ちょっと話が前後してしまいますが、今月のはじめには大蔵流狂言方の大蔵教義くんの結婚式に招かれて、ぬえも参列させて頂きました。
教義くんはまだ若手の狂言方ではあるけれども、ぬえもとっても信頼していて、また 何故かお付き合いもずいぶん長いな~~。思えば彼が「那須」の語りを披いた頃からのお付き合いだから。。もう何年前になるんだろう。あれは父君の大蔵吉次郎先生の主宰会で、ぬえの師匠がおシテとして招かれて能『屋島・弓流』が上演され、その能の中の間狂言として狂言方の大事である「那須語」を彼が披いたのです。その時の「那須語」は さすが若手の披キだけあって大熱演で、正直それまで彼のことを知らなかった ぬえも感心したのでした。ただ、その日は ぬえは能の地謡の一員でしかなかったし、楽屋で忙しくしていた彼ととくに言葉を交わすこともありませんで、そのまま帰宅しました。
そして同じ年、しばらく経ってからのこと。今度は ぬえの師家の月例会能で、やっぱり ぬえは地謡を謡っていて。。あれはたしか『春日龍神』ではなかったかと思いますが、やはり若手のはつらつとした間狂言に出会って、これまた印象深く思ったのですが、この時も楽屋で話をするでもなく。。
そして、これまた同じ年で、ずっと後の話。ぬえの師家の同門が催したある地方での催しで、これは『船弁慶』だったと思いますが、またまた切れ味のある若手の間狂言の上演を見ました。こういう催しでは楽屋も小さくて、演者同士も割と話す機会があります。この終演後に ぬえは狂言方の楽屋を訪ねて。。そこでようやく、教義くんという存在をよく知ることになったのでした。
「今日の間狂言は良かったね!。。あれ? ひょっとして。。今年ウチの師匠のおシテで『那須』を披いたのって。。」「あ。。僕です。。」「。。それじゃ。。今年、ウチの月例会の『春日龍神』で間を勤めてたのも。。」「。。あ。。それ、やっぱり僕です」「やっぱり!」。。いやいや『那須語』の披キの場面にまで参加していながら ぬえ、失礼極まりない。ひとの顔を覚えるのが どちらかというの苦手な ぬえが、そのうえ忙しい楽屋では なかなか出演者全員ともれなく話す、というわけにもいかず、彼のことは気になっていながら、なんとなくウヤムヤになってしまっていたのでした。ゴメンなさい~
で、この日を境に、ぬえは教義くんとは親しくお付き合いをさせて頂くようになりました。もともと東京の若手狂言方、わけても大蔵流の若手には友達が多い ぬえだったので、その年には囃子方などと行った忘年会にはじめて彼らを招いたり。今年も相変わらず正月の新年会で彼とは楽しく飲みました。。朝まで。。(^^ゞ でもこの日のご披露宴でも いつもの彼の、あの満面の笑みが始終こぼれていて、ああ、やっぱり性格のいい子なんだねえ。
ちなみにこのご披露宴、観世流の能楽師は なぜか ぬえのほかには1名しか来ておらず、ぬえは金春流の同年代の能楽師のテーブルにご一緒させて頂きました。ま、でもこちらも ぬえにとっては友人たちですので、ワイワイ騒ぎながら楽しい時間を過ごさせて頂きました。それにしてもスクエアのみんなは相変わらず仲がよいねえ。
。。で、能楽師の結婚式の恒例である例の「四海波」の連吟では。。金春流宗家の安明先生がご発声に立たれ、しかもご発声は ぬえの目の前。スクエアのみんなからは「ぬえさん、多勢に無勢ですね~」とからかわれ。。はい。。「君の恵み(。。ぞ)ありがーアたーー(。。き)」と、観世流と金春流とで詞章が違う例の部分は ぬえ。。小声になってしまいました。。 (・_・、)
しまった。。あの場面だけ観世流からのもう一人の列席者がおられたテーブルに うまく混じっちゃうべきだった。あのテーブルには福王流のおワキもおられたから、そうすれば少なくとも。。少なくとも係り結びが一致する能楽師が三人になったんだ。。
ま、そんなこんなで楽しい一日でした。教義くん、本当にお幸せに~~
