子どもの時からピアノの練習し、音楽高校、音楽大学へ。
ところが・・・・卒業した途端に方向転換。
考えて見れば親の期待を裏切った(?)私です。(^_^;)
<石けん>
私は福井市で生まれ、5歳で滋賀県大津市へ。
琵琶湖と比叡山に挟まれ、のどかで風光明媚な地で育ちました。
近江神宮、三井寺、坂本、石山寺など有名な史跡がたくさんあるところです。
水源は琵琶湖です。
6月頃になると水道水からカビ臭がしました。
武村さん(さきがけ)が知事の時に、「富栄養化条例」が作られ、
お店から合成洗剤(有隣)が無くなりました。
合成洗剤を持って行くと石けんに交換してくれました。
その後、無リンの合成洗剤が作られ、合成洗剤が復活しましたが・・・。
環境問題に関心をもったきっかけです。
<障がい福祉>
小学生の頃に、
止揚学園の福井達雨さんのお話を聞きました。
学生の頃にアルバイトで、びわこ学園へ。
筋ジストロフィの子どもさんと遊ぶイベントでボランティア。
そんな経験から障がい児と関わる仕事に興味を持ちました。
大学3・4回生の時に、通信教育で保母資格を取得。
新設された愛隣館(保育園と障がい児通園施設の併設園)に就職。
0歳児、2歳児、4歳児統合クラスを担当。
子どもたちとの時間はとても楽しくて、スタッフにも恵まれ、
バラ色の3年間。
<無関心でいることは罪>
これまた小学校高学年の頃に、筑豊にある福吉伝道所 犬飼光博牧師(今は引退)のお話を聞きました。
貧困や在日韓国・朝鮮人差別、カネミ油症問題に取り組んできた方です。
私はカネミ油症のことを聞いて、強く衝撃を受けました。
「知らないことは罪、無関心でいることは罪」という言葉が
ずっと心に残っています。
私は力のないもので、何も出来ないけれど、
無関心であってはならないと肝に銘じています。
とてもとても難しいことですが。
<生活クラブ生協>
結婚してすぐに、お隣の方から誘われて展示説明会へ。
練馬区議になられた片野さんが対応して下さり、
生活クラブ消費材の優位性を分かりやすく説明、その場で加入。
それ以来、ずっと組合員。
所沢で支部委員。
鳩山に転居して2年目で支部委員長。
生活クラブ生協埼玉の監事も経験しました。
仲間に恵まれて、食のこと、環境のこと、せっけんのこと、ごみのことなどたくさん学びました。
消費材を買うだけでなく、消費者としての学びもできたことは幸いです。
今でこそ分別回収が為されていますが、それまでは先駆け的に
組合員が拠点に集めて分別していました。
私も何度か、缶・ビン(透明・茶色・その他)を分けに行きました。
行政の取り組みの前に、地道な市民の活動があることを知りました。
<学校給食の食器>
子どもが小学2年生の頃、食器がアルマイトからプラスチックに代わるという
情報がありました。
所沢の「学校給食を考える会」の取り組みを知っていましたから
プラスチックは???でした。
早速、いろいろ情報を集め、たくさんのお母さんたちと共に反対しました。
ポリカーボネートという当時は、ほ乳瓶にも使われている安全なプラスチック
ということでしたが、東京電機大学の先生が溶出実験(?)をして下さり、
何かが出たようで、導入を止めることになりました。
その代わりとして強化磁器のご飯茶碗が購入されました。
その後数年で、ポリカーボネートは環境ホルモンが溶出する
危険な食器であることが判明しました。
お母さんの第6感が大当たり。
思ったことは黙っていないで、動かないとダメだと学びました。
<ゴルフ場との協定問題>
引っ越してきた年に、鳩山ニュータウン自治会と石坂ゴルフとの環境保全協定が締結されました。
したがって締結までの詳細な経緯は知りません。
協定の内容は、画期的なもので、
環境庁や大学からも視察にこられたと聞いています。
ところが私が自治会役員をしている頃からゴルフ場の協定不履行が始まり、
私も「農薬散布差し止め請求」の原告になりました。
当時の自治会長が独断で「協定破棄」を宣言してしまいました。
そして実行され、今に続きます。
会則に則ってのきちんとした手続きなしに、独断的にすすめられたことは、
民主主義の破壊です。
ゴルフ場は条例によりゴルフ場排水口農薬検査を実施していますが、
町も住民の思いに応えて、検査を実施しています。
<地域コミュニティ>
協定問題について、地域の中で分断がおきました。
時間がかかっても、手続きに則って物事は決めていかなければなりません。
考え方や意見が違う人がいるから、深みのある地域コミュニティができあがります。
どんな人をも受けとめられる緩やかで柔らかなコミュニティを作っていきたいものです。
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