靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

子育てノート、手伝い過ぎず、無理させ過ぎず

2013-06-02 09:59:39 | 子育てノート
手伝い過ぎず、無理させ過ぎず 

子供が転んだとしても、様子を見て自分で立ち上がることができそうなら、自分で立ち上がらせます。持っている物を落としたのなら、すぐに取ってやるのではなく、できるようならば自分でとらせます。その際、「自分でしなさい」と言うより、「自分で立ち上がれるんだね、すごいね」「あら、自分で拾えちゃうのねえ」と、自分ですることを励ますような言い方をします。または危ない状況でないと確認できたのならば、わざと見ないふりをするという手もあります。子供は主体的にあれやこれやと工夫し思い通りにしようとする時に、大きな力をつけます。

子供は親が思う以上に、様々なことができるものです。また日々成長もしています。先週できなかったことが、今週できるようになっていて驚いたという経験は、子供達と接していると、よくあることです。それでもついつい、昨日と先週と一ヶ月前と三ヶ月前と、全く同じ状態であるように子供達を扱ってしまうことがあります。親も「この子にできるリスト」を日々アップデートしていく必要があります。「これは本当にこの子にできないのだろうか?」 そう改めて吟味してみると、ぞくぞくと新たにできることが加わるものです。

弁当箱を流し台に置く、弁当箱を洗う、車のドアを開ける、シートベルトを締める、ジャムの蓋を開ける、お菓子の包み紙を開ける、ドアの鍵を閉める、電気のスイッチをつける、洗濯物を畳む、みかんを剥く、皿洗いをする、皿を戸棚にしまう、など、実はできるけれど、ついつい手を貸していることというのは、随分とあるものだと気がつきます。

また大人一人でした方が、ぱっと早くできてしまうからとついつい自分でしてしまうということもあります。それでも「いずれ一人でできるようになるための訓練なのだから」と割り切って、時間を調整しつつ、普段から、なるべくできることは子供達にしてもらうよう心がけていきます。


こちら米国の子供達は、驚くほど大人びてしっかりしているなと思うことがあります。中学生にもなれば、もう大人と見分けがつかない程ですが、三歳児や四歳児でも、日本で言う「おませ」というか、まるで周りの大人と対等かのように振舞う子供達も多いのです。こちらで子育てをする内に、それは周りの大人達の、子供への接し方が大きく関わっているのだなと思うようになりました。

日本を含めアジアのお母さんを見ていると、子供達のすることを、本当に手取り足取りよく手伝います、話し方も子供向けの言葉を用い、かなり大きくなっても子ども扱いするようなところがあります。一方、こちらのお母さんたちは、朝もたもたしていたら助けるよりは、そのまま遅刻させ、もたもたしているとどうなるかを体験させる、忘れ物をしたならばすぐに届けることをせず、ないといかに困るかという体験をさせる、そうより突き放した育て方をしているように感じます。また話し方も、小さな子へ用いる特別な言葉遣いなどは早く卒業し、筋道を立て論理的に、大人に接するような話し方をします。

例えばバレエ教室や水泳教室での様子です。三歳四歳児でごったがえす更衣室。日本やアジアのお母さんたちは、頭を拭いてやり、身体中きれいに乾かし、逃げ回る子を追いかけパンツをはかせ、レオタードやタオルや水着をきれいにたたんで鞄にしまってやり。その隣で、こちらのお母さん達は、更衣室の扉をあけ、「できた? そう、まだなのね、じゃあ、あと五分ね」そう言ってバタンと扉を閉める。遊んでいた子供達は、はっとした顔でいそいそと着ているものを脱ぎ、髪を乾かし、シャツを着込み、レオタードや水着を鞄に入れ更衣室から急いで出て行きます。

 ところがよく観察していると、手伝い過ぎ、ほったらかし過ぎと、日本と米国とで両極端に広がりが見られる中、日本でも米国でも、その中間あたりを進んでいる親御さん方がいるのに気が付きます。彼女彼等は、子供の様子を細かく的確に読み取り、決して手伝い過ぎず、かといって無理させ過ぎず、その都度その場合に応じて、その子にぴったりのペースで、その子にぴったりの高さのハードルを置いていくのです。

 更衣室では、全てを手伝うのではなく、シャツは自分でできるけれど、湿った足にタイツを履くのはまだ難しいので手伝ってやる。手伝いながらも、よく足を乾かしておくと履きやすいわよ、タイツはこうやって持つと履きやすい、そんなヒントも散りばめ、いずれ自分で履けるよう導いていく。そして疲れていたりお腹がすいていたりと機嫌の悪いときは、臨機応変に「今日は一緒にしようか」と手伝ってやる。学校への忘れ物も、本当に大切な物や、無いことで周りに迷惑がかかりそうな場合は、結果を体験させるよりも、届けに駆けつける。

その時その場の文脈によって、手伝ったり、自分でさせたりと、うまく使い分けているのです。手伝わない手伝うといったことに画一的にとらわれることなく、その時のその子にあったハードルを、タイミングよくおいていく、そうして育てられた子供達は、してもらうのを待っているだけでもなく、大人ぶった様子でもなく、目の前の物事や課題へと、より意欲的主体的に取り組むようになるのじゃないか、そう感じています。


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