ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

狩野川薪能、大成功で終了しました!(その2)

2008-08-26 13:12:15 | 能楽

引き続いての上演は、この薪能の最大の特徴である「子ども創作能」の『江間の小四郎』です。

鎌倉二代執権の北条義時(政子の弟)がまだ当地に住んで「江間の小四郎」を名乗っていた頃の物語。千葉寺へ学問に通っていた嫡子安千代が、江間の大池に棲む大蛇に襲われて落命し、その急報を聞きつけた小四郎は大池に向かい、三日間大蛇の出現を待って、ついに現れた大蛇の左目を射抜いたところ、大蛇は来光川に飛び込んで姿を消します。小四郎は安千代の菩提を弔うために北條寺を建立し、また弓馬の名を挙げたのでした。

。。地元に伝わるこの民話を、ぬえはじめ数人の能楽師の共作として台本を書き上げ、能のエッセンスを取り入れた創作舞台としたのが「子ども創作能」です。『江間の小四郎』は第一回の薪能から数年に渡って上演された『城山の大蛇』に続く創作能の第二作で、毎年少しずつ改訂を重ねて、今年は「波頭の出」という小書?のような演出にしてみました。

この「江間の小四郎」の民話、ぬえが民話集の本で見た原作では上記のような物語だったのですが、4年前にはじめて台本を書くときに ぬえは地元で取材をしていたところ、いろいろと民話集には載っていない伝承が地元に伝えられていることが判明して、一部は台本に盛り込んであります。また千葉寺も北條寺も現存しているうえ、来光川の大蛇が飛び込んで姿を消した地点に掛かる橋には、ちゃんと「蛇が橋」という名が付けられていました。

さて今年の『江間の小四郎』の稽古ですが、う~~ん、最初はかなり苦労した、というのが本音です。大蛇、小四郎、安千代、その従者といった主要な役には毎年小学校6年生を起用していて、これは全員、もう何回か薪能に出演した経験を持つ子ばかりですし、自分たちが6年生になれば創作能で主役級を手にすることが出来る、とわかっていて待ち続けてきた子ばかりなので、ほぼすんなりと稽古に入ることができたと思います。。それでも、先生に甘えて、何度稽古してもまったく型を覚えて来ずに ぬえと一緒でないと動くことができない子もいましたけれど。。これは舞台に立つ責任を自覚していないので、何度目かの稽古からは厳しく接するようにしました。なんたって最後には自分一人でやらなければならないんだから。。結果、だいぶスタートは遅れたけれど、最後には目覚ましい進歩を遂げて立派に演技することができるようになりました。

で、問題は大蛇退治に向かう小四郎の郎等の武士たちの役で、これは毎年5年生に担当させているのですが、今年は男子の参加が多くて迫力が出た反面、薪能にはじめて参加する子が大多数で、指導には苦労しました。なんせ声が出てこない。。まあ、よく意味も分からない古語の、それも慣れない謡の音階で謡うのは初めての経験だし、そのうえ型もあるから自信が持てないのは仕方がないのですが、やはり稽古2ヶ月目を過ぎたあたりから少し厳しく稽古をして。。すると、だんだんと、ではありましたが、堂々と演技できるようになりました。当日はもう、舞台が壊れるかという熱演でしたね。

武士役の子たちで印象的だったのは、ある時の稽古で、6人の武士役全員が、実行委員会から配られた薪能のTシャツを着て稽古場に現れたことでした。ぬえも「ほお。。」とは思ったのですが、それはみんなで示し合わせて、お揃いのTシャツで稽古しよう、と相談したのかと思ったので、とくに何も言いませんでしたが。。ところが稽古を見学するお母さんたちは驚いていたようで、あとで聞いたら、なんと事前に相談はなく、偶然にみんなの気持ちが一致した結果だ、とのこと。

。。言われて ぬえもようやく気がついた。。じつはみんな、お互いの連絡先を知らないのです。

現代の「個人情報保護」の事情から、残念なことではありますが、毎年薪能の参加者名簿は参加者自身に配られないのです。薪能の実行委員会が伊豆の国市の観光協会という公の組織ですから、名簿を公表できないのは仕方のないところですが、実情は共演している参加者同士が、お互いの名前さえ知らないまま稽古していたりする。。そこで、今年はぬえが提案しまして、参加者が自主的に、独自の名簿を作ってはどうか、と保護者に声を掛けました。実行委員会からも自主的な名簿づくりならば問題はないだろう、という意見を頂いて、ぬえがまとめて名簿を作りました。薪能が始まって九年。。ようやくの進歩です。

ぬえは子どもたちの指導者ですから、参加者名簿は一部だけ毎年頂いているのですが、ついつい、自分だけが全員の名前を知っていることを忘れてしまって。。だから、このとき武士役のみんながお揃いのTシャツを着てきたときも気がつかなかったのです。まだ ぬえ、名簿をみんなに配っていない。。それなのにこの子たちがお揃いのTシャツを着て稽古に集まったとは。。驚愕すべきことだったんですね。それほど結束が固まってきていたのです。これも九年間の薪能の稽古で初めての経験でした。すごいぞみんな。

今日、薪能の撮影をしてくださったもう一人の能楽写真家、山口宏子さんから画像が届けられました!
『江間の小四郎』の勇姿を見よ!(大蛇=隆貴)

そして前回ご紹介した連調『高砂』の画像も!


小鼓=綾・珠里(みさと)・将人・瞳偉(とうい)


大鼓=立夏・亜里沙・まり菜

これから参加者のみんなにも画像を送りますからね~


最新の画像もっと見る

コメントを投稿