
↑大森陣屋の石碑
11月29日(火)午前、東近江市大森地区にある「大森陣屋(最上陣屋)」を訪れた。
大森陣屋は、出羽(山形)の守護大名だった最上氏の新領地となった近江・大森での最上藩陣屋があったところである。
最上氏は、最上義光が関ヶ原の戦功によって57万石の太守となったが、元和3年に義光の孫義俊が幼少で家督を嗣ぐに及んで家臣間の派閥争いの結果、元和8年に最上氏は所領没収となった。
幕府は、最上義俊に近江蒲生郡内他で1万石を新たに与え、最上家の家名存続を許した。義俊は、近江の新領地に陣屋を構えた。それが大森陣屋である。寛永8年、最上義智が継承する時、幼少を理由に5千石を削られ、以後5千石の交替寄合(旗本)として明治まで続いた。
大森陣屋(最上陣屋)に関し、現在、東近江市大森町の交差点横(玉緒小学校前の大森町交差点を南)に石碑が建てられているだけで遺構は残っていない。しかし、戦国時代には「大森城」の平時の館があったことは判明している。唯一、大森地区から一山越えた「石塔寺」の山門に陣屋の門が移築されて残っている。(石塔寺は2016年9月8日のこのブログで紹介済み)
尚、大森地区には、戦国時代まで布施氏の「大森城」があり、平時の布施氏の館があった。最上氏の大森陣屋は江戸時代であり、大森陣屋は布施氏の館を引き継ぐか利用する形だったのだろう。その大森陣屋は明治以降、村役場となり、その後は小学校として役だっている。

↑大森陣屋の由緒

↑石塔寺の山門(元は大森陣屋の門)(2016年9月5日撮影)
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