今日は、意外と暑くならなかったような気がしました。
長野県、夏の高校野球・決勝戦も、延長戦までいい勝負をしていましたネ! 結局、中信地方同士の対戦でしたので、TV観戦だけで終わらせてしまいました。
東京都市大塩尻(元・信州工)の甲子園での活躍に期待したいですネ!!
さて、拙者が最初、自分のカメラを持ったのは、高校時の修学旅行の際でした。 確か、フイルム・カメラ(当時はこのタイプしかなかったと思うのですが? もし、違っていましたら、お教え願います。)は、型番を忘れましたが、オリンパスのバカチョン・カメラでした。 勿論、フィルムは白黒です。 とにかく、カメラの撮影知識も何も無いものですから、「ただファインダーを覗(のぞ)いて、シャッターを押せば写る!」 というカメラを買って貰ったと思います。
そして、それからは、そのオリンパスのバカチョン・カメラを時々使っていたような気がします。でも、その後、二十代後半でお陰様で、嫁を貰うことになり、結婚式や披露宴の記録を、多少、カメラに心得のある後輩に撮って貰いました。
新婚旅行も、その後輩のカメラを借りて、行ったと思います。その後輩のカメラは、俗に言う「35ミリ一眼レフ・カメラ」で、絞りだ、露出だ、シャッター・スピードだと云われても、当時全く訳が分からず、とにかく、カメラのシャッターを押すだけで撮れる設定にして貰い、 それで、旅行に出掛けました。 それ程、そんなに写真自体に深い興味を持っていた訳でもなく、 知識も技術もありませんでした。
その後、娘が誕生しまして、親父さんが、拙者の子供の頃からの写真を残してくれた様に、子供の写真を残さなければ! という気になりまして、そこで初めて、「Canon AE-1 」というカメラを手にしました。 これが、拙者の35ミリ一眼レフカメラの始まりでした。
Canon AE-1 & LENS
それからは、この種の専門誌を何冊も買ってきまして、一生懸命、カメラの取り扱いや撮影方法など、色々勉強をしました。 といっても、愚(おろ)かな勉強方法しか分からず、どうも、「絞り」と「シャッター速度」の関係が理解出来ず、何が、どうなっているんだろう?? と、大分悩んだのを覚えています。
まず、
絞り F4.0 の場合は、 シャッター速度 1/250
絞り F5.6 の場合は シャッター速度 1/125
の基本形を覚えて、そこから徐々に、天気具合(晴れとか曇り、朝や夕方など)の状況次第で、撮影条件を変える、と云う事が分かってきました。
幸い、Canon AE-1のカメラは、シャッター速度を決めますと、自動的に絞り(露出)値が決まり、あとは、ファインダーを覗いて、しっかりとピントを合わせる、比較的初心者のカメラであることが、後で分かりました。
でも、この頃は未だ、サラリーマンで結構忙しがっていたものですから、毎日カメラをいじっている訳にもいかず、被写体も娘かカミさんくらいで、特に花や風景などの自然を撮ろうなんて気には、全くなりませんでした。
それに、当時は24枚~36枚撮りの35ミリフィルムを何本も購入して、撮り終わりましたら、写真屋さんにお願いして、現像代、写真プリント代をその都度支払っていました。 これがそこそこいい費用で、当時は、今のようにデジカメで、バシャバシャ撮れる時代になるなんて、夢にも思っていませんでした。
そのうちに、写真屋さんから、「ヌード・モデル撮影会」のお誘いを受けて、参加費5,000円か8,000円だったと思いますが、拙者も男故(おとこゆえ)、悦(よろ)んで? 参加しちゃいました。初参加の拙者でしたので、要領も悪く、カメラのレンズも50ミリ標準レンズでしたので、二人のモデルさんの近くに行かないと、雑誌に載っているようなアップの画が撮れず、弱ってしまいました。 周りのカメラマンさん達のカメラを見ますと、皆さん結構大きなズーム・レンズを装備なさっていて、モデルさんの近くに行かなくても、涼しい顔して、格好良く、カメラを構えて、撮っているんですよネ!!
あの時は、本当に悔(くや)しかったのを覚えています。 でも、午後になりまして、拙者も多少慣れが加わったのか、恥も外聞も捨てて、他のカメラマンさん達の邪魔にならないよう、可能な限り、出来るだけモデルさんたちに近づいて撮ることに成功しまして、何とか会費負けにならなくて、済みました。
上の写真にもありますように、拙者もその後、直ぐに、100ミリ~300ミリズーム・レンズと×2のエクステンダーを揃えまして、次回の撮影会に備(そな)え?ました。
その時撮った写真は、どこか捜せばあるかナ‥‥‥‥???
明日は、この続々編を! っと。