雑文の旅

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猫爺のエッセイ「辞世の短歌」

2016-06-20 | エッセイ
 麻生太郎財務相は、北海道小樽市で開かれた自民党支部大会で講演し、「90になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『お前いつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました」と述べた。

 では、望むと望まざるにかかわらず、90歳まで生きてしまった人々に、どうしろと言うつもりだろう。年寄りはすべて大金持ちとは限らない。生きていれば、死ぬまでの生活が不安な人々も多く居る。その人々に「自殺しろ」というのだろうか。それとも、姥捨て山を復活させるとでもいうのだろうか。

 この麻生氏の暴言に対して、おそらく批判的世論は起こらないだろう。それは、今世論を担っている人々の殆どが90歳には程遠い若い人々であるからだ。年寄りも、長年にわたり税金を納め、年金を払い続けて来た人たちであることは無視されて、ただの若い人たちに寄生しているように思われているのではないだろうか。

 麻生さん、あなたも十五年経てば90歳ではないか。もしその時が来て元気ばりばりであれば、あなたは潔い最期でしめくくることができるのだろうか。「お前はいつまで生きるつもりだ」と言われて、笑って過ごすことが出来るのだろうか。

 全国よぼよぼ連合代表 猫爺。


   ◇猫爺・辞世の短歌◇

   ◇高き山 深き峡谷(たに)こそ なかりせど 旅のおわりの 峠いま越ゆ◇