傷ついて寝込む辰巳一家の貸元の命を取るべく、猪熊一家の親分子分三人が戸の突っ張り棒を力ずくで折って入ってきた。 そこには、子分たちの姿は無く、傷ついた辰巳一家の貸元が寝かされているようであった。
「今、とどめを刺して楽にしてやるからな」
連れて来た一人の子分に、「殺れ」と、もう一人の子分に「布団を捲れ」と命じた。
布団が捲られると同時に、白く光る長ドスが一人の子分の長ドスを弾き飛ばし、返すドスの切っ先が猪熊の右足内腿を刺した。「うっ」と呻いて俯せに倒れた猪熊の躰を押し退けて、布団に寝かされていた男は起き上がった。
「お、お前……」
「待っていたぜ、猪熊の」
寝かされていたのは、紛れもなく辰巳の貸元だった。
「くたばったと思ったのか」
猪熊の二人の子分は、驚いて壁際まで逃れた。
「生憎だったなァ、皮を斬られたぐらいでくたばる程、わしは柔じゃねえぜ」
「騙しやがったな」
「騙し討ちにしたのはお前だぜ」
「糞っ」
「怪我で動けなくなった振りをして、お前の出方を見てやればこの始末だ」
「辰巳の子分どもはどうした。 逃げてしまったのか?」
「周囲で待機している。 さっき呼びにやったから、揃って戻って来るだろう」
「勘太郎はどこに居る?」
「今頃、猪熊一家で大暴れしているだろうぜ」
やがて猪熊親分は両手で傷口を抑えて、黙り込んでしまった。
「ごめんなすって…」
猪熊一家の門口に若い男が立った。 男がひとり顔を出したが、慌てて奥へ下がった。
「勘太郎だぜ、勘太郎が来やがった」
「あいつ若いが、腕が立つそうだ」
「辰巳の復讐に来やがったのだろう」
長ドスを振り回して挑んでくる子分を、勘太郎は躱しながら両一家の喧嘩を計画的に扇動した半五郎を探したが居なかった。 勘太郎を追って来て逆襲されたときに何処かへ逃げてしまったのか、それとも、何処かに隠れて成り行きを窺っているのか最後まで姿を見せなかった。
「辰巳の貸元を襲った仕返しは、親分ともども悉く簀巻きにして千曲川へ沈めてやるから楽しみにしておけ」
勘太郎のハッタリが飛んだが、猪熊の子分たちは悉く腕に痣を作って、戦意も恐怖も感じない様子であった。
「親分、ただ今帰りやした」
「おぉ、勘太郎か、ご苦労だった、それで首尾は?」
「存分に暴れてまいりやしたが、半五郎の兄ぃは逃げてしまったようです。 親分は?」
「作戦通り、猪熊を懲らしめてやった」
「止めを刺すのですか?」
「いや、それには及ぶまい」
今まで医者が来ており、猪熊の手当をして帰ったそうである。
「医者はどう言ったのです?」
「四、五日は安静にして、十日も温和しくしておれば、傷は塞がって歩けるようになるそうだ」
寝所まで勘太郎が覗きに行くと、猪熊の枕元で二人の子分が正座して項垂れていた。 勘太郎の姿を見るや、ビクッとして後退りした。
「医者は、四、五日動かすなと言っているが、連れて帰るか。 それともこのまま此処に居るか?」
勘太郎が二人に尋ねると、「此処に居る」と答えた。 間もなく、辰巳の子分衆が戻ってきて、以前の辰巳一家を取り戻した。
「親分、勘太郎は旅に出ます」
「儂の養子になる為に帰ってきたのではないのか」
「俺らは元僧侶です、俺らの心にいる阿弥陀様が人を斬らせません」
「そうか、やくざには成れないってことか」
勘太郎は親分の前で正座し、この度のことは親分が引き起こしたことだと、生意気な説教をして詰め寄った。子分には、義理人情に厚く、度胸千両の子分たちが揃っているのに、子分に目を向けずに自分のような若造を養子に据えようとしたことが原因だと非難した。
「泰吉兄ぃだって、命をかけて親分を護ろうとしていやした」
