ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

そのとき ぬえは。。そこにいた。。(その7)

2006-03-29 22:35:23 | 雑談
来日された大学の先生と会食をして再度の渡航を依頼されてから数週間、突然ニューヨークでの同時多発テロ事件が起こりました。みなさんの多くもそうであったと思いますが、ぬえも深夜のテレビ中継でこの事件をリアルタイムで見てしまいました。ひたすら驚愕。。

偶然だったのは、ぬえはこの事件の翌朝に米国人の留学生に稽古をつける約束をしていたのです。でも今考えてみれば、テレビで事件を知って驚いたけれども、やはりどこまでいっても「遠い国で起こった事件」としてよそ事のように見ていたのだと思います。翌日に稽古をした米国人も同じように実感がない様子でした。この時 ぬえは、むしろつい先日始動したばかりの米国訪問の計画にどのような悪い影響が及ぶかを心配した程度。しかしその後米国は次々に戦争を始めてゆき。。

ぬえは米国にチャンスをもらった者として大きな恩恵を感じているのですが、また一方、この頃 ぬえは米国に対してちょっと複雑な感情も持っていました。ぬえは能の世界に身を投じてから、日本の文化がどれほど精緻に考え抜かれ、深い精神性と見識を兼ね備えたものかを発見する事ばかりでした。でもそれだからこそ、それまでの ぬえ自身と同じように、日本人がいかに自分の文化を省みない、極言すれば捨ててしまったも同然の状態になってしまったのか、を同時に考えないわけにはいきませんでした。。いろいろな要因は考えられるんだれど、やっぱり。。戦争の影響を無視するわけにはいかないのですよね。。 日本が引き起こした戦争について語るのは本当に難しい事だけれど、ぬえは米国が日本に残していった「自由」というものについても複雑な思いを持っています。

米国がテロ事件のあとに起こした戦争によってみずからも苦しんでいるのを見るにつけて、ぬえは「どんな事があっても必ず渡航しよう」と固く決意しました。ぬえの渡航先はまさにニューヨーク州の大学だったし、すでに現地の友人からは「どんな小さな商店にさえ星条旗が掲げられ、みんなが Remember Pearl Harbor! と口々に言っていて、私は気分が悪くなっている」と報告も入っていました。日本の文化が戦争を境に、それまでとまったく違う方向に進んでいった現実を知ってしまった ぬえはどうしても若い人たちと話をしてみたいと思ったのです。

渡航についての様々な交渉を進めて、ついに米国に渡航したのは、しかし事件から3年が経過した2004年の事でした。大学との交渉のほかにも、米国大使館でのビザの取得にかなり苦労したり、また実際に渡航してみると空港でのチェック体制も以前とは比べものにならない厳しさになっているなど、以前とは明らかに違う事も多かったけれど、それでも大きく見れば以前友人から報告があったような興奮状態の時期はすでに過ぎ去ったようでした。

このたびの渡航では20日間の滞在で3都市の大学で講義や公演を行う予定になっていました。久しぶりで会う米国の学生たちは相変わらず生き生きとして、稽古さえ楽しみに変えてしまう陽気さも失ってはいなかったのは ぬえにとっても救いでした。本当に何事もなかったかのよう。しかし。。多忙なスケジュールの中で、折を見て学生とも話す機会を見つけたのですが。。でも彼らにとってテロ事件後の現実はあまりにも重い心の重荷であるようでした。日本が戦争で失ったものについての話をしようとしても。。戦争の話題は彼らにはとてもつらそう。それまで楽しそうにしていた彼らがみんな押し黙ってしまう。。 ひょっとしてぬえは彼らの神経の最も微妙な部分に土足で踏み込むようなマネをしてしまったんじゃないか? 稽古は順調に進める事ができても、ぬえは段々と心細さが増していきました。

いろんな事を考えながら、ぬえも悩みながら、講義や公演自体は成果を残すことができて、最終公演地となるニューヨーク州の小さな小さな街に着きました。ここではもう ぬえは学生には楽しんでもらえるように、それだけを望んで稽古や講義を始め、学生たちも心から喜んでいたようです。これで良かったのかなあ。

何日かの講義を終えて、この街の滞在の最終日には、やはりテープを使った略式の公演を行いました。この公演が20日間に及ぶ米国滞在の最後の仕事となります。小さな街ながら歴史を持つ古い劇場があって、そこが公演の会場でした。チケットはすでに完売、と事前に伺っていましたが、先生がおっしゃるには「遠くカナダから申し込んで来たお客さんもあるんですよ」との事。ここで力いっぱい、出来るだけの公演をして、無事に能は終了しました。そして海外公演では必ずやらなければならない「カーテンコール」で再び舞台に出て観客に挨拶をしました。。すると。。信じられない事が。

ぬえが挨拶の礼をして顔を上げると、なんとお客さんが立ち上がってスタンディング・オベーションをしてくださっている(!)これには驚きました。もちろん ぬえにとっても自分の舞台がこれほど好意的に迎えられた事ははじめての経験です。この小さな街は、ぬえにとって忘れられない場所になりました。

。。さてすべての公演を終えて、日本に帰国する前に、一日だけニューヨーク・シティに立ち寄って宿泊して、オフを取りました。もう三度目のニューヨークだったのであまり観光する、という感じでもなく、本当にオフ。それでも今回の公演のもう一つの目的~~グラウンド・ゼロへの訪問を果たす事にしました。今回 ぬえがアメリカでついに得られなかった事。。形さえも定かでない漠然としたものが、そこでは別の異形の姿となっているのです。

前回ここに建っていたビルが、今は跡形もなく。。おそらく感慨というほどのものもあるか、と予想していた ぬえでしたが、実際そこに立ったとき、涙があふれ出てきてどうしようもなかった。違う文化や価値観が出会った、という同じスタート地点に立ちながら、昨日はスタンディング・オベーションとなり、どうしてここではこうなるのか。。

いろいろな事を思うけれど、ぬえとってはやはり、ぬえにチャンスをくれた国 アメリカは大切な国です。だからこそ今のアメリカを見るのはつらい。やっぱり ぬえは「そこにいた」のだからね。

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