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猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」第一部 板割の浅太郎   (原稿用紙12枚)

2016-02-16 | 短編小説
  この年、上野(こうずけ)の国、赤城山の麓の村々では、天候不順で穀物の凶作に苦しんでいた。それでも、お上の年貢軽減は行われず、代官は百姓の糧までも取り立ててしまう有り様であった。
 田の畔に出来る粟、稗などがある内は良かったが、それさえも食い尽くすと雑草を食み、冬になれば飢え死ぬ者や夜逃げをする農民も出ることだろうと危ぶまれた。
 これを憂いて、必死に代官の悪政と闘い続けた侠客が居た。国定村の苗字帯刀を許された豪農長岡与五左衛門の長男、忠次郎である。忠次郎は、上州百々村(どどむら)の大前田一家を束ねる若き貸元である。

   「こらこら、ここはガキがくるところではない、けえれ!」
 最近、十二、三歳の少年が、大前田一家の前をうろついている。時には門口から中を覗き込んだりもする。忠次郎が出入りするのを待っているのだ。
 忠次郎の姿を見かけると、駆け寄って「浅太郎と言います、どうか子分にしてください」とすがる。
   「馬鹿なことを言うな、お前はまだ子供ではないか、やくざなどになると、親達が泣くぞ」
 忠次郎が宥めると、その日はおとなしく帰るのだが、また暫くすると大前田一家の前をうろつくのであった。

 そんなことが続いたが、ある日からピタッと来なくなった。忠次郎は少年のことをすっかり忘れていたが、五年経ったある日、大きな図体になって再び姿を見せるようになった。
   「親分、あっしです、浅太郎です」
   「五年前に子分にしてくれとしつこく言っていたガキだな、大きくなりやがって」
「へい、両親が借金を残して亡くなった為に田畑は他人に渡り、あっしは無宿者になりやした、どうか下働きにでも使ってくだせぇ」
   「嘆く親が居なくなったのか」
   「へい、」
   「お前には、他に身寄りはないのか?」
   「勘助という叔父が居ますが、三歳になる倅を残して妻に先立たれ、男手ひとつで懸命に働きながら子育てをしております」
   「仕事は何だ」
   「目明しのようなことをやっております」

 目明しの勘助ときいて忠次郎は思い出した。三年前、俄かに目が見えなくなった目明しがいた。目明しが盲目ではお役目も果たせないと前途を悲観して首をも括りかねない男がいると訊いた忠次郎は哀れがって、大金をはたいて江戸から名医を呼び、手厚い治療させた。その甲斐あって目明しは目から鱗が一枚一枚剥がれるように見えるようになった。だが、女房のお房は、看病疲れと気苦労のために弱っていたところに、風邪を拗らせてぽっくりと死んでしまった。残された三歳の幼子を背負って苦労をしている目明しに、忠次郎は温かく手を差し伸べたのだ。「浅太郎は、あの目明し勘助の甥だったのか」と、忠太郎は不思議な縁を痛感した。

   「それで、お前に何が出来る?」
   「風呂焚き、飯炊き、厠の掃除なんでもやります」
   「ドスの心得はどうだ」
   「持ったこともありません、ただ一つ、素手で板が割れます」
   「ほう、どのくらいの板だ」
 浅太郎は、こんなこともあろうと持参した分厚い板をだして、忠次郎に渡した。
   「これが割れるのか、力持ちだなぁ」
   「いえ、力だけで割るのではありません、技と気合いで割るのです」
 浅太郎は、忠次郎の前で板を割ってみせた。
   「見事なものだ」
 忠次郎は、浅太郎を置いてやることにした。
   「そのうち、盃をやるから、しっかり働いてくれ」
   「へい、ありがとうござんす」
 数日後、叔父の勘助がやってきた。浅太郎は、叔父の自分が面倒をみてやらねばならないところだが、貧しいうえに女手もなく、困っていたらしい。
   「どうか、甥の浅太郎をよろしくお願いします」
   「わかった、預かろう」
   「重ね重ね、有難う御座います」
 勘助は丁重に礼を言って、浅太郎に顔を向けると、
   「親分には、たいへんお世話になっているのだ、浅太郎、その万分の一でもわしに代わって親分に尽くしてくれよ」と、言い残して帰っていった。浅太郎、十七歳の砌である。

 その年は、五年前よりも深刻な天候不順に襲われ、米の生産は平年の七割を下回った。百々村を含む十数ヶ村を取り締まる代官の熊村伝兵衛は、相も変わらず厳しく年貢を取り立てて私利私欲を満たし、農民を苦しめ続けた。
 代官に村人の現状を訴え、陳情に行った忠次郎は、代官の薄情な態度に激昂したが、お上に盾突くことも出来ず、悔しい思いで戻らざるを得ないのであった。そんな忠次郎をこのままにしておいては、代官の不正がいつ何処で暴露されるや知れぬと、「忠次郎を殺れ」と、代官は家来に命じた。
 忠次郎を捕えにやってきた役人たちと、大前田一家の者は忠次郎のもとで一糸乱れずに闘い、追い返してしまった。
   「こうなれば破れかぶれだ、熊村伝兵衛を生かしておいては村人たちの為にはならない、代官屋敷に殴り込みをかけよう」