「そうだったなぁ」
せめて今夜は、ここに泊まっていけという親分を振り切って、勘太郎は旅にでた。口には出さなかったが、今夜泊まれば、それは下働きの勘太郎ではない。一宿一飯の義理に縛られる旅鴉だ。やくざ一家の屋根の下に、五年も下働きとして暮らして来た勘太郎である。義理と掟に縛られて、命を落とした旅鴉も見た。何ら意趣遺恨もない男を斬って、後悔に苛まれる旅鴉も知っている。 一時、やくざのふりをした勘太郎であったが、ほとほとやくざ渡世に嫌気がさしている勘太郎なのである。
勘太郎はすでに従兄弟の浅太郎が住職に就いた西福寺に草鞋を脱いでいた。 いまでは、浅太郎改め。住職の曹祥(そうしょう)和尚である。
「勘太郎、よく来てくれた。元気そうで何よりだ」
住職の曹祥が勘太郎の無事を喜び、こころから迎えてくれた。
「兄ぃも、すっかりお坊様らしく成りなすった」
「勘太郎に見せたいものがある」
「俺らに?」
曹祥は勘太郎を西福寺の墓地に連れていった。 墓群の中に、「俗名・勘助」と書かれた粗削りの小さな墓石があった。川石に曹祥が彫ったものであろう。
「御遺体は昌明寺にあり、真寛和尚さまがご供養してくださっているのだが、この墓には勘助叔父が死んだときに着ていた血の付いた単衣の寝間着が埋まっている」
曹祥は、毎日この墓に来て、経をあげて供養しているのだという。
「おとっつあんは、自害したと忠次郎親分から聞かされた」
「そうだが、義理と掟に挟まれて、自害を止められなかった拙僧の落ち度だ」
曹祥は、生涯この西福寺で、叔父勘助を供養するのだという。
「浅太郎兄ぃ、恨み続けて済まねえ」
「いや、恨まれて当然だ」
勘太郎は、今日にも旅に出ようと思ったのだが、村人たちが寛延という名を聞きつけて集まって来た。 彼らの思い出にある可愛い小坊主が、童顔だが逞しく成人した男となって自分たちの前に居ることが信じられない様子であった。
「寛延さま、今夜は私たちが夕食を用意しますので、ぜひとも寺に泊まっていってください」
村人たちは、ここがお寺であることをすっかり忘れているようで、野菜に混ざって猟で仕留めた野鳥や、魚なども持ち込まれた。
「寛延さま、濁り酒などいかがでしょうか」
「寛延さま、こちらは雉の肉にございます」
「待ちなさい」
一人の村人が制した。
「寛延さまは、今このような恰好をしておいでだが、真は和尚様ですぞ」
村人たちのあいだで、わあわあ言っておりますと、寛延は落ち着きはらって声をかけた。
「浄土真宗の開祖でいらっしゃる親鸞聖人は、鳥や魚、お酒もお召し上がりになりました」
当時、僧侶は生き物を口にしないしきたりであったが、袈裟を外すと僧侶ではないと理屈をつけて平然とそれらに箸をつけていた。その中で、親鸞聖人はいつも袈裟を外さずに仏教では「殺生」と言われて避けていた鳥肉や魚などをお召し上がりになった。ある人がその訳を尋ねたところ、親鸞聖人はこうおっしゃった。
「わたしは有難く生き物の命をいただいています。 僧侶として鳥や魚に感謝して、魂をお浄土へ導いてあげるために袈裟は外しません」
その夜、勘太郎は鱈腹食い、調子に乗って鱈腹飲み、だらしなく目を回してしまった。
もう金輪際会わないと決めていた浅太郎に会って、誤解をしていたことを謝り、晴れて故郷へ戻る勘太郎の草鞋は軽かった。
勘太郎の足は、赤城山の麓にある昌明寺に辿り着いていた。 勘太郎を迎えてくれたのは、師僧真寛であった。
「真寛様、お懐かしゅうございます。 寛延です」
「おぉ、寛延か、遅かったぞ」
「どうなさいました?」
「ご住職さまが一ヶ月前にご逝去なさいました」
