ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『鵜飼』(その6)

2006-02-10 11:36:17 | 能楽
昨日無事に『鵜飼』の申合が終わり、あとは当日を待つのみとなりました。トリノ・オリンピックの開会式をつい、ライブで見ちゃってから研能会にお出でになる方。。やっぱりあるんだろうなあ。。当日は『箙』『西行桜』『鵜飼』の三番能なので。。夜更かしはあまりお勧めできませんー。

お装束は前シテが無地熨斗目に鉄色のようなちょっと変わった色合いの水衣、腰蓑、尉髪です。中啓は「鵜之段」でパラリと開かなければならないので、具合の良い尉扇を ぬえ所蔵品から持参し、尉髪は「鵜之段」での激しい動作で乱れないようにちょっと工夫するつもりです。後は黒地の袷狩衣、赤地半切、唐冠、修羅扇。赤頭と厚板は ぬえの所蔵品です。『鵜飼』のように安座をする曲では半切に良いものは使えないのですよねー。いっぺんでおしょうぞくが痛んじゃう。。今回も半切はあまり上等ではないものを拝借する事にしました。面は当日のお楽しみになりまする。
                                           ヘ(^.^)/

さて間狂言が終わるとワキの待謡になりますが、この待謡は珍しいものでおワキは読経しているのではなくて、河原の石に経文を書き付けて川に沈める、としいう文句です。経文と言いましたが本文では「妙なる法の御経を一石に一字書きつけて」となっているので、「南無妙法蓮華経」の七字を書きつけた事が印象づけられ、これまたおワキが日蓮である事が示唆されているのかも。

後シテは「早笛」で登場します。龍神などの登場でもよく演奏される早笛ですが、曲によりその「位」は区別されて演奏され、お囃子方はこういうところが苦心のしどころなのですが、『鵜飼』ではあまり速くは演奏しません。この曲では「俊敏さ」「力強さ」よりも「大きさ」「重厚さ」を表現するよう、各役でもそれぞれの師匠から稽古を受けていますし、各自が催しに向けて稽古をしていますので、申合ではその程度の摺り合わせをする作業が主な目的になります。昨日の申合では特に不具合なく進行しました。

後シテの役柄は作品研究や解説などを見ても「閻魔大王」とされていて、また観世流の謡本の前付けにもそのように書いてあるのですが、じつは本文にはそのような事は一言も書かれていないのです。「早笛はシッカリと演奏する」という実演上の約束も、おそらく後シテが「閻魔大王」だという理解から来ているのだと思いますが、ぬえはこの後シテは「閻魔」ではなく「冥官の鬼神」という程度であろうと思っています。地獄の獄卒ですな。「閻魔大王」自身が登場する、というよりは、その配下の冥府の官吏でしょう。

だからといって「位」は早めた方が良いというものでもなく、現在の位が「冥官」にも当てはまると思うので、お囃子方にどうこう、と意見を言ったワケではありません。これはまあ、この度のシテのお役を ぬえはそのつもりで勤めさせて頂く、という心構えのようなものでしょうか。型としては「重厚なところもあり、また場面により俊敏になるべきところもあり」というつもりで稽古していました。実際、後シテが登場して橋掛り一之松に止まると しばらくはその場で型があるのですが、文句と比べてかなり型が忙しいのです。どうも「冥府の長」という印象ではない、と思うのは ぬえばかりかしらん。

もっとも『鵜飼』には「空ノ働=むなのはたらき」という珍しい小書があって、この時は後シテは登場するとすぐ舞台の真ん中にどっかりと安座して、なんと! キリまでそのまま動かず、「これを見彼を聞く時は」と立ち上がって地謡のうちに退場してしまうのです(!!) まったく演技というものがない 恐るべき小書で、演者にとっては とんでもない至難な小書でしょう。ともあれ ぬえはこの小書こそ「閻魔大王」の役にふさわしいと思うので、あるいは先人もこの曲の後シテの役柄について疑問があって、「空ノ働」の小書を作る事によってふた通りの演じ方を残したのかも知れない、などと想像を巡らせました。


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