鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<760> 親父と二人で旅行した話(夢十夜の三)

2021-06-07 19:38:33 | 短編小説

 こんな夢を見た。短い夢だ。

 親父と二人で知らない町を歩いている。古い町並みでどこかの田舎町のようだ。山の中の駅の近くにいるらしい。夕方なのか影が長く伸びている。
 どうやら親父の旧知の宿があるようで、そこに泊まることになっているらしかった。夢の中ではいつもそうだが、親父は60歳前後で私は現在の年齢。ほとんど年の変わらない親子で出かけている。往々にして親父やお袋が出てくる夢では田舎町にいる場合がほとんどだ。
 親父がまだ生きていた頃には、二人で出かけることなとほとんどなかった。男二人だと話すことも少なかったし世間の父親と息子もそんなものだろう。

 駅にほど近いその場所は、土塀の家がどこまでも続いている。その中の一軒、まるで民家のようなその宿の引き戸を開けて中にはいる。宿の人間に向かって親父が声をかけている。話の内容は聞き取れないが、昔の話をしているようだ。振り返った親父は私に向かって少し待っているように言う。私は言われるまましばらく宿の玄関で待っているがいくら経っても親父は戻ってこない。そればかりか宿の中はしんとして、遠くの寺の鐘が聞こえるばかりだ。
 日がいよいよ傾いてくる。
 私はしびれを切らし、宿に上がり込む。奥を覗くが親父も宿の人間もいない。この宿の飼い猫だろうか、猫が2匹のんびりと縁側で寝ているばかりである。

 そこで目が覚めた。

 

 この話には前段がある。夢を見る少し前に親父が死ぬ直前まで腕にはめていた時計を着けてバイクで出かけている。安い電波ソーラーのその時計は、当然ではあるが親父が死んだ時に止まるでもなく、今でも健気に時を刻んでいる。
 普段は時計をしない主義なのだが、バイクの運転中にスマホをいじりたくないので、腕時計をして出かけるようにしたのだ。親父の時計と少しの間過ごしたのでこんな夢を見たのだろう。


<了>

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