勘太郎は、「えっ」と驚きの声を発し、そのあと固まってしまった。「嘘っ」と咄嗟に言いかけて、言葉を飲んだ。僧侶の真寛さまが、このような時に嘘をつく筈がないと、不謹慎な言葉を思い留まったのだ。
「ご住職さまは最期のとき、『寛延はどうしておるかのう』と、一言仰いまして息を引き取られました」
第二の父とも思しきお方である。 まだ六歳の頃、この寺で実の父の死を悲しんだ。住職の死はその時に増して悲しい。 嗚咽している勘太郎の脇に小坊主が座り込み、真新しい手拭を差し出してくれた。
「ありがとう、あなたの名は?」
「はい、妙珍と申します」
勘太郎の小坊主時代の名だ。 勘太郎がこの寺に来た時よりも二、三歳大きい。こちらの妙珍は、六ヶ月前にこの寺へ修行に来たのだという。
「先のご住職さまは、お優しい方であっただろう」
「はい、真寛さまよりお優しい方でした」
真寛がツツツと妙珍の傍に来て、拳骨(げんこ)で頭を一つ軽く叩いた。
「この妙珍も寛延と同じく、甘い顔をしていると還俗して『任侠の世界に生きる』と言い出すかも知れぬのでな、心を鬼にしているのじゃ」
真寛は、笑っていた。
勘太郎は、既に還俗が認められていると思っていたが、先の住職も、真寛もまだ許していないという。 勘太郎は、それから約一ヶ月昌明寺に滞在し、止める真寛に向かって丁重に頭を下げて、江戸へ向けて旅立って行った。 ―続く―
猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
第一部 板割の浅太郎
第二部 小坊主の妙珍
第三部 信州浪人との出会い
第四部 新免流ハッタリ
第五部 国定忠治(終)
猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
第一部 再会
第二部 辰巳一家崩壊
第三部 懐かしき師僧
第四部 江戸の十三夜
「今、とどめを刺して楽にしてやるからな」
連れて来た一人の子分に、「殺れ」と、もう一人の子分に「布団を捲れ」と命じた。
布団が捲られると同時に、白く光る長ドスが一人の子分の長ドスを弾き飛ばし、返すドスの切っ先が猪熊の右足内腿を刺した。「うっ」と呻いて俯せに倒れた猪熊の躰を押し退けて、布団に寝かされていた男は起き上がった。
「お、お前……」
「待っていたぜ、猪熊の」
寝かされていたのは、紛れもなく辰巳の貸元だった。
「くたばったと思ったのか」
猪熊の二人の子分は、驚いて壁際まで逃れた。
「生憎だったなァ、皮を斬られたぐらいでくたばる程、わしは柔じゃねえぜ」
「騙しやがったな」
「騙し討ちにしたのはお前だぜ」
「糞っ」
「怪我で動けなくなった振りをして、お前の出方を見てやればこの始末だ」
「辰巳の子分どもはどうした。 逃げてしまったのか?」
「周囲で待機している。 さっき呼びにやったから、揃って戻って来るだろう」
「勘太郎はどこに居る?」
「今頃、猪熊一家で大暴れしているだろうぜ」
やがて猪熊親分は両手で傷口を抑えて、黙り込んでしまった。
「ごめんなすって…」
猪熊一家の門口に若い男が立った。 男がひとり顔を出したが、慌てて奥へ下がった。
「勘太郎だぜ、勘太郎が来やがった」
「あいつ若いが、腕が立つそうだ」
「辰巳の復讐に来やがったのだろう」
長ドスを振り回して挑んでくる子分を、勘太郎は躱しながら両一家の喧嘩を計画的に扇動した半五郎を探したが居なかった。 勘太郎を追って来て逆襲されたときに何処かへ逃げてしまったのか、それとも、何処かに隠れて成り行きを窺っているのか最後まで姿を見せなかった。
「辰巳の貸元を襲った仕返しは、親分ともども悉く簀巻きにして千曲川へ沈めてやるから楽しみにしておけ」
