ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第20次支援活動<気仙沼市・震災3年>(その6)~「風の広場」ライブに出演

2014-04-09 01:14:13 | 能楽の心と癒しプロジェクト
そうして1時間ばかり休憩を取って宿を出発、「風の広場」に向かいました。

昼間見てもすごい状態の被災建物ですが、夜見るとまた迫力が。。(^_^; でも「風の広場」の内部は(照明が限られていることもあって)なかなかの雰囲気でした。

ライブはすでに始まっていましたが、ほかの出演者とお話ししたり、歌い手さんのMCを聞いてみると、どうも出演しているのは歌を届ける活動を仮設で行ってきたボランティアさんのようですね。事前にあまり情報がなかったのですが、活動を終えたボランティアさんの打ち上げというか、記念パーティーみたいなもののようです。





ま、こういう事もありますし、それで良いと ぬえは思っています。以前にもボランティアさんのねぎらいのような上演は何度か経験していますし、喜んで頂けるのは被災地域の方ばかりに限る必要もないわけで。

こうして上演準備に取りかかりました。伊藤雄一郎さんからは我々だけの個室の控室をご用意頂いていましたが。。んー、昼間見たときは良いかなーと思ったのですが、なんせ電気が一部しか通っていないとのことで。。案の定控室に明かりは一切ありませんでした。でした。です。

トップ画像がそれですが、壁のLEDライトは こんな事もあろうかと ぬえが車に積んでいたもの(100均で買いました~)。ぬえの車…レイちゃん3号は東北での活動を始めてから、それまでの乗用車じゃ荷物や物資が積み込めないので買いなおした車で、最近こそ寝袋なんかは使わなくなったけれども、そういったボラ基本装備はひと通り積んであります。LEDライトは小型も含めて3つ積んでありましたが、まさかこんな形で活躍することになるとは(笑)

まあ、これまでいろんな場所で上演してきましたが、真っ暗な控室はこれが初めて。かなり手探り状態で着付けを始めましたが、2階のトイレの前のスペースだけは煌々と電気が点いているのを発見して、装束の着付けはそこで行うことにしました。着付けの途中でトイレに用足しに来た人たちはびっくり(笑)

音楽ボランティアさんの演奏を聞きながら、大体知らされていた出演時刻が迫ってきたので面を掛けて出番の準備。控室は「風の広場」の外にあったので、登場はお店の正面入口からになります。津波の被害は2階にも及んでいたので、ほとんどコンクリートむき出しの床に立って登場のタイミングを待っていましたが。。それから10分ほども待ったでしょうか。その間に足先からしんしんと冷えてきました。


これ、わかるかしら。立っている床は波打ってひび割れているのです。。

この日は震災から3年目を迎えるその前日。震災の日もこの日の昼のように雪が降っていました。この記事を書いているのが4月上旬。。東京では考えられないことですが、東北では4月になっても小雪が舞うことがあるのだそうです。この夜は装束を着ているから身体にはそれほど感じませんでしたが、コンクリートの床に触れる足袋はだしの足は だんだんと感覚が鈍くなってくるほど。。震災のとき、津波に流されながらかろうじて陸に上がれた人も多かったそうですが、服が濡れたまま山で一夜を過ごした方もあったそうで、この寒さから推測すると、それはかなり厳しい状況だったでしょう。。実際、低体温症で亡くなった方も多かったように聞いていますし。。

やがて笛のTさんの解説に続いて能『羽衣』の上演を致しました。プロジェクターでスライドを背後の壁に流しながら、その前での上演でしたので、プロジェクターの光が真っ直ぐに眼に入ってきて、こちらも少々舞うのは大変だったのですが。。時折見える見所の様子を見てみると。。

前の方で一日のイベントでお疲れの伊藤さんはちょっと眠たそうでしたが (^_^; 後ろの方の席でご覧になっている若い女の子のグループ(多分、音楽ボランティアさん)が真剣に見てくださっているのが良く伝わってきました。こういうのって良いですね。仮設住宅などで上演するのとはまた違った喜びがあります。

終演は、謡いながら登場してきた入口に消え去るつもりで歩み出したのですが、開け放していたはずの扉をどなたかが閉めてくださったようで、そこを入口だと思いこんだ ぬえはそのまま、扉の隣りのガラスに激突して終わりました (^◇^;)。 急いで面をはずして、挨拶はしないつもりだったのですが、真剣に見てくださった彼女たちに敬意を表して「みなさんは同じボランティア仲間ですね? これからも一緒にがんばりましょう!」と叫んで、拍手のうちに終演。いや、良い催しだったと思います。


上演画像は菅原圭子さんのfacebook投稿から拝借しましたm(__)m

ボランティアさんや伊藤さんはPA機器の片づけも手伝ってくれましたが、やがて予約してある打ち上げのお店にお出かけになり、ぬえたちは着替えと装束の後片づけに時間がかかるのでそれには合流しませんでした。どうせカギも掛からないお店ですし、片づけをようやく終えて退出しようとしましたが。。ぬえたちに気を遣ってスタッフさんが居残ってくださっていました。

お店の窓から暗くなった。。けれどプラザホテルなどの灯りに照らされて美しく見える港を見下ろしながら、気仙沼の復興や未来について、いろんな話を。。3~40分はしていたのではないかなあ。市民だからこそ見えるビジョンや明るい夢や希望。。それに反して山積する現実に立ちはだかる課題。。中には、ちょっとここでは書けないような政治的な黒いうわさ話まで。。やっぱり ぬえのような、たまにしか当地にやって来ない人間には どうする事も出来ない問題もたくさんあります。無力さを感じて暗い気持ちになる一方、ぬえのようなよそ者に、こうして心を開いてくれる人が多いのが気仙沼の特長。。魅力なのかな、なんて、なんだか無頓着なことも考えていた ぬえでした。

結局晩ご飯を食べ損ねた。そんなこともあろうかと、楽屋入りの前にコンビニ弁当。。いや、それは無理だろう、サンドイッチなど少しは持ち込んでいたのですが、ほとんど食べる時間もありませんでした。もう10時をまわったこの時間に開いているレストラン。。は、手近なところでは やっぱり宿のそばの気仙沼ホルモンのお店しかありませんな♪ ああ、幸せ。

こうして活動初日は怒濤のように過ぎました。緑さんをご自宅まで送って、深夜にようやく就寝。

明日は震災3年目の、その日。


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