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…… 池 千之助   信州ありふれた普通便 ……。

         信州・長野県長野市から、お気楽で無駄な記事を載せています。

真田十万石の城下町 信州・松代は、静かなお正月………‼

2019年01月05日 | まち歩き
  この冬は、こちら長野市街地は、いまのところ雪が少なく、クルマで動くのには大いに助かっています。



  雪かきもないので、毎日のんびりした気分で、お餅、みかん、干し柿などなど、ついつい食べてしまい、気が付けば体重が増えて来ました。



  ならばウォーキング運動を……、と云った事でもないのですが、信州・松代の真田家に関わる場所の様子を見て来ました。



  夕べ4日のTBS番組「ぴったんこカンカン」(古舘伊知郎さん、石原良純さん、沢松奈生子さん)でも真田家が紹介されましたが、真田家十四代当主:真田幸俊さんも出演され、地元・松代では、そこそこ視聴率も高かったと思います。



  では、松代藩のお城・松代城からです。




photo 1   松代城・二の丸南門から太鼓門を……


photo 2   松代城・太鼓門と手前は前橋


photo 3   松代城・太鼓門


photo 4   松代城・本丸内


photo 5   松代城・東不明門前橋


photo 6   松代城・太鼓門




  以上が、松代城の一部です。



  そもそもここ松代城は、1550年前後、甲州(山梨県)の武田信玄公が、越後(新潟県)の上杉謙信公の北信濃侵入に備えて前線基地として築いたようです。



  その頃は、海津城と呼ばれ、その後、城名は待城、松城、と変わり、正徳元年(1711年)藩主・真田幸道公の代に、幕府からの命により松代城となったようです。



  元和八年(1622年)これも幕命により、初代藩主・真田信之公(真田幸村の兄)が上田城から松代に移封され、松代藩の礎(いしづえ)が築かれたようです。



  その後、十万石の領地としてなりましたが、十万石の大名の居城としては小規模で、幕府からは、真田家は警戒されていたようでした。



  まあ、これ以上、話を続けますと、日が暮れてしまいますので、次に行きました「真田邸」をご紹介したいと思います。




photo 7   真田邸・表門(冠木門)


photo 8   真田邸・表門(冠木門)


photo 9   真田邸・北長屋門(手前右)と南長屋門(奥右)


photo 10   真田邸・東壁




  この「真田邸」は、九代藩主・真田幸教公の義理の母:貞松院(ていしょういん)の御殿として建てられ、その後、幸教公のご隠居所として、使われて来たようです。



  そして、やがて江戸末期の庭園を有して御殿建築として貴重な建物と云う事で、国の史跡の指定を受けたとの事です。



  また、真田家のお宝は数知れず、かなり残されていますが、それを一堂に会している建物がこちら真田宝物館です。




photo 11   真田宝物館・入口


photo 12   真田宝物館・全体




  館内は殆んど撮影禁止になっておりますので、ご紹介出来ませんが、かつて仕事の撮影で入らせていただいた時は、真田家が遺されてきた数々のお宝が立派に展示されていました。



  甲冑は勿論、有名な太刀、お衣裳などなど、自分的には興味津々な品物が並んでいました。



  この真田宝物館、真田邸、また直ぐ隣にある松代藩文武学校(今は工事中ですが見学は出来ます。)の三か所は、共通券¥500で入館出来、存分に江戸時代の松代藩・真田家に触れることが可能ですので、興味のある方には、是非お勧めしたい場所だと思います。




  火曜日は休館日になっていますので、HPなどをご確認いただきまして、お越しいただきと思います。