お彼岸に、故郷の姉たちがお墓参りをするので、私もそれに合わせて帰郷し、一緒にお墓参りをさせてもらうことにした。
何しろ、我が家のお墓は、昔私たちの祖父が住んでいた山の奥の村にあるので、車でないととても行けない。
元両親の(今は長姉の)家があるところも田舎ではあるが、お墓のあるところは、今では、ポツリポツリと人家がある程度の、本当の過疎の村だ。
秋分の日(22日)の朝、新幹線で新大阪を出発した。
九州新幹線が全線開通してから、新大阪発・鹿児島中央行きの“さくら”が運行されることになって、最近はその列車を利用することが多い。
今回も、8時11分発の“さくら”に乗った。
新幹線の車中では、朝食の駅弁を食べ(これが、珍しく美味しかった!)、溜まったメールを打っていたら、すぐに時間が経ってしまった。
(退屈しないでよかった~!)
新山口で、山口線に乗り換える。
新山口は、昔は“小郡(おごおり)”と言って、私は、その名前の方が趣きがあって好きだが、時代の流れで致し方なし。
それでも、山口線は、レトロな雰囲気を出すためか、今でも駅名などが、旧い字体&右からの横書きで書かれている。
山口線を走る普通列車は、これまたレトロなツートンカラー。
もちろん、わざわざツートンカラーにしたわけではなく、いろんな所から使わなくなった車両を集めてきたら、そうなったという感じ。
でも、それはそれで、ローカル色豊かでいい気もする。
長い待ち合わせ時間のあと、その普通列車で、ふるさと益田に向かった。 (その時間には、特急電車がなかった)
途中の駅で、上に書いたレトロな駅名の看板が目に入ったので、撮っておいた。
各駅停車と言えども、動く列車の中から写真を撮るのはむずかしい。
そんな中、なんとかカメラに収めた、懐かしい「十種峰(とくさがみね」
低い山ながら、ツンと立ち上がっている山容が、わたしは好き。
それに、高校時代に友だちと登った唯一の山であることも、郷愁を誘う。
十種峰を撮ったのなら、「青野山」も撮っておかねば‥。
青野山は、十種峰よりさらに低いが、(観光地として少しは名前が知れている)「津和野」の街の上にポッコリと顔を出す、まあるい、優しい山だ。
津和野を過ぎ、「日原(にちはら)」駅に到着。
日原駅のホームには、こんな看板が‥。 (1度行って、降り注ぐ星を見たいと思いつつ、まだ行けていない)
13時46分に益田駅到着。
駅まで出迎えてくれた姉たちの車に乗せてもらい、そのままお墓参りに。
途中で長姉の家に寄って、彼女も加えて、今回は全部で7人での墓参となった。
お墓は、地元の方にお願いして、定期的に草刈やら掃除やらしてもらっているのできれいだったが、それでも少しは舞い落ちている木の葉を
掃いたり、お墓を水で洗い清めたりしてから、お花を飾って、お参りをした。
お墓の後ろに、姉たちも名前を知らない草(木?)が、葉っぱは落として、実だけをニョキッとつけていた。(写真左)
お墓の傍に植えられているムクゲには、まだ少し花が残っていた。(写真右)
お墓参りを終え、一旦長姉の家に帰って休憩したあと、みんなで「とみ」というお店に夕食を食べに行った。
「とみ」は、新鮮な魚料理が美味しいことはもちろんだが、海(と夕日)が眺められるという、好条件をそなえているお店。
私は料理もさることながら、海に沈む夕日を見るのを、前々から楽しみにしていた。
ところが‥。
前日までの天気予報も好天を予想していたのに、その日は次第に雲が増して、雨さえ降りかねない空模様になってきた。
もちろん、夕日も夕焼けも望むべくもなかった。
これもまあ、致し方なし。
私は、夕暮れていく、モノトーンの海辺の写真を撮ることで、満足することにした。
その夜は、長姉の家で1泊させてもらい、遅くまでいろいろ喋って楽しかった。
明くる日は、お昼を益田のレストランで食べることにして、それまで、庭の花を写真に撮ったりして過ごした。
この日初めて花を1輪開いたノボタン
黄色いランタナは、私には珍しかった。
ムラサキシキブ(紫と白)
曼珠沙華は、赤も白も、まだ咲き始めという感じだった。
益田まで行くために、最寄り駅の“鎌手駅”(今は無人駅で、駅舎もなくなってしまった)のホームに上って、列車を待った。
駅舎がなくなって寂しい限りだけれど、私の目の前には、(高校通学時に私たちを運んでくれた)JR(当時は国鉄)のレールが、昔と同じように伸びて
いる。
このレールの上を、ゴットンゴットンと走っていた蒸気機関車の音が、今でも聞こえるような気がする。
益田で姉と食事し、帰りは、山陰線の特急“まつかぜ”から、伯備線の特急“やくも”に乗り換え、岡山からは新幹線というルートをとることにした。
山陰線では、日本海の風景を存分に楽しみ、写真に撮ろうと思っていたが、特急はやはり、速い!
なかなか写真など撮れるものではない!
かろうじて撮れた、(私が通学時にいつも見ていた)海辺の写真を‥2枚。
出雲平野と宍道湖
米子で、伯備線の「やくも」に乗り換えて、岡山まで。
私は当初、伯備線では、山間の渓流の景色を眺めるのを楽しみにしていたが、「やくも」に乗り込むと同時に、それまでの疲れがドッと出てきて、それ
どころではなくなった。
それに天候もイマイチ。
私はグッタリと席に身を沈め、ただただ時間の経つのを待った。
新幹線に乗り換えてから、シンドサは少しはマシになったが、家に帰り着くのが、本当に待ち遠しかった。
やっと着いた我が家のベランダから見上げた空には、美しい半月が懸かっていた。
疲れもしたが、一年に一度のお墓参りが無事終えられて、今はホッとしている。