることにのではあるまいか? 端正で「直なる道」を忠実に表現したような前シテから、その本性として後場には意外な登場人物としてツレ、あるいは子方を配し、さらに異形の神が出現すると、今度は三人を「同体異名」として並立して見せる。まさに観客にとってはどんでん返しの連続で、美しい「天女之舞」も豪壮な「早笛」も観客は堪能できる演出の多様性と相俟って、まさに世阿弥が「当座」を重視していた事と呼応して、世阿弥や禅竹の平和な? 時代の能楽論の新たな発展と捉えてよいように思います。

。。さて、いよいよ明日には伊豆に入り、子どもたちの最終稽古をして明後日には「狩野川薪能」の本番です。『嵐山』の子方・勝手明神役を一生懸命稽古してきた綸子ちゃんも、いよいよ一度限りの大役を勤める日が迫りました。どうか神様、がんばった彼らに力を貸してあげてください~~


                        (とりあえず了)


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2 コメント

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お疲れ様でした (明野薪能実行委員会)
2008-08-25 08:28:25
第9回狩野川薪能公演、無事終了おめでとうございます。
綸子ちゃんの舞すごく良かったです。
リハも見せていただきましたが、ぬえ様抜きで、ちびぬえちゃんと綸子ちゃん、子どもながら2人で舞台上で立ち位置とか話し合っているのを見て、なんかすごいなあと感心してしまいました。プロとして演じるという意識がきちんとできているのでしょうね。
それにしても、狩野川薪能では、ぬえ様ずっと出ずっぱりという気がします。子ども達のリハから本番、そしてご自分がシテとして登場する能「嵐山」が会ったりして、たいそうお疲れのことと思います。毎年大変ですね!!
ところで、今年も雨の薪能になってしまいました。なぜか雨の確率が高い狩野川薪能ですね。来年は、10周年ということもありますし、是非特設舞台での上演をと期待しています。芸の神様以外に、水の神様にお願いしないといけないでしょうか!?
では、またお会いできる日を楽しみにしています。
お身体、ご自愛くださいませ。
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ありがとうございました (ぬえ)
2008-08-25 09:12:29
明野薪能実行委員会さま

薪能の報告が遅れまして申し訳ありません~
また舞台設営ではお世話になりながら、あまりゆっくりお話しできる機会がなくて申し訳なく思っています。

いやホント、毎年の事ながらこの薪能では自分のシテの前にも舞台に出ずっぱりで。。まあ、薪能の趣旨として地元の子どもたちの参加・発表が大きなウエイトをしめているので致し方ないところですが。

雨の件ねえ。。ある先輩が「そういえば子ども能に毎年 大蛇が登場しているよねえ。あれが雨を呼んでいるんじゃ。。」という鋭い感想がありました。そうかもしれない。。
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