野田さゆりのつぶやき日記

日々の暮らしの中で思うこと

大島青松園コンサート(2) ハンセン病のことを中心に

2017-08-29 00:59:09 | おでかけアラカルト

コンサートの前に 「大島案内ひきうけ会社」による大島ツァーです。
               

ひきうけ会社社員(?)は、島内の学校 庵治第二小学校を卒業した中高生と社会人になった吉田昂生さん。
吉田昂生さんは『ETV特集 僕は忘れない~瀬戸内ハンセン病療養所の島~』で取り上げられています。

では、はじまりはじまり。


これは盲導鈴。視覚障がいの方が困らないように音楽をならして場所を知らせています。


盲導柵 これは杖で叩いて道路の端を知らせる物。


このラインは、車のセンターラインではなく、視覚がかすかな方でも白線は見やすいので
道路を示しています。


納骨堂 2000人以上の方のお骨が入っています。






いろいろな宗教の建物があります。


キリスト教霊交会の建物です。


小さなきれいな教会です。101年礼拝が守られていました。
教会員は4人。高齢となり礼拝を続けられなくなり、一旦お休みとなりましたが、
沢知恵さんが月に1度一緒に礼拝を守れるようになり、再開しています。
たまにしか開かない礼拝堂で空気がよどんでいたのかもしれませんが、
入った瞬間に、何とも不思議な思い、不思議な雰囲気を感じました。
差別されること、人としての尊厳を軽く扱われることへの怒り、悲しみ・・・そういったうめきのような重~い何かと、
それを見守る天使のようなもの。
言葉で言い表せません。
知恵さんは亡くなった方たちが、いつも一緒に礼拝を守っていてくれると言われてましたが、
私が感じたのはそういったことなのかもしれません。


教壇と椅子席の間に段差があります。
この段差は決して超えてはならないもの。
収容者は上の段に上がってはいけなくて、
牧師は高くなったスペースに出入り口があり、収容者と同じスペースには下りなかったそうです。
教会ですら、しっかり差別・区別のラインがありました。


風の舞です。この島で生涯を終えた人々の魂が風に乗って解き放たれることを願って
「風の舞」と名付けられました。
入所者自治会、職員、ボランティアをはじめ、数多くの人々の協力のもと、石積みされ、完成したものです。
とんがったものが天上、プリン型のものが天下。


これが円坐。
良く聞き取れなかったので間違えていたらごめんなさい。


プリン型のモニュメントの中に深い穴があって、納骨された骨の残りは、ここに入れられます。


全国にあるハンセン病施設です。

収容者の方、知恵さん、ボランティアの皆さんのお話を聞きましたが、
そもそもハンセン病の歴史を私自身が分かっていなかったので、少しまとめてみました。
いろいろなホームページとコンサートで戴いた資料を使いました。
           

お話の中で心に残っていることを
〇80過ぎの入所者 最初の頃は24畳の部屋に17人が住んでいた。(記憶がいい加減です。(^^;))
 病人が出ると医者が来る。物々しい防護服に大きなマスク、長靴を履いて居室に土足で上がってくる。
 いくらなんでもそれは・・・と新聞紙を敷いてそこを歩いてもらうようにした。
〇らい予防法が無くなり、島外の病院で治療を受けられるようになり、うれしかった。
〇第1回コンサートは、古い大島会館で開催された。入所者とそれ以外の人は1階と2階に別れて聞いた。
〇結婚する人のお祝いは、たばこ2本とふかし饅頭。

つづく

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コメント
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