ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『朝長』。。あ!梅が。。。。咲きやがったっ!!!

2006-03-03 18:04:52 | 能楽
明日はスキー~ と浮かれながら、それでも今日から『朝長』の稽古を始めました。

『朝長』は「三修羅」と言われる大曲で、昔ならば ぬえのような身分では舞う事を許されなかったものですが。。師匠の勧めによって今年の6月3日(土)に開催される師家の別会「橘香会」で上演させて頂ける事になりました!

本当は ぬえ、一昨年 自分の会「ぬえの会」を催して『朝長』をやってみようかと思ったのですが、囃子方の友人に「どうかなあ。。『朝長』」って聞いてみたら、言下に「無理だよ」と言われてしまった。。(ーー;)

まあ、若年で勤める曲ではないでしょうが、でも じつは ぬえは『朝長』が大好きなんです。この「語リ」をいっぺん舞台でやってみたい、と思っていました。結局一昨年の「ぬえの会」は開催さえ断念する結果になってしまったけれど、今年 師匠から別会で一番の能を勤めるようお勧めがあって、候補曲もいくつか示して頂いたところ、なんとその中に『朝長』も入っていました! (@_@;)

もう、一も二もなく飛びついて「『朝長』。。やらせて下さいっ」とお願いして、上演が決まった、というようなワケです。稽古を始めてみて思ったのですが、この曲の前シテの謡が難しいのは当たり前なのですが、沈鬱な前シテとはうって変わって明るく華やかに演じるものだと思っていた後シテも、じつは演じる上では前シテの雰囲気を踏まえている、というか、必ずしもサラリと若々しく演じるようには作られていないようにも感じます。

まだまだ取りかかったばかりなので、これは段々と研究していこうと思います。

。。さて、その稽古を終えて、稽古のために借りている近所の区民館を出たら、どこからか良い香りが。。

ををっ! 梅がほころび始めているじゃないかっ!!

。。明日はスキーなのにぃ。 (/_;)


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4 コメント

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はじめまして~ (はなこ)
2006-03-03 22:52:42
最近ここに立ち寄るのが習慣となっている主婦です。お稽古歴(謡いと仕舞)は約20年最近とても面白くなってきました。たとえ小さな仕舞でも一曲を仕上げてゆく過程は一つの彫刻作品を作るみたいな気がしてます。大まかに形作ってから細部をふくらませたり削ったり入念に手を入れてみたり。その過程が楽しいですね。

『朝長』のお話の続き待ってます♪
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Re:はじめまして~ (ぬえ)
2006-03-04 01:50:59
>はなこさん はじめして~



うむ、さすがに20年のお稽古歴があるだけあって、ふむふむ、と納得できるコメントですね。



ぬえはお弟子さんに、特に本三番目物の謡やお仕舞を教えるときに「こういう曲をやる時は繊細なガラス細工をみんなで寄ってたかって作るようなものです」と言っています。みんながそれぞれの領分で心を込めて微妙で精巧な作品を作りあげるので、誰かがちょっと無遠慮だったり無神経なことをすると、全体がガラガラっと音を立てて崩れちゃう。。



ぬえも最近やっと、かなー、舞台上で地謡や囃子とキャッチボールができるようになってきたのは。つまりそれまで傍若無人な能だったワケで、作り上げる作業と舞台はまた別に考えなきゃいけないな、とも思います。



ところでお仕舞について、サシ込は「指摘」「発見」「主張」で、ヒラキは「凝視」だと常々思うのですが はなこさんはどう考えています?

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Unknown (ぼんぼり)
2006-03-04 21:18:57
>舞台上で地謡や囃子とキャッチボール

それって舞台に立つ人が味わうことを許された醍醐味でしょうね。羨ましいです。

舞台の経験を経ることによって作り上げる作業も進化してゆかれるのですね。



>サシ込は「指摘」「発見」「主張」で、ヒ>ラキは「凝視」

はて。私ごとき者には・・・ 

でも所作の表現として新鮮なことばですね。

凝視は前方へのエネルギーを感じさせてヒラクときの気持ちとしていいなあと思います。

内なる眼での凝視、かな。

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いや、その。。ははは。。(/_;) (ぬえ)
2006-03-05 18:50:23
>ぼんぼりさん



レスありがとうございます。ちょっと前回ナマイキな事を書きすぎたかなあ、と反省している ぬえです。m(__)m



ただ、この数年で「この人は舞台を一緒にやっていける信頼できる仲間」って意識を持てる能楽師の友人ができたのも事実だったりします。この数年。。やっぱり『道成寺』のあとからかなあ。



型(所作)については ぬえは思うところがたくさんあります。。この「サシ込」「ヒラキ」というのは型自体には意味を持たない、という点が面白い所作で、場面によって千変万化の意味合いを持たせる事ができるのです。だから能の中でも おそらくもっとも頻度の多い型でしょうし、やり方も何十通りも考えられるでしょう。。「指摘」とか「凝視」というのは、このように「意味を持たない型」に、試みとしてあえて最大公約数的な意味づけをしてみたのですが、合っているかどうかは分かりませぬが。。



ところで「意味のない型」。。外国にはこういうものはないでしょう。ぬえは自分では日本の文化を「器の文化」と勝手に名付けているんですが、先人が磨き上げたモノを型などの「器」という形にして伝えて、それを実演者が時代によって色づけをしていくことは許容する。でも無軌道な色づけはなされないように師伝とか口伝という制御機能を別に伝えていく、という特異な特徴があって、それはとんでもなく優れた発想だなあと思っているのです。伝承というものが「伝言ゲーム」に陥ってしまう危険性を最小限に抑えるには、もっとも効果的な方法ではないかしらん。

これについてはまた機会をみて考えてみたいと思います。



能には「メロディのない歌」ってのもありますね。これも外国でお話をするとかなり驚かれます。



ああ、またナマイキになっちゃったい。。
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