のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

春浅い中津公園辺り ≪花と新芽と雑草たち≫

2014-03-25 14:24:14 | 日記

 昨日,今日は朝から気温が上がった。

 そこで今朝は超久しぶりに、ラジオ体操に合わせて中津公園に行くことにした。

 

 公園に行く途中の市営住宅のお庭のチューリップが、だいぶ蕾を付けていた。 (前回のチューリップは、地中から芽を出したところだった‥)

      

 

 

 公園でラジオ体操を済ませたあと、花壇に足を向けた。

 花壇では、クリスマスローズがまだ花を開いていた。

 サクラソウは今を盛りと、色とりどりに咲いている。

     

 

 花だけでなく、この時期は草花たちの新芽が鮮やかだ。

 バラが、赤い新芽を伸ばしている。 (バックの淀川の堤防が、だいぶ緑を増している) ≪写真・左≫

 5月始め、ため息が出そうな華やかな花を咲かせてくれる牡丹も、地中から赤い新芽を力強く伸ばしている。 ≪写真・右≫

        

 

 

 よく見るのに、未だに名まえを知らない、鮮やかなピンクの花と、淀川の土手をバックにした、水仙の花。

     

 

 

 上を見上げると、この間まで丸裸だった木々が、ちっちゃな葉っぱの芽ををたくさん出している。(光の加減で、緑が黒っぽく写ってしまった‥。)

 住宅の傍に植えられた木も、カワイイ緑の葉っぱを付けていた。

    

 

 

 この間から花を付けていた早咲きの桜は、まだ衰えを見せていない。

 地上では、雑草が若緑色に萌え、小さな花を咲かせているのもあった。

             

                

 

 

 ピンクと白の沈丁花が未だ花を開き、一方で、コゴメザクラがもう白い花を開き始めている。

 桃か杏かよく分からない木が、ピンクの蕾を付けていた。

    

     

 

 

 最後は、市営住宅のお庭の薔薇の、名残りの花と新芽。

 そして勢いよく繁茂する雑草。

      

          

 

 

 

                

 

    

 


後悔

2014-03-25 12:20:25 | 日記

 2000年に50歳の若さで逝ってしまった‥友人Tさん。

 Tさんが亡くなられた後も、私はしばしばTさんのお宅を訪ねて、遺されたTさんのご両親と、Tさんの想い出を語り合ったりしてきた。

 でも、Tさんの死から3年後に、お父様も、あっけなく亡くなられてしまった。

 遺されたのは、お母様一人だけ。 (息子さんが一人おられるが、別の所に住んでおられる。)

 一人になられたお母様を、私は初めの方こそわりと頻繁に(と言っても年に数回だが)訪ねていた。

 でもここ3,4年は、年に一度、Tさんの命日の日にお参りするだけになってしまった。

   (その日は買っていったお弁当を一緒に食べながら、Tさんやお父様の想い出を語り合った。)

 それでもお母様はとても喜んでくださり、帰り際には「又来てくださいね!」と仰りながら、名残惜しそうにされていた。

 

 去年の命日の日もそうだった。

 私がお参りを済ませたあと、いっしょにお弁当を食べながら、いつものようにお喋り‥。

 お母様はとてもお元気で楽しそうだった。

 帰り際の「又いつでも来てね!」の言葉もいっしょだった。

 

 でも、私はなかなかお母様のもとを訪ねることができないでいた。

 訪ねることができなければせめて電話でも、と思うのだが、それもしないまま新しい年を迎えた。

 それでも今年のお正月には、お母様からの年賀状が、いつものように届いた。

 私はホッとして、今度こそちかいうちに電話だけでもしようと思った。

 

 だけど、実際に電話したのは、2月も終わりになってから。

 そしてその時、受話器の向こうから流れてきた言葉に、私は愕然とした。

 「現在この電話は使われておりません。」

 私はお母様に何かがあったことを、否応なく突きつけられることになった。

 でもお母様の消息について、電話で尋ねられる人は誰もいない。

 お宅に行って、ご近所の方に尋ねるほかない。

 

 そして昨日になって、私はやっとTさんのお家に行った。

 Tさんのお宅は門が固く閉ざされていたが、都合よく、お隣の方が庭先に出ておられた。

 そのお隣の方のお話によると、お母様が倒れられた(亡くなられた)のは、1月10日の寒い日のことだったそうだ。

  (前日まではお元気で、外でおしゃべりもしたと、ご近所の方はおっしゃった。)

 死因は、心臓発作とのこと。

 「苦しまれた様子はなく、安らかなお顔だったよ。」というご近所の方の言葉が、せめてもの救いだった。

 

 私は長い無沙汰を心から後悔した。

 間に、もう一度でもいいから、お伺いしてたらよかった!

 お伺いするのが無理なら、せめて電話だけでも‥。

 でも今となってはどうしようもない。

 私は、お母様があまり苦しまれずに逝かれたこと、そして今頃は、天国で親子三人楽しくお喋りされてるに違いないことを思って、慰めとした。

 

 このお家を訪ねるのも、今日が最後やなあ‥。

 私は、隣家の庭に咲いていたツバキの花を、思い出の一つとするために、写真に撮らせていただいた。

              

        

 

 

 帰りの阪急・武庫之荘駅では、(かつてTさんが自慢されてた)ホーム沿いの桜並木が、だいぶ蕾を膨らませていた。

 もう、お花見用のぼんぼりも立てられている。

 私はTさんとそのご両親のことを思いつつ、シャッターを押した。

       

                  

              

 

 


 

 ≪付記≫  

  阪急中津駅で降りてそれとなく目を前方に向けると、駅近くの建物の傍らに、白木蓮が今を盛りと花を付けているのが目に入った。

 その余りの白さと旺盛な花の姿が、却って私の哀しみを深くした。