勘太郎のハッタリが飛んだが、猪熊の子分たちは悉く腕に痣を作って、戦意も恐怖も感じない様子であった。
「親分、ただ今帰りやした」
「おぉ、勘太郎か、ご苦労だった、それで首尾は?」
「存分に暴れてまいりやしたが、半五郎の兄ぃは逃げてしまったようです。 親分は?」
「作戦通り、猪熊を懲らしめてやった」
「止めを刺すのですか?」
「いや、それには及ぶまい」
今まで医者が来ており、猪熊の手当をして帰ったそうである。
「医者はどう言ったのです?」
「四、五日は安静にして、十日も温和しくしておれば、傷は塞がって歩けるようになるそうだ」
寝所まで勘太郎が覗きに行くと、猪熊の枕元で二人の子分が正座して項垂れていた。 勘太郎の姿を見るや、ビクッとして後退りした。
「医者は、四、五日動かすなと言っているが、連れて帰るか。 それともこのまま此処に居るか?」
勘太郎が二人に尋ねると、「此処に居る」と答えた。 間もなく、辰巳の子分衆が戻ってきて、以前の辰巳一家を取り戻した。
「親分、勘太郎は旅に出ます」
「儂の養子になる為に帰ってきたのではないのか」
「俺らは元僧侶です、俺らの心にいる阿弥陀様が人を斬らせません」
「そうか、やくざには成れないってことか」
勘太郎は親分の前で正座し、この度のことは親分が引き起こしたことだと、生意気な説教をして詰め寄った。子分には、義理人情に厚く、度胸千両の子分たちが揃っているのに、子分に目を向けずに自分のような若造を養子に据えようとしたことが原因だと非難した。
「泰吉兄ぃだって、命をかけて親分を護ろうとしていやした」
「そうだったなぁ」
せめて今夜は、ここに泊まっていけという親分を振り切って、勘太郎は旅にでた。口には出さなかったが、今夜泊まれば、それは下働きの勘太郎ではない。一宿一飯の義理に縛られる旅鴉だ。やくざ一家の屋根の下に、五年も下働きとして暮らして来た勘太郎である。義理と掟に縛られて、命を落とした旅鴉も見た。何ら意趣遺恨もない男を斬って、後悔に苛まれる旅鴉も知っている。 一時、やくざのふりをした勘太郎であったが、ほとほとやくざ渡世に嫌気がさしている勘太郎なのである。
勘太郎はすでに従兄弟の浅太郎が住職に就いた西福寺に草鞋を脱いでいた。 いまでは、浅太郎改め。住職の曹祥(そうしょう)和尚である。
「勘太郎、よく来てくれた。元気そうで何よりだ」
住職の曹祥が勘太郎の無事を喜び、こころから迎えてくれた。
「兄ぃも、すっかりお坊様らしく成りなすった」
「勘太郎に見せたいものがある」
「俺らに?」
曹祥は勘太郎を西福寺の墓地に連れていった。 墓群の中に、「俗名・勘助」と書かれた粗削りの小さな墓石があった。川石に曹祥が彫ったものであろう。
「御遺体は昌明寺にあり、真寛和尚さまがご供養してくださっているのだが、この墓には勘助叔父が死んだときに着ていた血の付いた単衣の寝間着が埋まっている」
曹祥は、毎日この墓に来て、経をあげて供養しているのだという。
「おとっつあんは、自害したと忠次郎親分から聞かされた」
「そうだが、義理と掟に挟まれて、自害を止められなかった拙僧の落ち度だ」
曹祥は、生涯この西福寺で、叔父勘助を供養するのだという。
「浅太郎兄ぃ、恨み続けて済まねえ」
「いや、恨まれて当然だ」
勘太郎は、今日にも旅に出ようと思ったのだが、村人たちが寛延という名を聞きつけて集まって来た。 彼らの思い出にある可愛い小坊主が、童顔だが逞しく成人した男となって自分たちの前に居ることが信じられない様子であった。
「寛延さま、今夜は私たちが夕食を用意しますので、ぜひとも寺に泊まっていってください」
