↑箕輪城城趾
11月2日(日)、残っていた関東の100名城4つを訪れた。27城目は群馬県高崎市の「箕輪城」である。
箕輪城は、榛名白川によって削られた河岸段丘に梯郭式に曲輪が配された平山城である。城の西には榛名白川、南には榛名沼があり、両者が天然の堀を形成していた。城地は東西約500メートル、南北約1,100メートル、面積約47ヘクタールにおよぶ広大なものであった。
箕輪城は1512年(永正9年) 戦国時代中期、当地を支配する長野業尚によって築かれた。後に徳川家康の家臣の井伊直政(最終的には彦根城城主)に与えられているが1598年に廃城となっている。(Wikipediaより)
一般的な戦国時代の城や石垣跡は残っていない。大きな「大堀切」は一見の意義あり。また「本丸」跡もかなり広い。当時をイメージするのは困難だが後に彦根藩主となる井伊直政が12万石の城主だったことは興味深い。
↑箕輪城公園
↑大きくて深い土塁
↑本丸跡
↑郭(曲輪)跡