やっぱり車の中ではしっかり睡眠を取れなかったけど、時間はたっぷりあるので体を休める様には努めた。午後4時頃に会場近くの温泉に入った。もう囃子が聞こえていた。出たら会場へ。外で南三陸産のホタテを焼いていた。村には東日本大震災で豊根村に住むことになった人がいる。「これは貴重な機会だ」と、後で食べるのを楽しみにした。
同地区の花祭りは建物の中で行なわれるので暖かい。会所で奉納をし、お神酒を頂いた。今年は案内状が届いた。豊根村の花祭りで案内状が来たのは初めてである。もっとも住所を聞かれることもなかったし、同地区でも去年初めて聞かれたと思う。案内状のお礼を伝えた。
「地固め(扇)」。ここは僕が一番撮るのを好む、舞手が一人ずつ神座の前で飛び出て舞う所作が撮りやすい。同地区の舞はしっとりとしていて、昨晩の下黒川とは対照的である。太鼓の叩き手で歌ぐらを聞こえる位に唱えてくれる人がいて、雰囲気に酔いしれた。やっぱり、歌ぐらもっと聞こえて欲しいなあ。
早速ホタテを買った。めっちゃ美味しくて、計4枚食べた(笑) 多分ブランド級じゃないか?山でこんな美味しい海の幸を食べれるなんで、幸せだった。
下黒川では「地固め」の次に「一の舞」だったが、ここは「花の舞」である。3人が神座の前で体の向きが全員一緒でなく舞う所作では、下黒川では神座に対して直角で、真ん中が他2人と向きが逆だったけど、ここは神座に対して平行で、隅1人が他2人と逆だった。
「一の舞」。もう何年か通わせてもらっているので、釜の近くに行って囃し、強く叩いてもらった。花キチのちびっこが一緒に上手く舞っていた。まだ手が届かないから、柱にくくられている榊の枝を取って渡してあげた。
目一杯囃したので一旦車で休憩し、「三ツ舞」の時に戻ってきた。同地区も舞手不足で血縁のある子どもが応援に来ているが、新城の少年が今年も舞に来てくれていて嬉しかった。深夜に大変な舞であるが、従兄弟から声援を受け、舞っていた。
再び車で休憩し、「榊鬼」の時に戻った。問答があったり撮りどころが多いので、カメラマンが集まる。
大きく鉞を釜に振り下ろす所作は圧巻。
幻想的に火の粉が舞う「たい割り」。
「味噌塗り」。いっぱい顔に味噌を塗られた。楽しい舞である。
後に「巫女」と「婆」が出てきて、「巫女」に近付こうとする「味噌塗り」を「婆」が追い払う。
「翁」。囃子方にお礼をする問答を省略しているが、軽い問答があった。問答役が決まっていなかったらしく、急遽お役目を当てられた人が即興で問答をした。
またまた車で休憩し、最後の盛り上がりどころである「湯囃し」の前に戻ってきた。朝ご飯をいただけるのがありがたい。この舞の前に頂戴した。釜のお湯を撒き始めるタイミングが結構つかみにくく、湯が来た時にびっくりした。何回もお湯、水を注ぎ足し、最後は水!
ちょうど温泉のオープンの時間にこの舞が終わったので、坂宇場の花キチ少年と入りに行った。K君が彼を含めて後に社会人となる人に、学業を終えたら村に戻るかどうかの話をしていたので、気持ちを訊いてみた。「働き口が無いから」と、実現が難しいので気持ちは現時点では高くない様であった。K君の同級生の一人は自動車整備士の勉強をしていると温泉で会ったその同級生のおじいさんから聞いたし、上黒川の一人の若者は料理の勉強をしていると聞いた。よそ者が口を出すことではないけれど、譲渡型住宅制度もいいが、起業、経営支援があればなあって思う。ある程度の制度はもうあるだろうけど。僕はみかんをあげたり話をするだけだけど、花祭りの地の子ども達を応援し、大きくなったら故郷に戻ってきて花祭りの担い手であり続けて欲しいという願いで通い続けている。
温泉でさっぱりしたので車の運転が可能と判断し、帰路に就いた。今年度は豊根村の花祭り全てに行ったことになる。さあ、いよいよ下粟代だ!