東京新聞の昨日の記事、柏木哲夫さんの「死生観を見つめて」に考えさせられました。
柏木先生は今は金城学院大学長ですが、淀川キリスト教病院で長くホスピスをされていました。
人は生きてきたように死んでいく。
臨終の場にその人の生き様が凝縮する。
家族との関係も凝縮して表れる・・・とありました。
17歳のサッカー少年の死に母親の嘆きのことば「もったいない」
72歳の1代で会社を立ち上げ、富と名誉を手に入れたかたの「死にとうない」
「行ってくるね」「行ってらっしゃい」娘さんと交わした主婦
3つの印象的な最期の言葉が紹介されていました。
しっかり生きて・・・いつ訪れるか分からないけれど、しっかり最期の時を迎えたいと心から思います。
昨年は何人か、私の友人やそのおつれあいが亡くなられました。
昨夜、ネットサーフィンをしていたら、そのうちのお一人の福岡の教会で兄貴的存在だった方の名前に出会いました。
建築設計士として活躍されていたのに若すぎる死でした。
彼が設計した数々の教会、大学、幼稚園にネット上で出会うことができました。
まだまだお仕事をされたかったでしょうが・・・すばらしい建築物を残してくださったことに感動~です。
残されたおつれあいや子どもたちは、とりわけ寂しいことでしょうが、そこに行けば“彼の思い”が形として残っていて、出会うことができるのは何よりの慰めとなることでしょう。
いつか母と一緒に・・・見に行きたいと思います。
柏木先生は今は金城学院大学長ですが、淀川キリスト教病院で長くホスピスをされていました。
人は生きてきたように死んでいく。
臨終の場にその人の生き様が凝縮する。
家族との関係も凝縮して表れる・・・とありました。
17歳のサッカー少年の死に母親の嘆きのことば「もったいない」
72歳の1代で会社を立ち上げ、富と名誉を手に入れたかたの「死にとうない」
「行ってくるね」「行ってらっしゃい」娘さんと交わした主婦
3つの印象的な最期の言葉が紹介されていました。
しっかり生きて・・・いつ訪れるか分からないけれど、しっかり最期の時を迎えたいと心から思います。
昨年は何人か、私の友人やそのおつれあいが亡くなられました。
昨夜、ネットサーフィンをしていたら、そのうちのお一人の福岡の教会で兄貴的存在だった方の名前に出会いました。
建築設計士として活躍されていたのに若すぎる死でした。
彼が設計した数々の教会、大学、幼稚園にネット上で出会うことができました。
まだまだお仕事をされたかったでしょうが・・・すばらしい建築物を残してくださったことに感動~です。
残されたおつれあいや子どもたちは、とりわけ寂しいことでしょうが、そこに行けば“彼の思い”が形として残っていて、出会うことができるのは何よりの慰めとなることでしょう。
いつか母と一緒に・・・見に行きたいと思います。