鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<779> ティーポットに襲われる話

2022-08-12 18:47:47 | 短編小説

 ある夜の事。

 駅からの帰り道、坂道の上のほうから何やらゴロゴロと大きな音をたてて転がってくるものがある。

 駅から家までは、途中にある公園をぐるりと半周しなければならない。公園をはさんで反対側にあるのだ。私はその公園をぐねぐねと貫く小道を通って行き来している。公園の外側をを回るより若干時間がかからないで済む。
 その公園はいかにも公園らしく、こじんまりとしていながらも、小高い丘をその敷地内に有している。丘の上には電灯が一つあり、帰りにその電灯が灯っているのを見ると、不思議とホッとする。冬でもホット。夏でもホット。
 その丘を登って降りる、ただそれだけの事だがそれは帰宅途中の私のささやかなルーティーンなのだ。

 いま、その丘に差し掛かるゆるやかな坂道の上から何やら巨大な物体が唐突に転がり落ちてきた。
 電灯に照らされたそれが大きなティーポットであるのに気づくのにそれほど時間はかからなかった。突き出した注ぎ口と取っ手を見ればすぐ分かる。誰でもわかる。君にもわかる。紅茶文化の無い人でもそれなりに「何か液体を注ぐ容器だ」という事くらいわかる。取っ手が無くても分かる。取っ手があるからわかるわけではないが取ってつけたような話はどうでもよい。そもそも何の話だか分からなくなった。

 「なんだなんだ。」私はあわてて振り返ると今来た道を戻る。こんなところでティーポットの下敷きになるわけにはいかない。ローンも残っているし、夕飯もまだ食べていない。妻が用意してくれた夕飯を食べないと、妻に大目玉を食らうのだ。せめておかずだけでも箸をつけねば。
 そんな呑気な事が頭をよぎる。まずは逃げるのみ。しかし50過ぎの運動不足の身体ではそれほど早く走れるわけもなく、あっというまにすぐ背後にティーポットの存在を感じる。私は何を思ったか鞄の中を手探りで探し出した。冷静に考えればそんな事をしても意味がないのは分かりそうなものだが、とにかく慌てた私は鞄の中に手を突っ込んだのだ。手が何かを掴む。
 引っ張り出すとそれはティーポットだった。なぜ通勤カバンの中にティーポットが。それはさておき私は振り向きざまそのティーポットを背後の巨大なティーポットに投げつける。

 やみくもに投げられたそのティーポットは瀬戸物特有のガチャンというくすんだ音とともに砕け散った。もしかして相手も瀬戸物だから一緒に砕け散ってくれれば、と思った私の願いは砕け散った。しかし。気のせいか巨大なティーポットの転がるスピードがやや鈍ったような気がする。

 程なく公園の外にでる。それでも背後のティーポットは追いかけてくる。まるで意志をもっているかのように。私は再び鞄の中をまさぐる。さすがに通勤カバンのなかにティーポットを複数仕込んで会社に行くやつはいないだろう。しかしアニハカランヤ、もう一つティーポットが出てきたよ。ポケットを叩くともう一つくらい出てくるかも。そんな不思議なティーポットが欲しい。いや欲しいのはポケットのほうだ。どうやら私は「通勤カバンのなかにティーポットを複数仕込んで会社に行くやつ」らしい。
 とりあえずそのティーポットを投げつける。鞄から出てきたティーポットは先ほどと同じようにガチャンと音を立てて、巨大な再びティーポットのスピードを緩めてくれた。

 私は走りながら、訳も分からないうちに鞄を叩いてみた。もう一つティーポットが出てくるように!
 私の期待を裏切り、鞄の内部で瀬戸物の割れる音がする。手を突っ込むと元ティーポットであったろう瀬戸物のかけらが出てきた。私はチャンスを自ら潰してしまったのだ。私の期待は粉々に砕け散った。いや砕けたのはティーポットの方だ。

 「やってもうた・・・。」半べそをかきながら後ろを振り向くと、やはり巨大なティーポットは注ぎ口をぶんぶん振り回して転がってくる。

 再び前を向いた私はそこで異様なものを目にする。駅へと戻る道の両側に建っているはずの家々がみな巨大なティーポットになっているのだ。私の後ろから転がって来るティーポットよりも数倍大きなティーポットである。ティーポットハウスだ。そう言えば道に止めてあった誰かの車もティーポットに。ティーポットカーだ。すべての物がティーポットになってしまった。それがゴロリと転がり始め、さきほどのティーポットと同じように私を追いかけ始めるのだ。
 ふと気づくと先ほどまで腕のなかにあった通勤カバンもいつの間にかティーポットに変わっている。ティーポットバッグに。略してティーバッグだ。

 そんな上手いことを言っている場合ではない。私はティーポットに追われているのだ。そうだ、あの角を曲がれば上り坂になっている。
さすがに丸いティーバッグ、ではないティーポットは坂道を登ってこられないだろう。

 わずかな希望にすがるように私は角を曲がる。大量のティーポットに追いかけられティーポット、いやティーバッグを抱えた50過ぎのおっさんが角を曲がるとそこには「工事中」の看板とともにダンプカーのようなティーポットが道をふさいでいる。振り向くと無数の大きなティーポット達。全てのものがティーポットになってしまったようで、私は完全にティーポットたちに囲まれてしまった。

 行き場を失った私。絶望の中であきらめの言葉が口をついて出る。

「万事きゅうす。」(ティーポットだけに)


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