↑掛川城二の丸
9月18日(木)、関西への帰省途中、小田原城に続いて掛川城に立ち寄った。
掛川城は戦国時代には東海道を扼する遠江国東部の中心、拠点として掛川はしばしば争奪戦の舞台となった。室町時代中期の文明(1469年 - 1487年)年間に守護大名・今川義忠が、重臣の朝比奈泰煕に命じて築城したと伝えられている。
現在見られる城郭の構造の基本的な部分は安土桃山時代に同地に入封した山内一豊によるものである。しかし、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後、山内一豊は土佐一国を与えられて高知城に移転している。
掛川城は予想に反して立派な城だった。
東から小田原城、駿府城、掛川城、岡崎城と東海道の要所に睨みを効かずところにある。
↑掛川城の大手門側から登城した
↑階段を上がる
↑更に上がると。。。
↑掛川城を別な角度からみる
↑掛川城の別門から降りてきた
↑歴代の城主の甲冑