靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

小学五年のあの朝

2011-04-08 23:59:33 | 私史
あの、小学五年生だったあの朝、先生が教室に入って来、皆が立ち上がり、私は大きな声で「おはようございます」と言う当番だった。

私は人前で話すということは得意な方で、率先して自分から前に出て何かをするような子だった、あの朝までは。


あの朝、声が出なかった。ようやく絞り出した声は、震え上ずっていた。

あの朝から、何かが変わった。それまで気がつかなかった何かを意識するようになった。

誰かに何かをされたわけでもなく、何かこれという確固とした理由があるわけでもなく、あの朝の教室での瞬間からふっと始まった。

あの瞬間まで、私は完全にみえる世界にいた。その完璧にみえる世界が崩れるかもしれないという「恐れ(fear)」。私はそんな「恐れ」を初めて「意識する」ようになったのだと思う。


この「恐れ」は自分の内の色々な面に伝播し、ジワジワと広がっていった。この「恐れ」が顔を出すと、私はしどろもどろになり、強張った身体の表面を冷や汗が覆い始める。真夜中、突然この「恐れ」に覆われ、パジャマのまま庭を歩き回った。この「恐れ」が7年前私の精神の奥を蝕み、廃人寸前にした。

7年間紆余曲折しながら何とかこの「恐れ」と向き合い、そして3年前に自分にとっての大きな体験をした。それでも時々また「恐れ」が顔を出してきた、7年前とはくらべようのないほどマイルドなものだけれど。


ここ一週間ほどのこと、あの「恐れ」がほとんど消えているのに気がついた。あの五年生の朝以来初めてのような状態。乖離していた「自分」がひとつになったような恍惚感。ひたすら「内観」することが、私にとって大きな助けとなってきたように思う。


ただアップダウンのアップ状態といえるのかもしれないけれど、(笑) 静かで穏やかな状態でいられることに感謝。


最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (テッサー)
2011-04-09 10:54:22
そんなことがあったんだね。
パニック障害みたいな感じだったのかなぁ?
私が「閉所」に置かれた状況と似てるような気がしたから。「内観」で改善したんだね。
私もヴィパッサナー続けるわ。

引越しや長男の入学で久しぶりにマチカちゃんのブログみたよ。
最近忙しかったし、学校のスタートもあって息子のアラが目についてイライラ・・したりしてたから、気づく良い機会になったよ。アタマではわかってても、なかなか彼の良さを認めてあげられなかったり、足らないところが気になったりしてね。気をつけるよ。ありがとう。
返信する
Unknown (鰈。)
2011-04-09 18:53:10

「恐れ」は「畏れ」と対極にありながら
漠然とした恐怖を覚える様は後者で
在るように感じる。

人は誰しも畏怖の念が心の奥底に潜んでいて
それは対自然であり人であり社会であり
果ては自分に対しても存在し続ける物で
在ると思う。

「それ」と対峙し、且つ克服出来た時に
人間は本当の強さと優しさを得る事が
できるんだろう。

マチカさんの様な強さを得れたらなあ。

返信する
テッサーさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-04-10 11:05:03
振り返ってみるとあの日を始まりとして繋がっていてね。症状的には不安神経症みたいなのかな、急性のものをパニック障害というんだね。7年前をピークとして本当に落ち着いたよ。閉所恐怖症も不安神経症の一種だよね。発作、本当にきついよね。

一人一人症状も違うだろうし、何がいいというのも違うのだろうけれど、私自身が良かったなあと思うのはやっぱり日々の「内観」です。

発作の「恐れ」は日々の生活での小さく見える「恐れの芽」みたいなものが溜まって爆発している状態に感じるの。だから発作に「対処」するのももちろん大事なのだけれど、日々の「恐れの芽」に地道に向き合っていくことが一番有効のように感じるよ。

「内観」をしていると「恐れの芽」を察知できるようになるから、その「恐れの芽」をとにかく観ていく。そして受け入れる、恐れている自身を受け入れていくということなのだと思う、恐れてもいいんだと。すると恐れそのものがなくなっていく。

あと「内観」をしていくと、「原因と結果」の関係が少しずつみえてきて、どういった考え方が自身に「恐れ」を生み出すのか分かるようになってくるから、「恐れ」を生み出す思考をまずは組み立てない、普段から言葉をうまく整理して使っていくということがいいように感じてる。私にとっては書くということが本当に大きな助けとなっていて、ブログや小説や、常にノートを持ち歩いて内に流れる言葉をメモしています。

あと、恐れている自身を受け入れて「恐れ」を溶かしていくことが少しずつできるようになってきたら、自身の「恐れ」のパターンをみて、今まで「恐れ」を生み出していたような状況をわざと再現して自身を慣れさせていく、免疫療法みたいだね。そこからもっと最悪な状況をシュミレーションしてその状況で「恐れ」を溶かす練習して自身を鍛えてみたり。自身の状態をみながら、無理せず。