村人たちは、ここがお寺であることをすっかり忘れているようで、野菜に混ざって猟で仕留めた野鳥や、魚なども持ち込まれた。
「寛延さま、濁り酒などいかがでしょうか」
「寛延さま、こちらは雉の肉にございます」
「待ちなさい」
一人の村人が制した。
「寛延さまは、今このような恰好をしておいでだが、真は和尚様ですぞ」
村人たちのあいだで、わあわあ言っておりますと、寛延は落ち着きはらって声をかけた。
「浄土真宗の開祖でいらっしゃる親鸞聖人は、鳥や魚、お酒もお召し上がりになりました」
当時、僧侶は生き物を口にしないしきたりであったが、袈裟を外すと僧侶ではないと理屈をつけて平然とそれらに箸をつけていた。その中で、親鸞聖人はいつも袈裟を外さずに仏教では「殺生」と言われて避けていた鳥肉や魚などをお召し上がりになった。ある人がその訳を尋ねたところ、親鸞聖人はこうおっしゃった。
「わたしは有難く生き物の命をいただいています。 僧侶として鳥や魚に感謝して、魂をお浄土へ導いてあげるために袈裟は外しません」
その夜、勘太郎は鱈腹食い、調子に乗って鱈腹飲み、だらしなく目を回してしまった。
もう金輪際会わないと決めていた浅太郎に会って、誤解をしていたことを謝り、晴れて故郷へ戻る勘太郎の草鞋は軽かった。
勘太郎の足は、赤城山の麓にある昌明寺に辿り着いていた。 勘太郎を迎えてくれたのは、師僧真寛であった。
「真寛様、お懐かしゅうございます。 寛延です」
「おぉ、寛延か、遅かったぞ」
「どうなさいました?」
「ご住職さまが一ヶ月前にご逝去なさいました」
勘太郎は、「えっ」と驚きの声を発し、そのあと固まってしまった。「嘘っ」と咄嗟に言いかけて、言葉を飲んだ。僧侶の真寛さまが、このような時に嘘をつく筈がないと、不謹慎な言葉を思い留まったのだ。
「ご住職さまは最期のとき、『寛延はどうしておるかのう』と、一言仰いまして息を引き取られました」
第二の父とも思しきお方である。 まだ六歳の頃、この寺で実の父の死を悲しんだ。住職の死はその時に増して悲しい。 嗚咽している勘太郎の脇に小坊主が座り込み、真新しい手拭を差し出してくれた。
「ありがとう、あなたの名は?」
「はい、妙珍と申します」
勘太郎の小坊主時代の名だ。 勘太郎がこの寺に来た時よりも二、三歳大きい。こちらの妙珍は、六ヶ月前にこの寺へ修行に来たのだという。
「先のご住職さまは、お優しい方であっただろう」
「はい、真寛さまよりお優しい方でした」
真寛がツツツと妙珍の傍に来て、拳骨(げんこ)で頭を一つ軽く叩いた。
「この妙珍も寛延と同じく、甘い顔をしていると還俗して『任侠の世界に生きる』と言い出すかも知れぬのでな、心を鬼にしているのじゃ」
真寛は、笑っていた。
勘太郎は、既に還俗が認められていると思っていたが、先の住職も、真寛もまだ許していないという。 勘太郎は、それから約一ヶ月昌明寺に滞在し、止める真寛に向かって丁重に頭を下げて、江戸へ向けて旅立って行った。 ―続く―
猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
第一部 板割の浅太郎
第二部 小坊主の妙珍
第三部 信州浪人との出会い
第四部 新免流ハッタリ
第五部 国定忠治(終)
猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
第一部 再会
第二部 辰巳一家崩壊
第三部 懐かしき師僧
第四部 江戸の十三夜
創作の妙、素晴らしい。
江戸へ・・・、
これから どんな山場があるんでしょうか。
続きを 楽しみにしております。