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キリスト教会を訪問(続き)

2014-11-10 17:56:51 | 日記
 つまり、彼女は、明るく快活に振る舞えば振る舞うほど内向し、「自己否定」した自分を肯定し、生かすために、「闇と光」に代表されるような暗いイメージを抱かれがちな作品を生み出さざるを得なかったのです。それは世俗的な誇りとは縁なき、芸術家としての誇りを矜持するためでもありました。生前、ポピュラーな作品も描いてはどうかという提案に対し、一切耳を貸してもらえなかったことが、そのことを思い出させもします。唯一、親しみやすい作品として、『田舎の詩情』の風景画がありますが、この作品も、第三者を意識して描かれたのではなく、彼女の内面が如実に表現されているという点では、やはり彼女の世界観を正直に表現した作品です。

 今回、美術館では「苦悩より歓喜へー須藤康花版画展」と題して特別企画展を開いています。チラシの案内状には、「今回は作者が晩年心血を注いだ銅版画を中心に展示いたしました。若き作者の精神的苦悩と病魔の苦痛を克服するために制作された作品たちを、是非ご覧くださいますようお願い申し上げます。」と書いています。まさに、「暗いイメージで捉えられがちな」作品ばかりです。しかし、繰り返しますがそれは「誤解」なのです。

 そんなことを考えているうちに、「誤解」だということを最も身近に理解していただける方がたたちがいることを見過ごしていることに気付いたのです。松本駅で下車してから美術館までの行き帰り、いつも目にしている教会です。康花は生前何度か自死を意図しましたが、それを回避できた精神的支柱の一つになったのが、聖書の贖罪でした。彼女は中学時代、キリスト教系の学校で聖書を学んでいると同時に、その後、キリスト教の影響の強いトルストイ、ドストエスキーの作品などを繰り返し読んでいます。事実、作品の中には人物の横に小さく十字架を描いている『祈り』と題した絵の他、『白夜』、『流転』など彼等ロシアの文豪の影響を受けた銅板作品があります。魂の救済を宗教に求める人たちが少なくなっている今日、活動が目立つキリスト者の方がたに是非見て頂きたい、と思い至ったのです。
 
 今日9日は日曜日、ミサがあるはずです。早朝、お忙しい時間、ご迷惑も顧みず、教会を訪問したというわけです。幸い牧師さんは快くお会いして下さり、彼女の人となり、作品内容を簡単に説明させていただくことができました。改めて御礼申し上げます。
 ちなみに、彼女はキリスト者ではありません。埋葬されているのは真言宗の仏寺です。今回展示している作品の中にも『彼岸』とか『輪廻』と言った仏教の影響を受けたものもあります。

 閉館間際、6回目と言う青年が来館されました。彼曰く、度々来館するのは「作品を通じて康花と対話すること、そして自分自身を振り返り、見つめる」のだそうです。そして言います。「彼女は死んではいない。生きている。」と。

 松本にお越しの折りには是非お立ち寄り下さい。お待ちしております。

 

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