前回、ぬえは過去に脇能を勤めたのは『高砂』の1回だけ、という話をしました通り、今回の『氷室』は ぬえにとってあまり慣れない脇能の上演です。ところが、先日の「狩野川薪能」で同じ脇能の『嵐山』を勤めたばかり。まさか1ヶ月も経たないうちに立て続けに脇能を2度も勤めるとは思いも寄りませんでした。。こんなこともあるのね~。では例によって能『氷室』の舞台上の演技を台本を基にして解説してゆきたいと存じます。しばしお付き合いくださいまし~(注=おワキの詞章は今回の上演に従って下掛り宝生流の本文に拠っています)
囃子方と地謡が座着くと、後見によってまず一畳台が大小前に出され、続いて引廻しを掛けた山の作物が一畳台の上に据えられます。こうして作物が舞台に出されると大小鼓は床几に掛けて、すぐに「真之次第」が演奏されます。
このあたり、同じ脇能ということで『嵐山』とまったく同一の舞台進行になります。本当に判を押したように同じなんですよ。おワキの勅使は紺地狩衣に白大口という装束で頭には大臣烏帽子をかぶり、赤色の上頭掛けが飾られています。ワキツレの随行員はワキと同装ながら狩衣の色は赤、上頭掛けの色は萌黄。おワキは登場の場面と舞台に入ってからの「速メ頭」で両袖を広げて伸び上がる型をし、やがて舞台に入った一同は向き合って「次第」を謡い、地謡が同じ文句を繰り返す「地取」を謡い、さらにワキ一同はもう一度文句を繰り返して謡う「三遍返シ」が謡われ。。まったく『嵐山』と同じ装束、同じ型で、違うのは謡っている詞章ぐらいのものです(詳しくは『嵐山』の紹介記事を参考になさってください)。
ワキ、ワキツレ「八洲も同じ大君の。八洲も同じ大君の。御影の春ぞ長閑けき。
地謡「八洲も同じ大君の。御影の春ぞ長閑けき。
ワキ、ワキツレ「八洲も同じ大君の。八洲も同じ大君の。御影の春ぞ長閑けき。
どうも今回も世界は平和なようで。。(^◇^;)
「三遍返シ」のあとおワキは正面に向き直り、「名宣リ」を謡います。
ワキ「そもそもこれは亀山の院に仕へ奉る臣下なり。さても我丹後の国九世の戸に参り。既に下向道なれば。これより若狭路にかゝり。津田の入江、青葉後瀬の山々をも一見し。それより都へ上らばやと存じ候。
勅使は丹後の九世戸に出かけていますが、九世戸とは有名な天橋立にある地名。この勅使は天橋立に観光に出かけたのかというと、じつはそうではなくて、ここには文殊菩薩信仰の霊場があるのです。その文殊信仰を扱ったのが、やはり脇能の稀曲『九世戸』で、おそらく勅使は文殊菩薩を拝する命を受けて丹後にやって来たのでしょう。その帰途、若狭、すなわち現在の福井県を通って、かつてその国府だった小浜市(例の米国大統領選挙に関連して有名になった、あの市)の名所を見物しながら都へ戻ろう、というのが勅使の旅行プランです。
ワキ、ワキツレ「花の名の。白玉椿八千代経て。白玉椿八千代経て。緑にかへる空なれや。春の後瀬の山続く。青葉の木蔭分け過ぎて。雲路の末の程もなく。都に近き丹波路や。氷室山にも着きにけり氷室山にも着きにけり。
ワキ「急ぎ候程に。これははや氷室山に着きて候。人来たつて氷室の謂れを尋ねうずるにて候。
ワキツレ「然るべう候
「道行」と呼ばれる紀行文を一同向き合って謡いながら、その中でワキは正面に少し出て、また元の座に戻ります。この数歩で一行は丹波の氷室山に到着したことを表します。いずれも『嵐山』とまったく同じ定型の型ですが、これは脇能に限ったことではなくて、多くの能に共通して用いられる定型の型です。
このところで一行はひと休み、現地の人が通りかかるのを待って、氷室について尋ねようと相談がまとまり、一行は脇座以下に着座、前シテの登場となります。
囃子方と地謡が座着くと、後見によってまず一畳台が大小前に出され、続いて引廻しを掛けた山の作物が一畳台の上に据えられます。こうして作物が舞台に出されると大小鼓は床几に掛けて、すぐに「真之次第」が演奏されます。
このあたり、同じ脇能ということで『嵐山』とまったく同一の舞台進行になります。本当に判を押したように同じなんですよ。おワキの勅使は紺地狩衣に白大口という装束で頭には大臣烏帽子をかぶり、赤色の上頭掛けが飾られています。ワキツレの随行員はワキと同装ながら狩衣の色は赤、上頭掛けの色は萌黄。おワキは登場の場面と舞台に入ってからの「速メ頭」で両袖を広げて伸び上がる型をし、やがて舞台に入った一同は向き合って「次第」を謡い、地謡が同じ文句を繰り返す「地取」を謡い、さらにワキ一同はもう一度文句を繰り返して謡う「三遍返シ」が謡われ。。まったく『嵐山』と同じ装束、同じ型で、違うのは謡っている詞章ぐらいのものです(詳しくは『嵐山』の紹介記事を参考になさってください)。
ワキ、ワキツレ「八洲も同じ大君の。八洲も同じ大君の。御影の春ぞ長閑けき。
地謡「八洲も同じ大君の。御影の春ぞ長閑けき。
ワキ、ワキツレ「八洲も同じ大君の。八洲も同じ大君の。御影の春ぞ長閑けき。
どうも今回も世界は平和なようで。。(^◇^;)
「三遍返シ」のあとおワキは正面に向き直り、「名宣リ」を謡います。
ワキ「そもそもこれは亀山の院に仕へ奉る臣下なり。さても我丹後の国九世の戸に参り。既に下向道なれば。これより若狭路にかゝり。津田の入江、青葉後瀬の山々をも一見し。それより都へ上らばやと存じ候。
勅使は丹後の九世戸に出かけていますが、九世戸とは有名な天橋立にある地名。この勅使は天橋立に観光に出かけたのかというと、じつはそうではなくて、ここには文殊菩薩信仰の霊場があるのです。その文殊信仰を扱ったのが、やはり脇能の稀曲『九世戸』で、おそらく勅使は文殊菩薩を拝する命を受けて丹後にやって来たのでしょう。その帰途、若狭、すなわち現在の福井県を通って、かつてその国府だった小浜市(例の米国大統領選挙に関連して有名になった、あの市)の名所を見物しながら都へ戻ろう、というのが勅使の旅行プランです。
ワキ、ワキツレ「花の名の。白玉椿八千代経て。白玉椿八千代経て。緑にかへる空なれや。春の後瀬の山続く。青葉の木蔭分け過ぎて。雲路の末の程もなく。都に近き丹波路や。氷室山にも着きにけり氷室山にも着きにけり。
ワキ「急ぎ候程に。これははや氷室山に着きて候。人来たつて氷室の謂れを尋ねうずるにて候。
ワキツレ「然るべう候
「道行」と呼ばれる紀行文を一同向き合って謡いながら、その中でワキは正面に少し出て、また元の座に戻ります。この数歩で一行は丹波の氷室山に到着したことを表します。いずれも『嵐山』とまったく同じ定型の型ですが、これは脇能に限ったことではなくて、多くの能に共通して用いられる定型の型です。
このところで一行はひと休み、現地の人が通りかかるのを待って、氷室について尋ねようと相談がまとまり、一行は脇座以下に着座、前シテの登場となります。
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