 忠次郎は、後先のことも考えずに代官屋敷に襲撃をかけ、代官を斬ってしまった。お尋ね者となった忠次郎は、子分を引き連れて赤城の山に立て籠もったのであった。

 捕り方役人が赤城山まで追ってくることもなく、立て籠もってひと月も経ったであろうか、ある日、忠次郎は独り夕闇に紛れて下山し、久しぶりに湯に浸かり、髪結い床屋に髪を結い直して貰い、さっぱりとして赤城山へ戻ろうとした時、待ち伏せしていた役人に囲まれてしまった。
 多勢に無勢、それでも腕のたつ忠次郎は幾人かの役人を倒し、ほうほうのていで逃れ、時雨の赤城山麓に差し掛かったとき、ここでも待ち伏せしていた役人に取り囲まれた。道に迷って、「もうだめだ」と、観念した忠次郎に十手を突き出した目明しがいた。
   「忠次郎、ご用だ!」
 御用提灯の明かりに照らし出されたその人物は、見紛うことなく浅太郎の叔父、三室の勘助であった。忠次郎は、勘助に斬りかかったが、刃の下を潜り抜けた勘助は、十手で忠次郎の肩をぐいと押した。その忠治の耳元で、勘助は叫んだ。
   「一本椎ノ木に沿って南に折れると、赤城山頂に向かう一本道だ、忠次郎はその道を通って山頂へ逃げた、逃がすな!」
 この野郎、この俺に十手を向けるとは何という恩しらずだ。忠次郎は、尚も自分に十手を向け続ける勘助をぐっと睨みつけて、山頂に向かって逃げ去った。

   「浅太郎、ちょっとここへ来い!」
   「へい、親分何か御用でも‥」
   「てめえ叔父の勘助に手柄を取らせようとして、わしが今夜下山することを勘助に喋っただろう」
 浅太郎は、寝耳に水であった。
   「俺は親分を売るようなことはしませんぜ、それを一番ご存知なのは親分ではありませんか」
 忠次郎は、町で自分が役人の罠にかかったことを話した。誰にも言わずに出かけたことが、漏れていたのだ。
   「あの恩知らずの首を、お前の手で取ってきて身の証を立ててみせろ」

 こともあろうに、血の繋がりのある叔父を殺して来いというのだ。浅太郎は、その夜のうちに山を下りて、叔父勘助の家に向かった。

 夜中にも関わらず、叔父は快く浅太郎を迎え入れ、一番先に忠太郎親分が無事に戻ったかと尋ねた。勘助はそれを気にかけていたのだ。
   「親分は、無事だ」
   「そうか、それは良かった」
 叔父は、仏壇に忠次郎の名を書いて供え、毎日親分の無事を祈っていたという。また、心ばかりの食料を、明日農夫に頼み親分に届けるつもりだったと風呂敷に包みを差し出した。
 これで浅太郎は真実を理解した。叔父は親分を逃がす為に、逃げ道を教えたのだ。目明しという立場上、恩義ある親分に十手を向けざるを得なかった叔父の辛い心が読めて、浅太郎は涙を零した。さらに、優しい叔父を義理のために殺らなければならない自分の立場が悲しいのだ。

   「浅太郎、今夜は親分にこのわしを殺れと言われてここへ来たのだろう」
 叔父は、百も承知で、覚悟をきめていたのだという。それは、一本椎ノ木のところで親分が見せた怒りに満ちた目だった。親分は、勘助の心が読めなかったのだ。
   「浅太郎、お前に頼みがある。安らかな寝息を立てている勘太郎の行く末だ」
 勘太郎は六歳である。まだ一人で生きて行く力はない。
   「どうか、勘太郎はお前の手で堅気に育ててやって欲しい」
 さらに、忠治郎親分に伝えて欲しいことがある。代官をやくざに殺されたとあっては、お上の威光にも関わると、代官所では明後日に赤城山で山狩りを行う計画があるのだという。これには、公儀の助人も加わるので逃げきれないだろう。その前に何とか逃げて欲しいという伝言である。
 勘助は、浅太郎に両の掌を合わせた。そのあと、勘助はくるりと浅太郎に背を向け、隠し持った短剣を自分の腹に突き立て前のめりになった。
   「叔父さん、早まったことを‥」
 抱き起そうとした浅太郎の手を拒み、勘助は再び座り直すと浅太郎に言った。
   「お前も、やくざの足を洗って堅気になってくれ。わしはここでお前に討たれて死ねば本望だが、お前を叔父殺しの凶状持ちにはしたくない‥」
 勘助は、そう言い残すと、自分の腹から短剣を抜き取り、刃先を胸に当てて再び前のめりになり呻き声を残して事切れた。  -つづく-

 猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
   第一部 板割の浅太郎
   第二部 小坊主の妙珍へ
   第三部 信州浪人との出会いへ
   第四部 新免流ハッタリへ
   第五部 国定忠治(終)
 猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
   第一部 再会
   第二部 辰巳一家崩壊
   第三部 懐かしき師僧
   第四部 江戸の十三夜


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2 コメント

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わくわく (takezii)
2016-02-16 16:20:50
新作、拝見しております。

朝食時・・、就寝時・・、あらすじを頭に描く・・・、
凄いです。
それぞ 創作力、文才、
つづき を 楽しみにしております。
返信する
takeziiさまへ (猫爺)
2016-02-19 21:20:25
 コメント有難うございます。ともすれば動きがとまってしまう小生ですが、お尻をコリコリッとされて慌てて動き出すカブトムシみたいに、takeziiさんの快い刺激で、また喜んでフィクションを進めています。
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