靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

ある「自身」との出会い

2011-03-10 11:53:34 | 私史
内には様々な「自身」がいて、その様々な「自身」が話し合うことで「私」の道ができていく。

内には長老のような人もおれば、宇宙人のような人もおり、キャピキャピとした者もいれば、常に冷静な者もいる、いつも疑っている者もおれば、夢ばかりみている人も、そして幼い子供もいる。

「自身」間での議論を続けても、「私」のみえない「外側」は常にある。「私」以外の「他者」と交流し、「外側」を指摘されることにより、大きな気づきがもたらされる、そして気づきがもたらされるたび、「自身」達はどよめき、また議論を始めるのだ。


「私」は「他者」に分裂症寸前といわれたことがあった。「私」にとって大きな気づき。(笑) 精神が安定できたのは、議論に参加することはないけれど、いつも静かに眺めている「自身」に出会ったからだと思う。


とここでまた会話が始まる。

自身B: その「議論に参加することはないけれど、いつも静かに眺めている自身」こそ「自神」であり、宇宙だ。

自身A: はあ。確かにこの「自身」の眼差しにはどんな問題も溶けていくような感じではあるけれど。その「自身」でいると、温かくて一瞬にして癒されて、その「自身」は何も言わないのだけれど。

自身B: どんな人の内にも「自神」がいる。

自身A: ほお。


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4 コメント

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Unknown (Kazumi)
2011-03-11 00:41:50
なるほど。。。いつも静かに眺めてる「自身」って言うのは、ネクラな自分とか気弱な自分とかも暖かく受け止めてくれるのかな?自分はこうであるべき!という理想からずれた自分が現れた時、悩んだり嫌な気持ちになったりするんだけど、そういうのも「自分」の一部なんだって軽く受け止められたら楽になるよね。
「自神」って常に居るけど気づきにくいものなのか、自分で作り上げていくものなのか。。。
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Unknown (ヨーキ)
2011-03-11 08:55:15
人間は神を形どって創られた。とも云われているから「自神」は自分自身で気づかなくても永遠に『内に』存在しているのでしょう。ごちゃごちゃ考えないで信じるだけ。すっきりするよ。
いろいろ会話して自分と遊ぶのも楽しいしい、気づきもあるよね。
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Kazumiさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-03-12 01:46:59
一人一人の内にダイバーシティー。(笑) 自身のマイノリティを受け入れられるならば、外に向かっても違う態度がとられるのかもしれない、なんてことを考えたりもします。

私の内にもだめな自身、たくさんいます。

自身が多様であることにより、大きな力が生まれるのだと思います。その力は自身の構造自体を壊しかねないのだけれど、私は「何も話さず、いつも静かに眺めている自身」の「温もり」によって、安定できました。

自分で作り上げたものなのかもしれませんね。その「自身」は、何の話し合いにも介入しない、「温もり」だけです。この「温もり」が癒しをもたらしてくれるんです。

ありがとうね。
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ヨーキさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-03-12 01:50:42
>「自神」は自分自身で気づかなくても永遠に『内に』存在しているのでしょう。
そうなのかもしれません。

「ごちゃごちゃ考えないで信じるだけ」こういう「自身」もいます。だからバランスがとれていくのでしょうね。

内で会話していくことで、気づきはありますね。楽しんでいきますね。感謝。
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