教義くんはまだ若手の狂言方ではあるけれども、ぬえもとっても信頼していて、また 何故かお付き合いもずいぶん長いな~~。思えば彼が「那須」の語りを披いた頃からのお付き合いだから。。もう何年前になるんだろう。あれは父君の大蔵吉次郎先生の主宰会で、ぬえの師匠がおシテとして招かれて能『屋島・弓流』が上演され、その能の中の間狂言として狂言方の大事である「那須語」を彼が披いたのです。その時の「那須語」は さすが若手の披キだけあって大熱演で、正直それまで彼のことを知らなかった ぬえも感心したのでした。ただ、その日は ぬえは能の地謡の一員でしかなかったし、楽屋で忙しくしていた彼ととくに言葉を交わすこともありませんで、そのまま帰宅しました。
そして同じ年、しばらく経ってからのこと。今度は ぬえの師家の月例会能で、やっぱり ぬえは地謡を謡っていて。。あれはたしか『春日龍神』ではなかったかと思いますが、やはり若手のはつらつとした間狂言に出会って、これまた印象深く思ったのですが、この時も楽屋で話をするでもなく。。
そして、これまた同じ年で、ずっと後の話。ぬえの師家の同門が催したある地方での催しで、これは『船弁慶』だったと思いますが、またまた切れ味のある若手の間狂言の上演を見ました。こういう催しでは楽屋も小さくて、演者同士も割と話す機会があります。この終演後に ぬえは狂言方の楽屋を訪ねて。。そこでようやく、教義くんという存在をよく知ることになったのでした。
「今日の間狂言は良かったね!。。あれ? ひょっとして。。今年ウチの師匠のおシテで『那須』を披いたのって。。」「あ。。僕です。。」「。。それじゃ。。今年、ウチの月例会の『春日龍神』で間を勤めてたのも。。」「。。あ。。それ、やっぱり僕です」「やっぱり!」。。いやいや『那須語』の披キの場面にまで参加していながら ぬえ、失礼極まりない。ひとの顔を覚えるのが どちらかというの苦手な ぬえが、そのうえ忙しい楽屋では なかなか出演者全員ともれなく話す、というわけにもいかず、彼のことは気になっていながら、なんとなくウヤムヤになってしまっていたのでした。ゴメンなさい~
で、この日を境に、ぬえは教義くんとは親しくお付き合いをさせて頂くようになりました。もともと東京の若手狂言方、わけても大蔵流の若手には友達が多い ぬえだったので、その年には囃子方などと行った忘年会にはじめて彼らを招いたり。今年も相変わらず正月の新年会で彼とは楽しく飲みました。。朝まで。。(^^ゞ でもこの日のご披露宴でも いつもの彼の、あの満面の笑みが始終こぼれていて、ああ、やっぱり性格のいい子なんだねえ。
ちなみにこのご披露宴、観世流の能楽師は なぜか ぬえのほかには1名しか来ておらず、ぬえは金春流の同年代の能楽師のテーブルにご一緒させて頂きました。ま、でもこちらも ぬえにとっては友人たちですので、ワイワイ騒ぎながら楽しい時間を過ごさせて頂きました。それにしてもスクエアのみんなは相変わらず仲がよいねえ。
。。で、能楽師の結婚式の恒例である例の「四海波」の連吟では。。金春流宗家の安明先生がご発声に立たれ、しかもご発声は ぬえの目の前。スクエアのみんなからは「ぬえさん、多勢に無勢ですね~」とからかわれ。。はい。。「君の恵み(。。ぞ)ありがーアたーー(。。き)」と、観世流と金春流とで詞章が違う例の部分は ぬえ。。小声になってしまいました。。 (・_・、)
しまった。。あの場面だけ観世流からのもう一人の列席者がおられたテーブルに うまく混じっちゃうべきだった。あのテーブルには福王流のおワキもおられたから、そうすれば少なくとも。。少なくとも係り結びが一致する能楽師が三人になったんだ。。
ま、そんなこんなで楽しい一日でした。教義くん、本当にお幸せに~~
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