超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

紫の上の問題

2014-11-11 06:07:34 | Weblog
何故、紫の上は光源氏と別れなかったか。

     *
魂は、時間を越えた存在である。
光源氏の浮気に、布団の中で、泣き叫んでいた。
これが現実的対応である。

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だが紫の上は、光源氏の中にある一寸の魂に共振していた。

魂は、始まりも終わりも無い時間に存在する。

光源氏は時空間の存在である。

       *
即ち、脱時間の存在と時空間の存在の関係で、
両者は不確定性原理の問題である。

両者は交わることがない。

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両者が、人間として関係するとどうなるか。
現実では、両者は傷つけ合う関係である。

だが魂はこれを超えている。

        *
魂には、現実の喜怒哀楽に関係が無い。
身体と精神の関係では、魂はこれを超えている。

その関係を書いた源氏物語である。

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光源氏にさらわれ、強姦されても、これは魂には関係が無い。
これが権力と魂の不確定性原理である。

現実にいじめられて、殺される人がいる。
魂を生きれば、現実を超える。

それが紫の上の問題である。
証明終わり。

女と男

2014-11-11 05:24:50 | Weblog
東洋は、善と悪が交わる非ユークリッド空間である。

西洋は、善悪が交わらないユークリッド空間である。
だから女性の修道院もあり、神に仕える。

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善悪が交われば、男女の出発点がどうなるか。

女は、嘘や妄想の大地に心を蒔き、魂を収穫することもできる。
男は、嫉妬と憎悪の大地に、心を蒔き、魂を開花し結実することもできる。

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西洋では、愛と制裁の世界に、愛を主張する。
愛が無ければ、制裁する。
愛憎並存である。

西洋は、愛と制裁の断層を作り、愛と制裁に亀裂を作る。
即ち、愛と制裁は、統合失調症を演技する。

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西洋と東洋で、男女の出発点が違う。

東洋では、男尊女卑となり、
西洋は、レディ・ファーストとなる。

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東洋では、女は性奴隷になる場合が多い。
これが慰安婦問題ではないか。

中世期では、西洋でも女は性奴隷であった。

       *
東洋では、男は体制の奴隷・家畜・乞食である。
人は体制の奴隷・家畜・乞食=棄民である。

その中で国民は誰もが奴隷である。

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西洋でも、国民奴隷を解放したのは、最近の事である。
ここに人権を設定した。

だが東洋には、人権は無い。
これが善悪の非ユークリッ性である。
ここでは人権を設定しようがない。

       *
だが人権も、ゲーデルの不完全性定理で成立しない。
それは蜃気楼でしかない。

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東洋には、蜃気楼も存在しない。

蜃気楼が存在する西洋である。
東洋にはそれも無い。

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西洋は、レディ・ファーストで、蜃気楼で実存させた。
これが性奴隷問題の実相ではないか。

東洋は正直のままである。

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西洋はレディー・ファーストで、男女に断層を作り、男女に亀裂を作った。
かくして誰もが、男女を演技する。

これは男女のユークリッド性である。
これは偽善や欺瞞でしかあるまい。

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東洋は、奴隷制を保った。
女が性奴隷であり、男は国家の奴隷=棄民である。

即ち、権力は悪である。
証明終わり。