雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のエッセイ「股旅演歌」 木曽ぶし三度笠

2016-06-15 | エッセイ
 木曽節といえば、

    ◇木曽のナー ナカノリサン 木曽の御嶽山は ナンジャラホイ◇

 この「ナカノリサン」とは何だろうとネットでもよく語られている。いろいろ説はあるが、一番有力とされているのが、筏は三枚連ねて流すとして、一番前に乗るのを舳乗り(へのり)、後ろに乗る人を艫乗り(とものり)真ん中を中乗りというのだそうで、筏を船に見立てたものであろう。
 写真は都合よく、三枚セットで流されているようであるが、前後をちょん切ったのだろう。 筏は常に三枚をセットにして流すとは限らない。一枚のときもあれば、珠数つなぎで流すこともあった筈である。
 猫爺の妻は、その木曽で生まれ育っている。しかも妻の兄たちは、木曽の檜林で働いていた。彼らも、舳乗りや艫乗りなど知らないようであった。

 股旅演歌「木曽ぶし三度笠」では、ナカノリサンを「仲乗りさん」と字を当てている。ネットで調べてみると、この股旅演歌の作詞者が、中乗りは舳乗りと艫乗りの仲を取り持つから「仲」という字を使ったのだそうである。
 筏が三枚セットで流すとは限らないとすれば、この「仲」は作詞者の発想でしかない。げんに、古い民謡歌集を見ても、「ナカノリサン」または「中乗りさん」になっている。

 では、この中乗りさんとは何だろう。猫爺の推理では、これは「筏乗り」の職業名であったのではないかと考える。一枚の筏の真ん中に立って、水棹(みざお)で筏を操るからである。勿論この中乗りさん、筏の前にぴょんと跳んだり、後ろに移ったり軽業芸もする。しかるに、中乗りさんは、舳乗りさんでもあり、艫乗りさんでもある訳だ。

 では、「木曽ぶし三度笠」の物語を簡単に。
 もとは筏流しの「中乗り」であった主人公の新三郎(猫爺の連続小説では、守護霊として登場する)は山を嫌って、水棹を長ドスに持ち替え、「中乗り新三」と名乗りやくざになる。旅の途中女衒(ぜげん=女を売り買いすることを生業にしている)に出会い、自分を川に投げ込んだ宵宮の佐吉という男を懲らしめてほしいと頼まれ、二両で請け負う。
 中乗り新三は木曽街道で佐吉を待ち伏せして遣り合うが、新三もまた川に投げ込まれてしまう。その折に佐吉の三度笠と道中合羽が新三とともに川へ落ちたので、その代わりに佐吉は新三の笠と合羽を持ち去る。
 新三は佐吉の笠と合羽を着けて旅に出るが、旅の途中で伊那に住む従姉のところへ行く一人旅の娘お美代と出会い、互いに惚れ合い伊那まで送っていくことになる。
 その途中、新三は佐吉の笠を着けていたので、佐吉と間違われてやくざの出入りに巻き込まれる。

   ◇木曽の桟 太田の渡津 越えて鵜沼が 発ち難い
    娘心がしん底ふびん などとてめえも惚れたくせ

 この「渡津」と書いて「渡し」と読ませているのも、作詞者の考案だろう。「津」は、船着き場のことであるから、太田の渡しは船で渡るということを表現したのだと思う。

 中山道の三大難所である「木曽の桟」「太田の渡し」は、難なく越えてきたのに、鵜沼の宿は離れ難い。それは、お美代の心根が不憫だと言っているが、新三が自分に話しかける。
   「お前も好きになったお美代から離れるのが辛いのだろう」

 ちなみに、中山道の三大難所のあと一つ「碓氷峠」は、軽井沢の方なので、この物語の舞台とはならない。

   「木曽ぶし三度笠」

 この歌は、YouTubeで、 milkye326さんがソフトに歌っておられるのを推す。プロの歌手ではないようなのだが、歌の上手さは抜群である。


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