そんなことを繰り返すうちに、「恐れ」が消えていったのだと思う。「恐れ」に対処できるように鍛えつつ、「恐れ」そのものを生み出す因を作らないようにしていくということなのだろうね。

閉所でのパニック症状、落ち着いていくといいね。自身にあった治療法が必ず見つかるはず。私も「内観」を続けていきます。

引越しお疲れ様! 私も子育てを通して日々気づかされるよ。「頭で分かってても」、本当だよね、前で動き回って常に何かやらかしてくれるのが相手だからね、私もフレキシブルにいきたいです。テッサーさんの報告も楽しみにしてるね。ありがとう。
返信する
Unknown (テッサー)
2011-04-10 11:07:07
マチカちゃん、ありがとうね。
「恐れ」を受け入れ、「恐れ」てもいいじゃないか、と思い、自分が何を恐れているのかみつめてみると、実際には生じていない「これから恐れが生じるであろう状態」を恐れていると気づいたの。まだ何も恐れるべき状態ではないのに、もしここにずっと閉じ込められたら・・とか、トイレに行きたくなったのにいけなくなったら・・など、その時点では生じていない状態を予期して不安になってたんだよね。
で、トイレいけなかったらもらしてもいいじゃん、ずっと閉じ込められても瞑想できるからいいじゃんって思ったら少し楽になったけど、やっぱり子どもが一緒だったら余計に「守らなければ」という意識が働いて苦しくなっちゃうんだよ・・。

私はまだまだ「慣れさせる」状態にはないけど、一番ひどかったときより、同じ状況におかれても大丈夫なことが増えてきた。
たぶん、一番高いハードルは観覧車。
でも、これも普段乗るものじゃないし、あえてチャレンジはしないつもり・・。

東京へ行ったら「混んでる電車」というハードルがあるけど、まあなんとかなるかな。

暖かく見守っていてください(笑)
返信する
鰈。さんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-04-10 23:48:27
あの朝、鰈君も同じ校舎の違う教室にいて、「おはようございます」とお辞儀しながら言っていたんだろうね。 懐かしいよ。

「漠然とした恐怖を覚える様」が「畏れ」、なるほどだね。そういう定義だと確かに私が感じていたのは「畏れ」だったのかもしれない。

鰈君の言葉に私も「恐れ」と「畏れ」について考えてみました。「恐れ」は個人の枠組みの中でがんじがらめになった状態での感覚、「畏れ」は個人の枠組みを越えた普遍的なものに触れ湧き上がる感覚、前者は人を蝕むけれど、後者は人を謙虚にし、前者は向き合うことで溶けていくけれど、後者は向き合い見つめる目と重なっていく、というように感じるよ。

「恐れ」も「畏れ」も鰈君の言うように「心の奥底に潜んでいる」ものなのかもしれないね。対するものを様々にして。

とにかく受け入れていく、「恐れ」を「恐れている自身」を。戦って退けるのでなく、ひたすら観て受け入れる。結局は恐れたって恐れなくたってどっちだっていいじゃないか、というようなところに立つことが「克服」なのかもしれない。その過程で確かに随分と鍛えられ強くもなり、自身の限界ぎりぎりにみえる辛さを体験することで周りの痛みへの共感も育まれるのかもしれません。

私は確かに昔に比べたらかなり強くはなったけれど、かなりへなちょこですよ。まだまだこれからも恐れは生まれるだろうし。ただ恐れを恐れるということを随分としなくなったということなのかな。やっとスタート地点に立てたという気持ちでいます。いつもありがとうね。
返信する
テッサーさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-04-11 01:17:32
そうなんだよね、発作のときって頭で分かってたってもうどうにもならなくて。色々と頭で準備していたことがボロボロと崩れていく様子覚えています。

だからこそ発作のないときが重要なのだと感じてました。そして発作のないときを改善していくことで発作もおさまっていく。

一昨日、うつ病が治ったという友人と話していて、認知療法(cognitive therapy)が良かったというのを聞いてね。内容はひたすら「内観」して自身の思考、感情をとらえ、思考を変えていく、というものでね。ああ私はこれに似たようなことをしていたのだと驚いたよ。テッサーさんのしているヴィパッサナー瞑想も似たところがあるよね。テッサーさんの送ってくれたヴィパッサナー瞑想の本、今その友人が興味をもって読んでます。

観覧車なんて乗らなくていいし。無理せず焦らず調子をみながらゆっくりいこうね。

私もまだまだこれからです。ありがとう。
返信する

コメントを投稿