ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

狩野川薪能、大成功で終了しました!(その6)

2008-08-30 02:28:15 | 能楽

ぬえも子どもたちの相手に何度も出演してから慌ただしく装束を着けて、「絶対に間違えない」と固く心に決めて『嵐山』の前シテとして舞台に出ました。というのも、シテを舞う前にいくつもの番組に出演して地謡を謡ったり、後見を勤めたりする、というのは通常考えられない事なのです。

やはりシテを舞うというのは大きな責任だから、通常はシテに専念して、ほかの番組には出ないようにプログラムは組まれるものです。シテ以外のお役に出演するのは、シテとしての出番がその日の番組の中でよほどあとの場合で、しかもプログラムの冒頭に仕舞など短い番組があれば、その地謡に出演することはあります。こういうプログラムはむしろありがたくて、それは自分の能の上演前に舞台で声を出しておく、いわば声慣らしのような意義もありますし、その日の見所をちょっと見ておいて、あとでシテとして登場するためのイメージ作りにも役立つからです。がしかし、シテを舞う前に長い出番があるとか、何番もの曲に出演するという事は、よほど楽屋の人数が足りない場合ならばいざ知らず、およそ考えられない事なんですよね~。

でも「狩野川薪能」だけはそうも言っていられません。なんせ半年かけてずっと子どもたちに教えていたのは ぬえ自身という責任もあるし、ぬえは子ども創作能の作者の一人でもあり、また薪能の総合プロデューサーの大倉正之助さんから依頼されて「現場監督」を仰せつかっている身。それに何と言っても子どもたちのクセというか、万全にお役を勤めてもらうために地謡を謡う上で注意する点を把握しているのも ぬえだから。。他の能楽師には任せられないです。この薪能では事実上、「第一部」と呼ばれる子どもたちの発表会を無事に済ませることができて、はじめて「第二部」の玄人能を勤める意味が生まれてくる、という事もありますね。

だからこそ自分で勤めるシテはミスをするわけにもいかない、という事もあるんです。共演してくださる能楽師は、み~んな玄人能を万全に演じるために、真剣な気持ちで集まって来てくださっているのです。そこで ぬえがシテの演技を間違えたら、ほかの能楽師から「だから言わんこっちゃない。あんなにいろんな出番を勤めてからシテを舞って、それで間違っているんじゃ。。能を勤める態度が不謹慎だ」と言われかねないです。ん~~、ぬえの立場は微妙だ。

でもまあ、ぬえのスタンスとしては、子どもたちにも存分に成果を出して欲しいし、そのためのバックアップは惜しまない。それで、そのあとに勤めるシテは、これはプロとしてお客さまにご覧頂くのだから、最低限のレベルは絶対に保っていなきゃいけないですし、子どもたちにとっても模範演技でなけりゃならない。それに何と言っても ぬえが能を舞う年に何度もないチャンスなんだから悔いは残したくないです。

結局、ぬえとしては子どもたちの舞台のサポートと自分の舞台。。この二つの大切な舞台が同時にある、というだけで、どちらも万全に勤めるのは当たり前。そもそも薪能のプログラムは ぬえ自身が半年前に決めたものです。その当日になってから体力が続かないとか、出番が多いから間違えたとか。。そんな事はあってはならないでしょう。体力づくりもプログラム製作の考慮のうちでなきゃ。

で、結果的には『嵐山』の前シテで、ツレと立ち位置を交換するときに、ツレとの打合せよりも1句早く歩き出したのが間違い、といえば間違いでしょうか(←やっぱ間違ったんかい!)。でもそのほかの文句や型は、能に限らず仕舞の地謡や子ども能の後見でもいっさいミスはなかったと思います。と言うか、自分としては珍しく、楽しく『嵐山』のシテを舞わせて頂きました。たいがい、シテを勤めてから数日は、ミスがなくても「あ~~出来なかった!」と、苦悶の日々を送る ぬえとしては珍しいことでした。。

でも、考えてみればこの「狩野川薪能」でシテを舞って、これまで大失敗をしたり悔いが残ったことは一度もないのです。なんでだろう? 最近考えるのですが、やっぱりこれは「第一部」で精一杯子どもたちのサポートをして、その結果子どもたちが見事に舞台を勤め果せたのを見て。。そこから ぬえ、彼らから力をもらっているんではないか? 彼らの成功が、ぬえに自信と落ち着きを与えてくれて、それが ぬえ自身の成功に結びついているのではないか? そうかも知れない。そうだったなら嬉しいことです。


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